大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

目標を決めたら! 始めよう!タイムスはいつでも君の味方です!

メールフォームでも受付中

関塾TIMES

今月のタイムス

関塾タイムス特集記事

大学の学長、塾先生の勉学時代

関塾タイムス・イラストギャラリー

タイムス編集部だより

関塾

KANJUKUTIMES

tel06-6241-5050

〒541-0056
大阪市中央区久太郎町3-4-30
船場グランドビル六階

関塾

>>バックナンバーはこちら

image

わたしの勉学時代

image

1912(大正元)年創立の名古屋電気学校を母体に、1959(昭和34)年に名古屋電気大学としてスタートした愛知工業大学。創立当時から一貫して「実学教育」に注力し、社会で即戦力となる人材を輩出し続けています。今回は2004年4月に学長に就任された後藤泰之先生にお話を伺いました。先生の体験談を聞いているうちに、「ものづくり」の楽しさに触れてみたくなりました!

四歳の時に父が他界女手一つで育ててくれた母

 私は名古屋市で生まれ育ちました。3歳まで名古屋市千種区若水に住み、その後は守山区へ引っ越しました。若水では、父が教員として勤務していた*1名古屋電気高等学校が家の前にあったので、毎日のようにそこへ顔を出していました。同僚の先生方に、ずいぶんと面倒を見てもらっていたようです。名古屋電気学園は、当時普及しはじめていた電気の技師を育てることを目的として、1912(大正元)年に創立しました。その一員である名電高校にも電気を専門とする先生方がいて、父もその一人でした。私が幼少期に周囲から受けた影響は、とても大きかったと思います。幼い頃は時計が大好きだったようで、家にある時計を勝手に分解して、どうやって動いているのか確かめていたようです。「もの」に対する興味関心が強かったのだと思います。
  父は大変忙しい人で、なかなか一緒に過ごすことはありませんでしたが、小学校の夏休みの自由研究を手伝ってもらったことは覚えています。*2回り灯籠を一緒に制作したことは印象深く、きれいな影絵が浮かび上がった時は感動しました。父も私も「ものづくり」は大好き

 

image

時計を分解するたびに親に怒られていましたが、祖父は「よく分解できたね」と褒めてくれました。

です。手作り飛行機にも凝りました。骨組みは竹を細かく割った竹ひごで作るのですが、火を当てながら慎重に曲げていく作業は大変難しく、とてもやりがいがありました。後に教員となった時、まずは学生に「ものづくりの楽しさ」を教えたいと思ったのも、こうした子どもの頃の経験があったからこそだと思います。

  *1 名古屋電気高等学校…通称「名電高校」。現在は愛知工業大学名電高等学校。
  *2 回り灯籠…内枠に様々な形に切り抜いた紙を、外側に薄い紙または布を貼り、ろうそくの灯をともした内側の軸を回転させると、
            切り抜いた絵の影が外枠に映って回転して見える。走馬灯とも言う。

のびのびと育った子ども時代

 守山区に引っ越した後は、家の近くに矢田川という大きな川が流れていましたので、そこでよく遊びました。川上では瀬戸川が合わさっていたのですが、当時の瀬戸川には瀬戸物(陶磁器)の材料となる土が溶け込んでいて、そのせいで矢田川の水も白く濁っていました。ですから、川遊びをすると手足や服などが真っ白になってしまうのです。そのまま帰って家を汚してしまい、よく母に叱られましたね(笑)。自然が豊かな場所で、のびのびとした子ども時代を過ごしました。年齢の異なる子どもたちが一緒になって、秘密基地をつくったり、昆虫採集をしたりしたものです。当時はテレビゲームなどもない時代でしたので、自分たちで工夫して遊び道具を創作していました。遊びを通して、想像力や創造力を養えたと思います。
  私は幼稚園から中学校まで、愛知教育大学附属の学校に通っていました。小学校の時に担任だった竹内先生については、今でも印象に残っています。生徒の話をよく聞いてくれましたし、叱る時も理由を丁寧に話してくださいました。何事にも親身になってくださったので、保護者からも信頼されていました。
  得意な教科は算数・数学でした。クラスメイトの女の子たちに褒められると嬉しくて(笑)、ますます頑張って勉強をしましたね。一つの答えに向かって解法を考えていくことが好きでした。それに比べると、国語や社会科、英語などはあまり好きではありませんでした。苦手というより、興味が持てなかったのです。中学校の定期考査では、英単語や社会科の用語などは前日になって頭に詰め込んでいました。中学校では水泳部に所属、遅くまで練習していましたので、帰宅後は疲れ果てて勉強時間もあまり確保できなかったです。

