大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

目標を決めたら! 始めよう!タイムスはいつでも君の味方です!

メールフォームでも受付中

関塾TIMES

今月のタイムス

関塾タイムス特集記事

大学の学長、塾先生の勉学時代

関塾タイムス・イラストギャラリー

タイムス編集部だより

関塾

KANJUKUTIMES

tel06-6241-5050

〒541-0056
大阪市中央区久太郎町3-4-30
船場グランドビル六階

関塾

>>バックナンバーはこちら

image

わたしの勉学時代

image

1857年に江戸幕府が開校した蕃書調所にまで起原を辿ることができるという東京外国語大学。2012年には二学部体制となり、地球全域に及ぶ14地域27言語をそろえた教育体制となりました。今回は、2013年4月に同大学長に就任された立石博高先生にお話を伺いました。将来につながった二つの原体験、二度のスペイン留学を経て感じたこと、国際交流に必要なことなど、興味深いお話が盛りだくさんです!

怪獣映画が大好きな少年

 私が生まれた大船という地域は、鎌倉市と横浜市のちょうど境にあります。戦時中は横須賀基地の本部など海軍の関連施設があり、父もそこで働いていました。戦後、父はスポーツ新聞「日刊スポーツ」で広告営業に携わりました。インターネットのない時代でしたので、新聞は貴重な宣伝の場。俳優や歌手が華やかに記事を飾ることも多々あり、その関係で、父は時々映画スターの写真などを手に入れてくれました。それが嬉しくて友達に自慢していたのを覚えています(笑)。
  映画といえば、かつての大船には松竹大船撮影所がありました。高校時代は私も少しばかりミーハー心を起こして(笑)、映画監督や俳優が集う喫茶店「銀嶺」に通ったものです。当時は映画全盛期であったことに加え、このような大船独特の雰囲気がありましたので、子どもの頃から映画は大好きでした。特に『ゴジラ』や『モスラ』などの特撮映画に大変夢中になりましたね。怪獣映画は今でも好きです。ゴジラにしてもラドンにしても、人が引き起こす問題と関連づけて描かれていて、大人も楽しめる奥深い作品だと思います。
 以前の大船には「大船オデオン座」という映画館がありました。父に時々連れて行って

 

image

春には撮影所の敷地が開放され、桜を楽しむ人々で賑わいました。大変美しい景色で、今でも鮮明に覚えています。

もらい、2本立ての映画を楽しみました。映画館に行く前にはパン屋に必ず寄り、食パンにピーナッツバターやジャムを塗ったサンドイッチと牛乳を買ったのを覚えています。これがちょっとしたご馳走で、毎回楽しみにしていました。子どもの頃のご馳走の記憶はもう一つ。大船にある洋食屋『MI-CASA』のオムレツは大変美味しかった。忘れられない思い出の味です。

心に刻まれた二つの原体験

 我が家は両親共に教育熱心であったと思います。看護師の経験があった母は、大変賢い人で、記憶力もずば抜けていました。彼女から受けた影響は少なくないはずです。また、父のおかげで、家にはたくさんの本がありました。大船駅前に「大船書房」という書店があったのですが、そこから毎月1冊ずつ世界の文学全集などが届けられていました。本に囲まれて育ったおかげで、自然と読書の習慣がついたと思います。
  後の学びにつながった、二つの原体験についてお話しします。一つは、言葉についての体験です。私は、父の仕事の都合で、幼稚園生最後の年と小学1年生の2年間を大阪府で過ごしました。守口市八雲町という所です。その2年の間に、私はすっかり大阪の方言を話すようになりました。小学2年生になって再び大船に戻ったのですが、そこでクラスメイトのいじめの対象になってしまいます。イントネーションの違う言葉を話す子どもは浮いた存在だったのでしょう。いじめは3年生になるとなくなりましたが、これがきっかけで言葉について敏感になりました。語学に関心を持つようになった理由も、ここにあるのではないかと思っています。
  もう一つは、地域の歴史との出会いです。小学5年生の時に郷土地理クラブに入ったのがきっかけでした。クラブを指導されていた市川先生は遺跡の発掘をされていた方で、その様子を私たちにも直接見せてくれました。教科書に書かれてあることだけではない、私たちが住む地域にも歴史があるのだと知り、大変感動したのを覚えています。歴史学を専門に選んだのも、この時の体験があったからでしょう。

歴史を知らないということ

 中学は兄が通っていたこともあり、鎌倉学園中学校に入学しました。中高一貫校でしたので合わせて6年間をここで過ごしました。私立学校を選んだのは、両親が私たち兄弟を大学に行かせたいと考えてくれたからです。現在のように大学進学が当然の時代ではありませんでした。大変感謝しています。
  中学校時代の恩師といえば井上先生です。彼には一度だけ真剣に怒られたことがあります。クラスメイト数人が、生徒の一人をあだ名で呼んでからかっていました。響きが面白かったので、私は意味もわからないまま一緒になって囃し立てていました。ですが、そのあだ名というのが、差別用語にあたるものだったのです。いつもは温厚な性格の井上先生は、それを知って激怒されました。そして、なぜ差別用語なのか、その言葉の背景にはどのような歴史があるのかを丁寧に教えてくださいました。生徒に真摯に向き合ってくださったことを有り難く思いました。そして、知らないうちに差別をしてしまう場合があるということに気づきました。歴史や文化を知らないと、決して公平な見方はできません。知ることの大切さを、ぜひ皆さんにもわかっていただきたいと思います。

