大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

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わたしの勉学時代

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豊かな自然と歴史・文化遺産に囲まれた新潟県上越市にある、国立大学法人上越教育大学。創設から36年、地域の教育委員会と連携した教育実習や学校ボランティアなどを通して、優れた教育者を輩出し続けています。今回は、2013年4月より同大学の学長となられた佐藤芳コ先生にお話を伺いました。恩師との出会いがあったからこそ見つけられた目標。こんな素敵な出会いを、勉学時代にしたいですね。

仕事一筋の父、元教員の母

 群馬県吾妻郡が私の生まれ故郷です。家は山間の、それほど大きくない集落にありました。幼い頃は、吾妻川で遊んだり、佃煮にするイナゴを捕まえたりしていた記憶があります。イナゴを佃煮にする文化は長野県が知られていますが、私の故郷でも食べました。羽や脚を取って調理する点が長野県とは違いますが、甘露煮にしたイナゴは美味しいですよ。
  父は仕事一筋の人でした。働くことが生きがいだったように思います。仕事場と住居が一緒でしたので、私は昼夜を問わず忙しく働く父の姿を見て育ちました。母は元小学校の教員で、学校での楽しかった思い出や子どもたちの素晴らしさなどを、よく語って聞かせてくれました。今振り返ってみれば、私が教員を目指すきっかけの一つになったのではと思います。

 

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父や母からは「勉強しなさい」と言われたことはありません。

吾妻、六合……地名に隠された歴史や物語に興味を持つ

 私が通った小学校と中学校は同じ敷地に建っていて、今で言う一貫教育校のような環境でした。勉強に関しては、特に中学生になってからは「自分は同級生より勉強ができない」というコンプレックスが常につきまとっていました。「人の2倍、3倍多く勉強しなければ」と思っていたので、各教科の予習復習は怠りませんでしたね。友人たちと勉強会を開くこともしばしばありました。4〜5人が互いの家に集まり、問題を出し合ったり、わからないところを教え合ったりしました。中学生が集まると勉強そっちのけで遊びはじめてしまいがちですが、私たちはそうはならなかったですね。問題を出し合うなど、勉強を半ば遊び感覚で楽しんでいたからかもしれません。
  また、小さい頃から、不思議な読み方をする地名に興味がありました。例えば、私の故郷「吾妻」は、一節には日本神話の英雄ヤマトタケルと彼の妻オトタチバナヒメに由来しているそうです。夫を助けるため、海に身を投げて嵐をおさめたオトタチバナヒメ。その死を悲しんだヤマトタケルが「吾妻はや(我が妻よ)」と叫んだ土地なので、吾妻になったといいます。同じく吾妻郡にある「嬬恋村」も二人の伝説にちなんで名づけられました。また、現在は吾妻郡中之条町に編入合併されてしまいましたが、かつて「六合村」という地名がありました。難解な読み方ですね。これにもちゃんと理由があって、昔、六つの村が合わさってできたためと言われています。それに加えて、古くから「東西南北と天地を合わせて国(六合)」という考えがあり、そこから「六合」となったのだそうです。本当によく考えられた名前ですよね。このように、地名に隠された歴史や物語を知ることが楽しくて仕方ありませんでした。地理や、漢字を学ぶ国語などが得意な教科であったのも、自然な流れだったと思います。

理想とする教師像は中学時代の二人の恩師

 高校は群馬県立渋川高等学校へ進学しました。群馬県は男女別学率全国第一位の県として知られ、渋川高校もまた男子校でした。高校の同級生たちは中学校の時以上に優秀な人物ばかりで、「勉強しなくては」という思いを強くしたのを覚えています。模擬テストでは、全教科の総合得点における校内での順位を知ることができましたので、それを見て「次はもっと上位を狙うぞ!」とモチベーションを高めていました。勉強に熱心に取り組む一方で、実は、進路については明確な目標を持てずにいました。こうしたことも影響したのでしょう。高校卒業後、2年間の浪人生活を送ることになりました。
  予備校に通いはじめた後も、進路ははっきりしませんでした。だからこそ、目標を見つけた時のために、どのような難関大学であろうと合格できる学力を身につけようと決意しました。予備校の寮に住み、ひたすら勉強をする日々。予備校と寮の往復以外で出かけた記憶は、歯科医院くらいでした(笑)。そうした浪人生活の中で見出した目標が、教員です。
  教員になりたいと考えた時、私の中に理想とする二人の先生がいました。一人は、中学1年生の時に担任だった佐藤先生です。何事にも熱心で、それが生徒である私たちにも伝わっ

 

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挫折しそうになるたびに、
素晴らしい恩師と出会い助けられました。

