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 2011年3月11日に発生した東日本大震災については、皆さんも鮮明に記憶していると思います。震災からの復興は進まず、今なお苦しんでいる人々がいることも知っているでしょう。
  日本には、歴史に残る大地震がいくつもあります。過去の出来事から得られる教訓はたくさんあるはずです。今回は、地震について、また震災の記録や体験談を紹介します。なぜ地震は起こるのか、大地震に備えて、どういったことを心がけていけばいいかなどを探っていきましょう。

「地震大国」日本のことを知ろう

「地震大国」日本のことを知ろう

 なぜ日本は昔から地震が多いのでしょうか。その理由はトラフ海溝にあります。
  トラフは水深6000m以下にある細長く続いている海底のくぼみのことで、海溝は大陸や弧状列島(日本列島のように大陸と大洋の間に位置して、大洋のほうに弓なりに膨らんで曲がっている列島)と平行してのびている海底の凹地のことです。トラフと海溝、どちらもプレートが沈み込んでいる地帯にあります。プレートとは、地球の表面を覆っている硬い板状の岩(岩盤)です。陸の地殻を含むプレートを大陸プレート、海の地殻を含むプレートを海洋プレートといいます。日本には、南海トラフをはじめ日本海溝や駿河トラフ、南西諸島海溝などがあり、それらの場所では大陸プレートの下に海洋プレートが沈み込んでいます。この状況が地震を引き起こしているのです。
  日本で起こる地震には、大きく分けて海溝型地震活断層型地震の2種類があります。それぞれについて詳しく見てみましょう。

 

●海溝型地震
  伊豆・小笠原海溝で発生する地震を例にとり、そのしくみを見てみましょう。
  この海溝では、大陸プレートのユーラシアプレートの下に、海洋プレートのフィリピン海プレートが沈み込んでいます。沈み込んでいるフィリピン海プレートにユーラシアプレートの先端部分が引っぱられていきます。フィリピン海プレートの沈み込んでいく方向に引っ張られるユーラシアプレートには「ひずみ」が蓄積されていき(プレートの先端がたわみます)、これが限界に達した時、ユーラシアプレートがもとの位置に戻ろうとして跳ね上がります。これが海溝型地震の起こるしくみです。
プレートとプレートが出合う場所で起こる地震なので、プレート境界地震とも言われています。1923(大正12)年の

 

海溝型地震の起こるしくみ

関東大震災、そして2011年の東日本大震災も、この海溝型地震が原因でした。また、海洋プレートが割れて起こる地震もあります。

 

●活断層型地震(直下型地震)
  断層とは、地層や岩盤に力が加わって割れ目ができ、その割れた面に沿って両側が互いにずれている状態を言います。断層が動く現象を断層運動と呼びます。この断層運動が地震の原因となっていると考えられているのです。
  過去に繰り返し活動して地震を起こしている断層で、これからも活動する可能性があるものを活断層といいます。
  また、断層には大きく分けて二つのタイプがあります。
@縦ずれ断層…乗り上げている上盤と、乗り上げられている下盤からなる断層です。

断層圧縮する力や引っ張る力の方向によって、正断層
逆断層と呼び分けられています。イラストは正断層です。
A横ずれ断層…水平方向にずれた断層です。
左横ずれ断層右横ずれ断層の2種類があります。
イラストは左横ずれ断層です。
  断層には、圧縮の力(断層を押す力)と断層を引っ張る力が働いています。これによって大地にひずみが蓄積され、それが限界に達して地震が発生するのです。日本列島には数多く

 

の活断層があります。
  他にも火山活動による地震など、日本ではたくさんの地震の原因があるのです。

 

