大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

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大学の学長、塾先生の勉学時代

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わたしの勉学時代

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1974年創設、来年度には開学40周年を迎える浜松医科大学は、これまで医学科から3360名、看護学科から1033名の卒業生を医療人として社会に輩出してきました。今後ますます地域との連携を深め、様々な研究開発にも力を入れていくことを目的としています。今回は、2010年に学長に就任された中村達先生にお話を伺いました。病と闘いながら大学受験を乗り越えたエピソード、受験生の皆さんは必見です。

自分でできることは自分でする

 私は佐賀県小城郡*1砥川村に生まれました。当時の村の人口は6000人ほどだったと思います。私が通った小学校も生徒数は1学年60名で2クラスだけでした。
  父は教員で、私が幼い頃は佐賀県立小城高等学校で数学を教えていました。母も同じく教員で、私の通う小学校に勤めていました。5人兄弟の4番目だった私は、よく母に兄2人と姉の成績と比べられて怒られ、あきれられていました。勉強は好きではなかったのです。
  そんな私でしたが、兄や姉に負けないと思えることがありました。家の手伝いです。竈に使う薪を集めに山に入ったり、水道が通っていなかったので水瓶の水を汲みに行ったりということを、自主的にしていました。そういうことは兄弟の誰もしなかったですね。自分でできることは自分でする。これは今でも習慣になっています。それから、よく遊びましたね。*2鉱石ラジオを作ったりもしました。また、家の横に畑があったのですが、そこにアワやキビなどを蒔いて育てていました。鳥を飼っていて、その餌を自分で作っていたのです。小さな畑でしたが、父からはそこを自由に使っていいと言われていました。

 

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父は教員でしたが、畑を借りて大根やジャガイモなどを作っていました。私もよく手伝いました。今でも家庭菜園が趣味です。

  *1 砥川村…1956年に一部が牛津村と合併、牛津町になった。2005年に芦刈町・小城町・三日月町に合併され小城市となっている。
  *2 鉱石ラジオ…方鉛鉱などの鉱石を利用したAMラジオ受信機。

勉強に対する意識改革 やればできると実感

 勉強への意識が変わったのは、中学3年生の10月です。一番上の兄は大学進学で東京に出ていたのですが、その下の兄と姉が佐賀県立佐賀高等学校に進学し、父も同じ学校へ転勤することになりました。そこで、家族全員で佐賀市内に引っ越そうということになりました。田舎でのんびり過ごしてきた少年が、いきなり1学年700人もいる佐賀市立成章中学校に転校したのです。そして、そこで初めて受けた模擬試験の結果が100番台と思った以上に悪く、とても驚きました。父からは「このままでは、運よく佐賀高校へ進学できても、最下位に近い成績になってしまうぞ」と言われてしまいました。父が教員を務め、兄や姉も通う佐賀高校は県内有数の進学校でしたが、1学年1000人もいる中で最下位というのは、格好がつきませんよね。この模擬試験をきっかけに、勉強だけに集中することにしました。転校をきっかけに、それまで熱中していたバレーボール部の活動もやめました。受験本番まで5か月間しかありませんでしたが、本気で勉強に取り組んだおかげで成績は100番台から2、3番にまで上がったのです。こうして無事佐賀高校に進学できました。「やればできるんだ」と思えた出来事でしたね。父も「勉強はだめだと思っていたが、なかなかやるじゃないか」と言ってくれました。勉強が楽しいと思えるようになりましたよ。

長い闘病生活と大学受験 医師になることを決意

 高校に進学した私を、ある試練が襲います。2年生の時に足腰がひどく痛みだしたのです。入部したバレーボール部で無理をしたのか、長時間同じ姿勢で勉強をしたのがいけなかったのか。学校へ通えなくなるほど症状が重くなってしまいました。
  手術を受けても病状は改善しなかったので、佐賀県嬉野市で温泉療養をすることになりました。その嬉野の病院で整形外科の江川先生と出会います。当時20代後半でしたでしょうか。明るくてほがらかな青年でした。私は、いつもは明るくひょうきんで、人を笑わせるのが好きな性格なのですが、療養が長引くにつれ、同級生たちが有名大学に次々と進学していく現実に落ち込むこともありました。そんな時、先生は相談に乗ってくださいました。夜眠れない時は話し相手にもなってくださいました。そんな江川先生の姿を見て、私は医師になろうと決意したのです。
  入退院を繰り返す中、それでも勉強を続けました。起きられない時は仰向けのまま本を読みましたよ。完治はしませんでしたが、退院後は高校にも復帰しました。2年留年したので弟と同じ学年になってしまいましたけれど、痛む腰にコルセットを巻いてくじけずに通いました。このようにがんばれたのは、江川先生と出会い医師になる夢を持てたからだと思います。それから、小学生時代の担任だった江頭先生との思い出も、モチベーションを支えてくれました。先生は私のことを「君は、やるときは一生懸命やる男だな」と評してくださいました。私はそれをずっと忘れずにいたのです。江頭先生との思い出が、受験勉強の時に限らず、節目ごとに背中を押してくれた気がします。江川先生に江頭先生。本当に良い出会いに恵まれました。
  父には数学を教えてもらいました。問題を解くのを競争したり、解法について議論し合ったりしました。大変面白かったですね。実は、父は国文学が得意で、はじめは小学校で国語を教えていました。それが母の親戚から「高校で数学を教えてくれないか」と頼まれて数学を学び直したのです。教える教科を変更するのは並大抵のことではありません。加えて明るくてユーモアがある人で、生徒から人気のある教員でした。

