大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

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わたしの勉学時代

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多様な価値観を尊重し、国際社会に対して積極的に発信していける研究・教育環境が整っている国立大学法人筑波大学。優秀な人材を輩出し続けている背景には、総合大学としては他に例を見ない幅広い学問分野を有し、各分野の研究を深化させつつも、新たな可能性を柔軟に取り入れる変わらない姿勢があります。今回は、2013年4月に同大学の第9代学長に就任された永田恭介先生にお話を伺いました。

「勉強をやめてしまえ」父の強烈な一言がきっかけに

 陸軍兵だった父が抑留されていたシベリアから日本へ帰国したのは、第二次世界大戦終結後、1947年頃だったと思います。その後は総合商社に就職しました。
  父は謹厳実直という言葉がぴったりの真面目な人でした。自分には厳しかったですが子どもにはそういったこともなく、日常的に「勉強しなさい」と注意されることもありませんでした。そんな父から、たった一度だけ叱られたのを覚えています。小学4年生頃だったと思うのですが、テストで70点台を取って帰ったことがありました。その結果を知った父が、私に「小学生でこのような点数を取るようなら、勉強を続けても無駄だ。やめてしまえ」と言ったのです。「小学生のうちは、学校の授業をしっかり聞いてさえいれば、家に帰って遊んでばかりでも満点が取れるはずだ」そう父は考えているのだと、私は理解しました。それ以降は「テストは常に満点を目指さなくては!」と意識するようになり、授業だけは真面目に聞くようになりました。父が私を叱ったのは、後にも先にもこの一度きりですが、だからこそ強烈に印象付けられたのだと思います。今でも忘れることのできない思い出です。

 

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福井県に住んでいた頃は、雪遊びやソフトボールなど、毎日のように友人たちと遊んでいました。

小学校時代に身につけた暗記と暗算の力

 私が生まれたのは愛知県一宮市ですが、父の転勤に従って何度か引っ越しを経験しています。2歳の時には名古屋市に移り、その後市内の小学校に入学しましたが、1年生のうちに福井県へ引っ越しました。それから中学校に進級してすぐ、今度は埼玉県浦和市へ行くことになりました。友人たちと離れるのは寂しかったですが、転校先でもクラスメイトとすぐに打ち解けていたと思います。
  福井の小学校時代に、私の財産になった経験が二つあります。一つは百人一首です。冬は外で遊べなくなるほど雪が積もるので、この時季は学校をあげての百人一首大会が催されました。皆ゲーム感覚で和歌を丸暗記していました。小学生ですから、当然歌の意味はわかりません。呪文を覚えているようなものです(笑)。ですが、後になってこれが大いに役立ちました。和歌で使われている古語が頭に染みついていたので古典読解の手助けになりましたし、和歌の作者について調べるうちに歴史や文学についての知識も身につきました。財産になったもう一つの経験は、そろばんです。そろばんを学んだおかげで暗算が容易になりましたし、研究者時代には身につけた計算力を応用して様々な考察を行うこともできました。
  勉学には考える力も大切ですが、暗記と暗算の力を養うこともまた必要ではないでしょうか。その時には価値がわからないものでも、後になって自分の財産になっていることに気づく。皆さんの日々の勉強にも同じことが言えると思います。大学生になって、さらに複雑な、または専門的な分野を学ぶ時に、それを理解する手助けになるのが小中高時代の勉学です。どんな勉強でも必ず力になると信じて、がんばってくださいね!

私の受験勉強法

 小学生まではソフトボールに夢中で、サッカーをする機会はまったくありませんでした。その頃はメジャーなスポーツではなかったのです。ですから、サッカーが盛んな浦和市の中学校に転校した後は本当に苦労しました。生徒は皆サッカーに夢中で、昼休みや放課後のクラブ活動の後、校庭では必ず試合が行われていました。サッカーボールを見たことすらなかった私は、当然ながら仲間に入れません。それが悔しくて、悔しくて。バスケットボール部に所属したのですが、その練習が終わった後にサッカー部員に頼んでボールの蹴り方や試合のルールなどを一から教わりました。そのおかげでだいぶ上達して、仲間にも入れてもらえるようになりましたし、サッカーが得意で大好きになりました。今でもサッカーをすることも、試合観戦も趣味で、大事な試合があれば何よりも優先するほどの熱の入れようです(笑)。
  このような中学生活を送っていましたので、高校受験を意識しだしたのは3年生の11月頃からです。しかも、元来のひねくれた性格から(笑)、受験勉強の方法はかなり独特だったと思います。

