大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

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大学の学長、塾先生の勉学時代

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わたしの勉学時代

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古代日本において最先端の文化を持っていた出雲地域。国立大学法人島根大学は、そんな歴史ある地域にあります。「人とともに 地域とともに 島根大学」を理念とし、地域から世界へ輝く人材を輩出することを目標としている同大学。今回は、2012年4月に学長に就任された小林祥泰先生にお話を伺いました。11代続く医者の家に生まれた先生は、勉学時代をどのように過ごされたのでしょうか。

江戸時代から続く医者の家に生まれて

 島根県出雲市は神話の里として知られています。2013年、出雲大社は60年ぶりの「平成の大遷宮」を終えて本殿が新しくなったことは、ニュースでご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。土壌も豊かで昔から作物がよく育ち、漁も盛んで、古代出雲文化の時代から大変優れた*1製鋼の技術も持っていました。*2八岐大蛇伝説で知られる斐伊川や海、湖もあり、山にも囲まれていて、出雲神話に登場する場所もたくさんあります。私が生まれ育ったのは、そんな出雲市の今市町というところです。役所や銀行、商店などが建ち並ぶ市の中心地でした。土曜日に夜市が立つと、まるでお祭りの縁日のような賑やかさでした。
  実家は代々町医者をしていました。約300年前の江戸時代から数え、私で11代目です。島根県は古代より医学と深いつながりがあります。出雲大社の祭神である大国主命は医療の神様として厚い信仰を集めていますし、島根県の各地には病を癒す温泉も多く湧いています。江戸時代にも多くの医者を輩出しました。
 父は戦時中軍医でした。戦後は慶應義塾大学病院の内科医局長となりましたので、家族と

 

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父からは、約300年続く医者の家を継ぐことの大変さも教えられました。

もども上京することになりました。幼稚園時代の3年間です。東京は、空襲で焼けた所も多くて住むところが見つかりませんでしたので、大学の医学部学生寮に舎監(寮の学生の生活指導や監督をする人)の家族として住みました。学生さんと一緒に食事をしたり銭湯に通ったり、遊んでもらったりもしていました。休日は、銭湯へは父と一緒に行き、帰りには*3幻灯機のフィルムを買ってもらいました。「母を訪ねて三千里」や「マルコポーロ」などの物語を楽しんだものです。フィルムといっても紙芝居のようなものでしたので、声はありません。横で父が解説をしてくれました。
  出雲市に戻ると、父は実家を継いで開業しました。診療所と生活の場がほとんど一緒で、医療は私にとって大変身近な存在でした。看護師さんや患者さんが行き来する、賑やかな家で子ども時代を過ごしました。また、父は*4対診に出向くことがあり、私も連れて行ってもらいました。父は他の医者に頼られるほど優秀な人なんだと尊敬しました。父はとにかく物知りで、歴史にも植物にも詳しく、絵もとても上手でした。

  *1 製鋼…たたら吹きによって砂鉄から鋼を得る製法。日本刀の素材となる玉鋼は製鋼によってつくられる。
  *2 八岐大蛇伝説…『古事記』や『日本書紀』に登場する日本神話の一つ。須佐之男命(素戔嗚)が8つの頭と8本の尾を持つ化け物を退治する話。
  *3 幻灯機…スライド式映写機の原型機。
  *4 対診…その病気に関して専門の知識がない場合などに、他の医師に診療の応援を頼むこと。

ライバルと切磋琢磨慶應義塾高等学校へ

 小学校は出雲市立今市小学校に通いました。東京から戻って来たばかりで最初は戸惑いましたが、すぐに友人ができて楽しく過ごすことができました。小学校、中学校時代の友人たちとは今でも親しい間柄です。
  外で遊ぶことは大好きでしたが、体育の授業は苦手でしたね(笑)。中学校ではブラスバンド部の活動に力を入れていて、全国大会に出場することもできたんですよ。中学3年生の夏には、小学校から続けてきたボーイスカウトの活動で沖縄に行き、3週間の間アメリカ

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高校時代はワンダーフォーゲル部に所属していた小林先生。写真は北アルプス縦走の途中、富山県の雲ノ平での一枚。一番左が先生です。

 

のスカウトたちとキャンプをしたり、ホームステイを体験したりと貴重な時間を過ごしました。夏以降もブラスバンドの全国大会に向けての練習をしたり、英語の弁論大会で沖縄での体験を話すための練習をしたりと、忙しくも充実した毎日でした。ですが、そのせいで学校の成績が落ち込んでしまったのです。そこから必死に受験勉強をしました。
  私は同級生の親友と一緒に、東京の慶應義塾高等学校への入学を目指していました。彼とは勉強においても遊びにおいても、互いに切磋琢磨したライバルでした。この親友がいたからこそ、私はやる気と集中力を維持できたのだと思います。夕食後の3時間を受験勉強にあて、父に買ってもらった10年分の過去問題集を繰り返し解き、傾向を調べ対策を徹底的にとりました。メリハリを大事にして、睡眠はたっぷりととりました。おかげで、何とか高校に合格することができました。