外科の師との出会い

 医師になる夢を叶えるため、慶應義塾大学医学部に入学します。足腰の痛みはだいぶやわらいでいましたが、2年生の終わり頃に再び悪化してしまいます。慶應義塾大学病院で手術を受けることになったのですが、担当してくださった整形外科の教授が大変優秀な方で、骨盤から骨を移植する手術を施してくださいました。そして、なんとすっかり良くなったのです。コルセットも取れ、めでたく闘病生活から抜け出ることができて気分も一新、学問への意欲も一層高まりました。
  卒業後は外科に進みました。外科においては、いかに手術の腕を磨くかが医師の成長に大きく関わります。そこで、私は誰よりも手術がうまくなるのだと決意しました。外科の師は大城先生といって大変素晴らしい方で、優秀な医師の手術を観察するため方々へ出かけていくという努力家でもありました。私は積極的に先生と議論を重ね、手術の経験を積ませていただきました。そして、短時間で終え、出血が少なく、術後も良い結果を残す手術を目指しました。先生には東京を離れた後もご指導いただきました。本当に感謝しています。
 浜松医科大学へ呼んでいただいたのは1977年のことです。大学病院は開院前で、手術実績はありませんでした。私は、このゼロの状況からでも、常に良い手術を志し着実に

 

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寝たり起きたりを繰り返しながら受験勉強をしていました。一晩中部屋の灯りをつけたままにしていたので、近所の方に「いつ寝ているの?」と心配されることもありましたね(笑)。

実績を重ねていけば、周りから自然と評価されていくだろうと確信していました。そうして15年後、世界に発表できるほど素晴らしいデータがそろった時は、努力が実を結んだと思いましたね。地方にある大学であっても、世界的な研究はできるのです。

なくてはならない人間になる

 自分の今いる場所で、なくてはならない人間になる。そのために懸命に努力する。それがとても大切なのだと、私はこれまでの経験から実感しています。これはどんな場面でも言えることです。皆さんにも、ぜひそういった目標を持っていただきたいと思います。その目標に熱中できたなら、大きな才能が開花するかもしれません。
  皆さんには、好きなこと、興味のあることはあるでしょうか。それについて、どこまで深く知っているでしょうか。夢や目標を持つことがまず難しいと聞くこともありますが、まずは身の回りの興味関心へ目を向けてみるといいと私は思います。パソコンが好きな人は、なぜキーボードで入力するとパソコンに文字が入力されるのだろう、どういう仕組みになっているのだろうなどというふうに、興味の範囲を広げることができますね。ただ楽しむだけでなく、なぜだろうと思考を巡らせてほしいと思います。そして、目先のことだけでなく、5年先、10年先の自分を想像してほしいと思います。

浜松医大の産学官連携

 浜松医科大学のある地域は、トヨタやホンダ、ヤマハ、スズキの自動車・オートバイ産業の創始者の出身地として知られ、新しいものに挑戦する気質があります。同大学では、世界に誇れる「ものづくり企業」が集まる地域との結びつきを深め、医療ニーズに応えるための開発に力を入れています。2011年4月に設置された「産学官共同研究センター」では、安全に内視鏡手術を行うための「内視鏡手術用ナビゲーションシステム」を浜松地域の中小企業などと共同で開発、昨年3月に薬事法の製造販売承認を受けました。また、学内には、最先端の光技術を持つ浜松ホトニクス株式会社との共同研究を進めることができる「メディカルフォトニクス研究センター」もあります。浜松から世界へ。最先端の研究開発を行う環境が整っている特長ある大学です。  

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「内視鏡手術用ナビゲーションシステム」を操作する、開発者で
「産学官共同研究センター」センター長の山本清二教授。

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