歴史に残る大地震

 地質学、地震考古学(遺跡にある地震の痕跡を調査研究する学問)などから、文字による記録以前の大地震の痕跡が見つかっていて、縄文時代や弥生時代にも東日本大震災レベルの地震が何度かあったことがわかっています。
  日本最古の地震の記録は、奈良時代にまとめられた『日本書紀』の中にあります。416年に起こった大和国(奈良県)の「允恭地震」と呼ばれるものです。日本初の震災記録も『日本書紀』にあり、こちらも大和国のもので599年の「推古地震」と呼ばれ、建物が倒壊したと記されています。
  古代の日本において特によく知られているのが、684年に起こった「白鳳地震」です。南海トラフ沿いの巨大地震と考えられている記録です。南海トラフという言葉も、ニュースなどでしばしば耳にすると思います。この南海トラフが、駿河湾の富士川河口付近から九州沖にまでのびていて、近い将来巨大地震を発生させると言われているのです。『日本書紀』によれば、白鳳地震によって関西・四国一帯で大きな被害が出たと記録されています。たくさんの家が倒壊し、山崩れが起きて、「河が涌き(液状化現象ではないかと言われています)」、津波の被害も大きかったそうです。
  この他にも、死者3〜4万人以上の被害を出した室町時代後期の「明応地震」や、豊臣秀吉も経験して1年以上も余震が続いたという戦国時代末期の「天正地震」、関東から九州までの太平洋岸で津波が発生して大きな被害をもたらしたという江戸時代の「宝永地震」など、多くの記録が残されています。これらの地震のように、近代的な地震観測器がなかった時代において、古文書や災害記念碑などに記された地震を歴史地震と呼びます。こうした記録を利用して、地震の周期を予測したり、津波が襲った範囲を知り防災に役立てたりすることができます。

 

私たちができること

 今回は、兵庫県にある「人と防災未来センター」を紹介します。このセンターでは、1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による大規模な災害、阪神・淡路大震災を記録し、未来に伝えていく活動をしています。地震の恐ろしさ、身を守る方法についてなど、実際に震災を体験された語り部の方にもお話を伺いました。
  私たち一人ひとりも、過去に起こった地震から学ぶことが多くあります。実際に地震が起こった時、どのように行動すれば身を守ることができるのか、防災や減災(災害を減らすこと)のためにふだんどのようなことを心がければいいのかなど、一度しっかり考えてみましょう。家族で話し合う時間を持ってみてください。

 

 

 

次々と上がる火の手極限状態での消防活動

 当時、私は神戸市消防局東灘消防署の署長を務めていました。3月いっぱいで定年退職を迎えるという冬の日――1995年1月17日午前5時46分52秒、あの恐ろしい震災は起こったのです。
  地震発生時は、消防署から徒歩5分の官舎で寝ていました。重たいテレビがひっくり返るほどの強い揺れで飛び起きました。どのくらい揺れていたかは、寝ていたこともありよく覚えていません。
  私が消防署に駆け込んだ時は、まだその場の事態を整理するのに手一杯で、消火活動や救助活動に出られない状況でした。その日、東灘消防署には、本署と出張署を合わせて30名ほどの隊員が泊まりで勤務していました。そして動ける消防車は4台、救急車3台。後からわかったことですが、地震発生から午前6時までのわずかな時間に、東灘消防署の管轄内で起こった火災は10件でした。これに対して消防車は4台でしたから、すべて同時に消火活動をすることは不可能です。私たちは署の屋上から町を見渡し、煙が大きく見える所(火災の大きな所)から消火することにしました。
  通常、消火活動において最優先されるのは人命救助です。ですが、阪神・淡路大震災の時のような非常時においては消火を優先しました。火を消すことは消防の人間にしかできません。人命救助は警察や自衛隊の方、住民の方々に任せて、私たちは消火に専念しました。
  火災の現場へ向かうことすら困難でした。隊員たちは、瓦礫を避けながら進める道を探しました。
「家族が瓦礫の下敷きになっているんだ!助けてくれ!」
  行く先々で人々が消防車の前に立ちふさがり助けを求めましたが、それを断って先に進まなければなりませんでした。この時は、建物などの下敷きになっている人々を火から守ることが、私たちの最優先事項だったからです。ですが、そんなことは市民の皆さんには関係ありません。消防車が来た、助けてくれる。そんな必死の思いで呼び止めるのです。それを説得しながら火災現場へ向かった隊員たちは、大変つらかったことでしょう。彼らの中には震災の前日から勤務している者もいました。妻や子どもの安否がわからない中で、寝る間もなく活動を続けていました。消火後の現場から遺骨が見つかり、ご家族の悲痛な叫びを耳にして、自分の無力さを責める隊員もいました。余震が続いているので活動は命がけです。誰もが極限状態の中、一人でも多くの人を救うために必死に活動していたのです。
  火災は午前6時以降も発生しました。消火をしては、別の場所からまた火が上がるというような状況がしばらくの間続きました。