 私の専門は脳ですが、やはりだらだらと長時間勉強を続けてもだめですね。脳の記憶力は落ちてしまいます。せっかく勉強したことが身につかないのです。記憶は睡眠中に定着しますので、徹夜もおすすめできません。上手に切り替えをしながら、集中力を維持して勉強できるように工夫をしてみてください。
  上京後は、親友と一緒に下宿を始めました。そこには大学生も3人ほど同居していましたので、とても賑やかでしたね。遊びに連れて行ってもらうことも多く、おかげで少し勉強がおろそかになってしまいました(笑)。父親から、これでは慶應義塾大学の中でも入学の競争が激しい医学部へ進むことは困難だと思われ、下宿を変えられてしまいました(笑)。ですが、結局はそれが正しかったのです。医学部の推薦は惜しいところで逃しましたが、猛勉強をして受験枠で何とか入学にこぎつけました。それでも補欠合格でしたけれど。高校の授業自体は好きでしたね。選択授業でドイツ語かフランス語を学ぶこともできましたし、英会話の授業は*5アンデルセンのお孫さんが担当されていました。とてもユニークな授業が多くて、新鮮で興味深かったです。

 

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北里大学での研究や実験には非常に苦労しました。誰よりもたくさん資料を読んだと思います。

  *5 ハンス・クリスチャン・アンデルセン…1805〜1875年。デンマークの代表的な童話作家、詩人。「マッチ売りの少女」や「親指姫」など、
     作品は日本でも広く知られている。

新設の大学病院で経験を積む

 私の生涯の恩師となる北里大学医学部の田崎教授と出会ったのは、大学卒業後でした。教授は、父が慶應義塾大学病院で医局長をしていた時の新入医局員だった方です。教授の専門が神経内科学の中の脳卒中でしたので、私もそれを研究することになりました。大学時代、神経内科学は苦手だったのですが、教授との出会いで大変興味深い分野になりました。
  当時は脳卒中の患者さんが多かったですね。栄養状態もあまりよくなく、特に東北地方では食べ物に含まれる塩分濃度が高かったのが原因でした。検査の環境も整っていませんでしたし、ちゃんと治療ができるようになったのはごく最近の話です。大変なこともたくさんありました。そんな中、当時新設されたばかりだった北里大学病院は、日本で初めてアメリカ式の臨床研修システム「レジデント制度」を取り入れていました。研修医たちは関連するすべての科をローテーションしますし、外科系では手術経験も十分に積ませてもらえますので技術も向上します。カルテは全科共通で中央管理されていて、患者さんのレントゲン写真も共有化されていました。情報が共有化されることで、患者さんは重複した検査を受けずに済みますし、負担も軽減されます。こうした取り組みは、当時の大学病院ではまったく行われていませんでした。私も、島根医科大学医学部附属病院が新設されて呼ばれた時に、北里大学での経験を大いに役立てることができました。
  これからは、田舎や離島など、あらゆる場所で診療ができる医者が多く育ってほしいと思います。大学病院のように医療機器などが十分に整っている環境で常に診察ができるわけではありません。患者さんをよく観察し、しっかり話を聞いて、どのような病気であるかを自分で考える。かなりの経験を要しますが、とても大切なことです。このようなコミュニケーション力と観察力、思考力は、医学の世界だけで必要とされるものではありません。関塾生の皆さんにも、ぜひ養っていただきたいと思います。

自ら興味を持ち、進んで学ぶ

 テストで良い成績をとろうと努力することは大事です。ですが、その前に「何のために勉強をするのか」を考えてみましょう。将来なりたい職業がある、大学で学びたいことがあるなど、先を見据えることができれば、素晴らしい勉学時代を過ごすことができるのではないでしょうか。
  強制されて学んだことは身につきません。自ら興味を持ち、進んで学ぼうとする意思が持てれば、必ず学力は伸びます。保護者の方も、ふだんからお子さんと積極的に関わり、どのようなことに興味を持っているのかを知ってほしいと思います。その上で、さりげなくサポートしていただきたいですね。

地域を結び、地域から発信する

 島根大学を代表校とした山陰地域発の大学間連携事業「大学と地域社会を結ぶ大学間連携ソーシャルラーニング」は、文部科学省の平成24年度大学間連携共同教育推進事業に選ばれています。山陰地域の5大学・短大が連携して、地域社会と協働することで自然や歴史、生活や産業などを学び、役立てる方法を探ります。
  また、同大学では、学術研究の成果などを発信し大学の魅力を伝え、島根県の歴史や文化を全国へ発信する「古代出雲文化フォーラム」を開催しています。次回「古代出雲文化フォーラムU 〜古代出雲文化と現代の製鉄へつながる“たたら”へのいざない〜」は広島で開催。大学ホームページの申し込みフォームから参加の応募ができます(2014年1月10日締め切り。抽選)。
 

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2013年3月に東京朝日ホールで初めて開催された「古代出雲文化フォーラムT」での小林先生。

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