ていました。社会科と技術の授業を担当されていて、こちらが驚くほどのバイタリティがありました。今でも元教え子たちを気にかけてくださる素晴らしい先生なのですよ。もう一人は、同じく中学時代にお世話になった数学の小林先生です。当時は26歳くらいだったでしょうか、若い先生でした。退職された後も、現職の教員を集め教授法などを指導されています。佐藤先生も小林先生も、教員の仕事に誇りを持ち、情熱を注いでおられました。お二方と出会えたことに大変感謝しています。

恩師と出会い、研究者の道へ

 東京教育大学理学部へ進んだ私は、教員免許取得を目標に勉学に励みました。大学院には進まずに就職するつもりだったのです。ところが、それを大きく変える出来事が起こりました。
  私が専門とするのは、自然地理学の一つである水文学です。地下水の場合ですと、その循環を調べ、いかに自然環境を壊さずに効率よく水利用ができるか研究します。湖を調査対象とするのであれば、水の滞留時間のデータを得て、災害などの場合に役立てられないか調べたりします。水に関する科学ですね。私は、大学に進学するまで水文学の存在をまったく知りませんでした。ところが*1山本荘毅教授と出会い「先生のもとで一日でも長く学びたい!」と思ったのです。そして研究者の道を選び、先生を追いかけて*2筑波大学大学院に進みました。ところが1年後、山本先生はご高齢ということもあり、退職されてしまいました。その次に師事した先生も1年で役職に就かれたために研究室を去ることとなり、一人放り出されてしまいました。この時ほど、心細く、途方に暮れたことはありません。何度も何度もくじけそうになり、その度に研究を中断して教員になろうと考えました。ですが、そんな私に手を差し伸べてくださる方々がいたのです。特に、研究の指導をしてくださった榧根教授、研究者としてやっていけるのか悩む私を支えてくださった高山教授には、大変お世話になりました。くじけそうになっても、諦めず、コツコツと研究を続けている私の姿を見て、海外調査チームに推薦してくださった先生もいます。恩師との出会いには、本当に恵まれたと思います。

  *1 山本荘毅…1914〜99年。陸水学者。千葉県出身。地下水水文学の世界的権威であり、地盤沈下や火山山麓の湧水などを研究対象とした。
  *2 筑波大学への移転を機に、1978年東京教育大学は閉学となった。

必要なのは「大きな希望」と「少しの勇気」です

 皆さんには、ぜひ「自分の得意なこと」に気づいてほしいと思います。得意なことは無理やりつくるものではありません。まずは今の自分を振り返ってみて、人よりできることがないか探してみてください。そして、それをさらに伸ばしてみることをおすすめします。自分には何が合っているか、将来どのような道を進めばいいのか、最初からはっきりとわかっている人は、まずいません。試行錯誤を繰り返しながら、ゆっくりと道を見つけていけばいいのだと思います。時には進路を修正する必要も出てくるでしょう。ですが、それでいいのです。柔軟な考え方を持ってください。視野を広げることも必要ですね。国内だけでなく、海外へも目を向けてみてください。海外へ行く機会がなくても、日本を訪れる外国の人々と接することはできます。たくさんの人と出会い、様々な考え方があることを学びましょう。学校や塾での出会いも大切にしたいですね。特に、塾に通う仲間たちとは、互いに競い合い、励まし合いながら目標達成に向けて頑張ってほしいと思います。
  何か新しいことを始める時に必要なのは「大きな希望」です。それに加えて「ほどほどの自信」と「少しの勇気」を胸にチャレンジしてほしいと思います。そして、将来の夢に対して抱く希望は、大きければ大きいほどいいでしょう。希望には、短期の希望、中期の希望、長期の希望の3種類があります。将来の夢は長期の希望ですね。夢を叶えるために資格が必要ならば、それを取得するのが中期の希望です。そして、資格を取得するために毎日コツコツと勉強する中で、「ここまで勉強したら息抜きに遊びに行こう。好きな本を読もう」などと決めた場合、これが短期の希望となります。長期の希望だけ見ていては息切れしてしまうものです。短期の希望を原動力にして、地道に、諦めずに頑張ってください!

外国人児童生徒への修学支援プロジェクト

 上越教育大学では、小学校1年生〜中学校3年生までの「外国につながる」児童・生徒を対象にした修学支援プロジェクトを実施しています。同大学の日本人学生と留学生が、子どもたちの日本での学習をサポートするというものです。L1(母語)の話者である日本人学生と留学生、L2(日本語)の話者である日本人学生が2人または3人のチームとなって支援します。言語の負担が大きな国語、社会、理科が対象で、母語と日本語での教科学習(週1回)の他、夏休み・冬休みの宿題の手伝いも実施。日本人学生たちは、子どもたちとの交流を通して教えることの楽しさ、大切さを学ぶだけでなく、日本語以外の言語を母語とする人々との交流、また社会貢献にも関わることができます。

 

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日本語を母語としない児童・生徒の学習をサポートする学生たち。

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