 

image

小学生の頃に好んで読んでいた作家は宮沢賢治で、特に『グスコーブドリの伝記』は忘れられない物語です。

二度のスペイン留学を経て

 歴史学を志す前は、将来は語学力を活かして世界で活躍する職業に就きたいと思っていました。東京大学法学部に進んで国際学や国際法などを学び外交官になろうと考えていましたので、高校1年生の時には英会話スクールにも通いました。また、地域に「*1郵便友の会」がなかったので仲間と立ち上げ、海外にいるペンフレンドと英語で文通もしていました。
  ところが、高校3年生の1月に*2東大安田講堂事件が起こり、東大の入試がなくなってしまったのです。そういった理由で東京外国語大学に入学し、そこで出会ったのがスペイン語でした。スペイン語を専攻に選んだ理由は、広く世界で使用されている言語だからです。初めてスペインを訪れたのは、大学3年生の夏です。1年間休学をしてマドリードで学びました。下宿部屋は3畳ほどしかなかったのですが、そこに若者が二人押し込められていました(笑)。あまり快適とはいえない環境でしたが、一生の友人にも出会えましたし、かけがえのない経験となりました。

image

1971年夏、マドリードの下宿の前で。

 

  二度目の留学は大学4年生の時です。就職するか大学院に進学するかで悩んだ時期でもありましたが、一度目の留学でスペインの歴史に関心を持ったので、大学院に行こうと決めました。その前に再度留学をしようと思ったのは、スペイン史に対する知識が足りないと感じていたからです。ちょうど同じ頃、外務省の在外公館派遣員制度ができました。各国の大使館や総領事館の派遣員として2年間働くというものです。私はそれに運よく採用され、再びスペインに行くことができました。昼は派遣員として働き、夜はマドリード大学の夜間授業を受けるという生活をしました。一度目との違いは、スペインの歴史について本格的に学べたことです。スペインの人々は、内戦や独裁政権下において抑圧された生活を強いられていました。一度目の留学でバルセロナを訪れた時「なんて暗い町なのだろう」と思ったのですが、それは独裁政権末期という背景であったからで、それを知らなかった私は大変後悔しました。暗い雰囲気が、バルセロナの土地の気風だと思い込んでいたのです。その地域の歴史や文化を知らずに見たり聞いたりして感じるのと、知った後で体験するのとでは大きな差があります。一人の体験は極めて限られたものです。だからこそ、留学や旅行をする前には、その地域の歴史や文化を学んでほしいと思います。そして、知識と体験を上手に結びつけていただきたいですね。

  *1 郵便友の会…PFC(青少年ペンフレンドクラブ)の前身。1949年、名古屋市内の中高校生
     約600名により、郵便を通じて国内外の友人たちと交流することを目的として発足した。

  *2 東大安田講堂事件…1969年、東京大学本郷キャンパス安田講堂を学生が占拠したことに対し、
     1月18日から19日にかけて大学側から依頼を受けた警視庁が封鎖解除を行った事件。

文化的対応能力のある人間に

 若いうちに、いろいろな体験をしてください。体験を積み重ねることで、知への関心は深まると思うのです。知識だけでも体験だけでもだめです。二つが影響し合うことで「豊かな人間」が育まれることでしょう。そして、ぜひ文化的対応能力を育ててほしいと思います。東京外国語大学の学生たちに対しても願っていることですが、真の国際交流を望むならば、まずは相手の国や地域の歴史・文化の素晴らしさと問題点を知り、それを日本の歴史・文化とクロスさせることができる人になっていただきたいのです。そのためには、いかに日本のことを理解し、それを海外へ発信していけるかが重要となってきます。そこには、体験と知識の両方が必要です。様々な分野に興味を持ち、積極的に関わっていってほしいと思います。

グローバル化社会へ「日本」を発信する大学

 2014年4月、東京外国語大学は「国連アカデミック・インパクト(UNAI)」に加盟しました。これは国連と世界の大学や高等教育機関を結ぶパートナーシップで、世界の760を超える大学・機関が名を連ねています。同大学では、今後、学生が国連憲章や人権の尊重などの10の原則を理解して豊かな教養と専門知識を身につけられるよう、積極的に活動していく計画です。また、2012年よりスタートした言語文化学部と国際社会学部の二学部体制の充実にも力を注ぎます。インタビューの中で立石先生がおっしゃっていたように、グローバル化社会へ「日本」を発信していける人材を育てるために、留学200%達成に向けたサポートなども進めていくとのことです。

 

image

府中キャンパス

Page Top