失敗しても諦めずに再挑戦する

 同級生のほとんどが附属高校への進学を選択する中、私は外部受験をしました。目指したのは東海高等学校です。伝統校であり、県内から優秀な学生が集まる進学校としても有名でした。男子校の硬派な雰囲気にも少し憧れましたね。2年生の後半から受験を意識しはじめ、得意の数学はもっと伸ばそうと努力しました。まちがえてもすぐに答えを教えてもらわず、納得できるまで考えるという方法で勉強したおかげで、しっかりと実力をつけることができたと思います。おかげで、無事に東海高校へ入学することができました。
  早い段階から、大学は理系学部に進もうと決めていました。電気に興味を持ったきっかけの一つは、中学校の技術の授業でした。はんだ付けで基板を作りラジオを制作したのですが、これがとても上手にできたのです。電波を受信して音声が聞き取れた時は、本当に感動しました。もう一つのきっかけは、同じく中学生の時でしたが、名電高校の先生に真空管のオーディオアンプに詳しい方がいて、いろいろと教わりながらアンプを手作りしたことです。失敗した時も諦めず、原因を考え、工夫して再挑戦する。その繰り返しにこそ「ものづくり」

 

image

高校時代はボート部に所属していました。練習は厳しく、心身共にずいぶんと鍛えられました。

のやりがい、楽しさがあることを知っていたので、電気の世界へ飛び込むことにためらいはありませんでした。

決められた道へ進むことへの反発とプレッシャー

 電気を専門分野にと決めていたものの、悩みもありました。名古屋電気学園の創設者一族に生まれ、自分も将来は学校経営に関わるのだろうなと漠然と思っていたのですが、高校生になってそのことに抵抗を感じるようになったのです。祖父や父のようになれるだろうかという不安もありました。特に、愛知工業大学学長と日本卓球協会会長を務めた祖父の後藤ナ二は、1971年の第31回世界卓球選手権における中国の参加に尽力した人です。「*3ピンポン外交」と呼ばれていますが、米中関係の緊張緩和、そして日中国交正常化にもつながった出来事でした。その中心にいた祖父を思うと、プレッシャーを感じずにはいられませんでした。

 

image

幼稚園生(左写真)と、小学生(右写真。
お母様、妹さん、弟さんと)の後藤先生。

 そんな私に、自分を見つめ直すきっかけが訪れました。高校3年生の受験シーズン真っただ中に、父から中国へ行かないかと誘われたのです。このような機会は二度とないかもしれないと思い、一年間浪人する覚悟でついて行きました。中国では、日本との文化の違いにショックを受けると同時に、日本や自分自身についての冷静な視点を持つこともできたと思います。帰国後は東海大学の電気工学科に進学しました。そして大学卒業後、東海大学、名古屋大学での勤務を経て、当時父が学長を務めていた愛知工業大学工学部助教授となったのですが、二つの大学で得られた様々な経験も、現在大変役に立っています。

  *3 ピンポン外交…1971年に開催された第31回世界卓球選手権において、後藤ナ二氏らが周恩来と直接交渉をした結果、中華人民共和国(中国)が6年
            ぶりに出場。この大会中に米中の選手が交流したことがきっかけとなり、72年にニクソン米大統領の中国訪問が実現、中国は100以上の国々
            と国交を結ぶことになった。

親子で楽しい思い出を共有しましょう

 私は電力系統工学、そして制御工学などを専門としています。電圧をコントロールしたり、送電したりする仕組みを研究するのです。会社や家庭へ、安定して、また効率よく電気を届けるための試行錯誤をします。日本は安定した電力供給において世界一の技術を有していますし、規模が大きく大変面白い研究分野だと思います。近年では、IT技術を駆使し、太陽光発電などの新しい発電方法を組み込んだ次世代の電力ネットワーク「スマートグリッド」の研究も進んでいます。スマートグリッドについては、現在、愛知工業大学のキャンパスを使って実験を行っているのですが、こうした新しい取り組みには今後も積極的にチャレンジしていきたいですね。
  皆さんも、どんどんチャレンジしてほしいと思います。興味関心があることに対して、物おじせずに、積極的に関わってください。保護者の方も、お子さんにはたくさんの機会を与えてほしいですね。一緒に出かけたり、協力して「ものづくり」をしたりして、楽しい思い出を共有してほしいと思います。そして、一度の失敗で諦めてしまわないことも大切です。失敗から学べることはたくさんあります。なぜ失敗したのかをよく考え、何度も挑戦してください。そうして手に入れた成功体験は、皆さんの宝物になるでしょう。

「実学教育」で即戦力を育む

 インタビューの中で後藤先生は「学生たちには“ものづくり”の楽しさを知り、専門領域の学びをどんどん深めていき、それを社会に役立ててほしい。そのための機会を大学側はできる限り用意したい」とおっしゃっていました。その言葉通り、愛知工業大学では、学際化、国際化する社会に出た時、即戦力となる人材を育てる「実学教育」に力を入れて取り組んでいます。工学部の各学科では、日々進化を続ける最先端のテーマをカリキュラムに取り入れ、実践力のあるエンジニアやクリエーターを育てることを目標にしていますし、海外の大学や研究所との交流にも積極的です。学生が夢や挑戦心を形にするのをサポートするための「みらい工房」などハード面の整備も進んでいます。  

image

「みらい工房」には「ものづくり」に必要な機械が揃っています。指導員が常駐しているので、技術的なアドバイスなどが気軽に受けられるのも特長です。

Page Top