 

地域のコミュニティが生んだ「助け合う心」に感動

 火災現場に到着しても、すぐには消火活動に移れませんでした。消火栓が瓦礫に埋まっていたり、水道が断水し水が出なかったりしたからです。防火水槽(消火栓が使えなくなった時のために、地下に消火用の水をためている水槽)や近くの川までホースを持って行かねばなりませんでした。瓦礫に引っかかってホースが破れることもあり、その度に消火活動は中断されました。これは他の地区でのことですが、人手が足りずに交通整理もできず、ホースの上を車が通って破れることが多々あったそうです。
  消火活動が難航する中、我々消防隊員は多くの方々に支えられました。これはとても幸運なことでしたが、東灘区には150名の消防団(一般市民によって構成される消防機関)の団員がいて、そこには8台の消防車が割り当てられていました。彼らが率先して消火活動に携わってくださったのです。市民の皆さんも協力してくださいました。ホースを運ぶのを手伝ってくださったり、バケツリレーで消火活動を手伝ってくださったり。東灘区は「だんじり」という祭りを中心に市民同士のつながりが深いところでもあります。祭りの中心に消防団の団員たちがいるのです。このように地域のコミュニティがしっかりしていたからこそ、震災時も皆が声をかけ合い、助け合えたのだと思います。本当に感謝しています。

 

一人ひとりの力が命を救う

 阪神・淡路大震災の経験を通じて、地震や台風など大規模災害において、人の命を救うのは一人ひとりのボランティア精神だと考えるようになりました。それは、ふだんの生活で育むことができます。近所の人に挨拶をする、困っている人がいたら声をかける。それだけでいいのです。こうした活動の積み重ねが、非常時に大きな力となります。避難訓練、防災訓練に参加した時には、集まった方々のことをよく観察していただきたいですね。特に年配の方がいれば、「あのおばあさん、この間会った時は杖を使っていなかったな。脚が悪くなったのかな?」などということを気に留めておくだけでも、ずいぶんと違います。消火器の使い方などを学ぶことも大切ですが、地域にどういう人々がいるのか把握しようという努力は、今日からでも可能です。こうした心がけが防災や減災に強い人間をつくりあげることができると考えています。

 

★地震が起こったらどうすればいい?

@地震発生! まずは身の安全を確保しましょう…机の下に入ったり、布団やクッションなどで頭を覆ったりして、落下物から身を守ります。窓ガラスや倒れる心配のある家具などから離れましょう。
A揺れがおさまったら、火の始末をしましょう…台所の火を止めたり、ストーブを切ったりしましょう。避難する前には、ガスの元栓を閉め、電気のブレーカーを切りましょう。電気は漏電すると発火の原因となる場合があります。
B落ち着いて避難しましょう…落下物などに気をつけて、周囲の状況をよく確かめてください。慌てず落ち着いて出口の確保をしましょう。
※近所の人とも助け合いましょう。瓦礫や家具などの下敷きになっている人を助けたり、けが人の手当てをしたり、できることをしましょう。
C正しい情報を把握しましょう…正しい地震の情報を、報道や市区町村などから入手しましょう。
他にも、エレベーターの中や地下街にいる時に地震が起こったらどうすればいいかなど、様々な場面での対応について考えてみましょう。

 

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