 私は、人から指図された通りに勉強するのが嫌でした。そこで、数学については、寝る前に問題集のページを適当に開き、無作為に4問を選び出してノートに書き写しました。それを朝起きて解きます。自分で自分に出題するのです。歴史や地理については、高校生向けの参考書を買い、その内容をノートにまとめるのが好きでしたね。参考書には中学の教科書ではわからないことがたくさん書かれていて、私の知識欲を満たしてくれました。こうした勉強スタイルは、大学受験でも変わりませんでした。
  国語に関しては、それなりに良い成績だったと思います。趣味の読書のおかげだと思います。海外の文学作品から時代小説、植物図鑑まで、ジャンルを問わず気になったものは手に取りましたね。暇を見つけては本屋に立ち寄ったものです。本を読むことで、語彙力を増やすことができただけでなく、文脈から作者の主張などを読み取る力も身につきました。古典についても同じで、それを埼玉県立浦和高等学校時代に体験しました。古典の先生が、古文や漢文を生徒に繰り返し音読させる授業をされる方だったのです。古文がすらすらと読めるようになると、その内容も自ずとわかるようになります。古典が苦手であれば、何度も声に出して読むことをおすすめします。

 

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中学生の頃は『十五少年漂流記』や『海底二万里』などの冒険小説が大好きでした。今でも読み返します。

世界初の発見に感動!苦労を乗り越え得た成功体験

 小学生の頃は、世界で活躍するジャーナリストになりたいと思っていました。海外へ出てみたいという意識が強かったですね。一方で、理系の分野にも興味がありました。当時中学生と高校生だった叔父がいたのですが、彼らから聞く科学の話が大変面白かったのです。夏休みには、一緒に自作のロケットを飛ばそうと試みたり、ボール紙と新聞紙の望遠鏡作りに挑戦したりしました。特に、自分で磨いたレンズで月のクレーターを見た時は、驚きと感動で胸がいっぱいになりました。
  叔父たちの影響もあり、理系に進もう、生物としての「ヒト」を対象としたサイエンスの分野で研究者になろうと強く思っていました。そして、東京大学への進学を決意しました。高校3年生の夏休みは、毎日図書館へ通って受験勉強をしました。
  薬学科を選択した理由は、当時の東大の中で、生物化学の研究がもっとも進んでいた学科だからです。大学院では遺伝子の複製に取り組みました。ところが、博士課程を修了したものの、自分の研究は不十分だと感じていました。そこで、渡米して今度はウイルスの研究を始めました。当時は素人丸出しの研究者だったと思いますが、大変な発見もしました。動物細胞の中で特定の場所について大事な働きをするタンパク質があります。当時はそのタンパク質の存在自体は知られていたものの、誰も見たことがありませんでした。それを世界で初めて発見しました。あの時の感動は、今でも鮮明に覚えています。アメリカでの研究環境は厳しく、激しい競争の中でのプレッシャーは相当なものでしたが、それらを乗り越え成果を手にしたことは大変良い経験になりました。ライバルの研究者たちも、まるで自分のことのように喜んでくれました。同じ道を志す仲間の存在、そして科学における公平性を実感しました。

小さな成功体験を重ね前向きになれる環境を

 皆さんには、ぜひ成功体験の機会を得ていただきたいと思います。どんなに小さなことでも構いません。努力して繰り返し挑戦した結果、わかるようになった、できるようになったという体験をすることが必要なのです。
  勉強について言うならば、その教科や単元について基本的なことを学んだ後は、今の自分の実力よりも少しだけ難しい問題に挑戦してみるのはいかがでしょうか。学んだことをただ繰り返すだけなら容易ですが、それで本当に理解できているかといえば、そうではありません。大切なのは、得た知識を使って多角的な視点を養うこと、応用力を身につけることです。ですから、先生や保護者の方は、少しだけ難しい、でも時間をかければ必ず自力で解ける応用問題を与えてほしいと思います。小さな成功体験を積み重ねる中で、次のステージに前向きに取り組むことができる環境をつくっていってほしいですね。

日本、世界をリードする人材を育てる

 筑波大学には、優秀な人材を育てるための特徴的なプログラムが二つあります。
  一つが「IMAGINE THE FUTURE. 未来構想大学講座」です。全学学生を対象に、学長の永田先生を始め各分野の研究者によるトップレクチャーが行われています。他にも、一般社団法人日本プロジェクト産業協議会と連携して官界や産業界で活躍する企業人を招いたり、スポーツビジネスのプロ、マスコミや広告、出版、マーケティング界の卒業生との接点もあり、未来の自分の姿を具体的に描く良い機会となっています。もう一つが大学院博士課程における「ヒューマンバイオロジー学位プログラム(HBP)」です。ここでは様々な学問領域の垣根を越え、地球環境や生活資源、人口・食糧問題などに対する俯瞰的で専門的な視野を育み、世界をリードする研究者を養成することを目的としています。

 

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「IMAGINE THE FUTURE. 未来構想大学講座 創造学群表現学類」での学生による成果(作品)発表の様子。

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