大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

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大学の学長、塾先生の勉学時代

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わたしの勉学時代

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2012年に開校130周年、そして2013年には移転後100年を迎えた駒澤大学ですが、その起源は江戸時代にまで遡り420年以上もの歴史があります。仏教の教えと禅の精神のもと「行学一如(大学では自己形成を目指す「行」と、学問研究である「学」とは一体である)」を建学の理念として掲げる同大学。今回は、その卒業生でもある学長の廣瀬良弘先生にお話を伺いました。勉学については、ご苦労もあったようです。

台風の被害を乗り越えて

 私の実家があるのは埼玉県北葛飾郡杉戸町です。最寄りの駅は杉戸駅と呼ばれていましたが、1981年に東武動物公園駅に改称されています。駅の周辺は江戸時代の*1宿場町の名残から賑やかでしたが、家の周辺はのどかな田園風景が広がっていました。私が生まれた2か月後には、「*2カスリーン」と名付けられた歴史上稀に見る大災害をもたらした台風が襲来したそうです。利根川や荒川などの堤防が決壊したため、埼玉県だけでなく東京都まで水浸しになりました。実家は寺院だったこともあり、他の民家より床は高く造られていたと思います。それでも水は大人の腰の高さまで達したといいますから、その恐ろしさは容易に想像できます。生まれたばかりだった私は流されていてもおかしくなかったでしょう。命拾いをしました。

  *1 宿場…江戸時代、街道の要所において、公用の伝聞・伝達のための馬を常備したり、事務作業をしたり
     する機能を設けた。休息地としても発達し、宿場を中心に栄えた町を宿場町といった。
  *2 カスリーン…1947年9月に発生した台風。当時の日本はアメリカ軍をはじめとした連合国軍の占領下
     にあり、アメリカ合衆国と同じルールでアルファベット順に台風の名前が決められた。大雨による被害は
     深刻で、死者1077名、行方不明者853名を記録した。

 

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結婚前は看護師をしていた母は、活発な性格でした。地域の集まりにも積極的に参加していました。

父が教えてくれた歴史物語

 父は住職をしながら、地元の中学校で教員も務めていました。もともとは岐阜県の農家に生まれたのですが、勉強をして大学に行けるというので、小学校卒業後に親戚の寺を頼って東京へ出て来たのだそうです。12、13歳頃といえば、まだまだ子どもです。寂しい思いをしたり、つらかったりしたこともあったでしょうが、それを乗り越えた父は、息子の私から見て、物静かでありながら芯の強い人でした。そのように苦労して駒澤大学を卒業し僧侶となった父でしたので、おそらく国語を得意教科としていたと思うのですが、教員時代は数学も教えていました。皆さんは不思議に思うかもしれませんが、教員が不足していた戦後間もない頃は、特に地方では教員不足が深刻で、しばしばそういったことがあったそうです。
  我が家は小さな寺ではありましたが、その起源は江戸時代にまで遡ります。徳川家康の側近の一人だった*3伊奈忠次という人によって創建されました。ざっと400年近くの歴史があります。このような家の事情もあり、また父自身の興味もあったでしょうが、子どもの頃からよく父に歴史物語を聞いて育ちました。幼い頃は「牛若丸」と呼ばれた源義経のことや、『忠臣蔵』で知られる赤穂浪士のことなどについて、寝る前に話してくれました。子どもの私にとって、歴史は魅力的な世界でした。この時の思い出が、後の研究につながっていったのかもしれませんね。

  *3 伊奈備前守忠次…1550〜1610年。戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将。伊奈が行った検地(田畑の面積や収穫量を調査すること)の
     方法を「備前検地」と呼んでいる。

数学の授業を父が担当

 家から小学校までは片道2qありました。その距離を毎日走って往復していましたので、持久力は相当つきました。この頃から長距離は得意でしたね。また、小学生時代はソフトボールチームでピッチャーをしていました。中学校では野球部に入ったのですが、冬は陸上部に呼ばれて駅伝や長距離走の大会などに出場しました。校内のマラソン大会もありましたので、1か月前には練習をしなければと思うわけです。ですが、当時、田舎ということもあってジョギングをしている人など見かけませんでした。今のようにオシャレなイメージもありませんでしたので、日が落ちて薄暗くなった田んぼの中を隠れるようにして走ったものです(笑)。ですが、そうして1か月走り続けていると、長距離走に耐えられる脚が出来上がります。走っている最中に痛くなったり、引きつったりしなくなるのです。「マラソン大会だけは誰にも負けない」と思っていました。中学校の3年間は常に1位でしたし、町内でも私に勝てる人はいなかったのですよ。
  勉強については、まあまあできていたのではないかと思います。父の影響もあり歴史は

 

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父の影響で書道、特に草書を学んだ経験が、大学で古文書を読む際に大いに役立ちました。

得意でした。あまり好きではなかった教科は数学です。歴史や国語などと違いストーリー性のないもので、興味を持てなかったのです。さらによくなかったのが、中学2年生の1年間、数学の担当教員が父になってしまったことでした。親の授業なら成績も上がるだろうと思われるかもしれませんが、とんでもない(笑)。テストで「父に教わっているのだから良い点を取らなければ!」と変に力んでしまい、思うように実力が出せませんでした。翌年には担当が変わり、成績も持ち直しました(笑)。父や母から、勉強について厳しく言われたことはありませんし、家で勉強を見てもらったこともありません。中学2年生の1年間が、父から勉強を教わった唯一の思い出です。

高校は優秀な同級生ばかり大学受験の際も苦しむ

 高校は埼玉県立春日部高等学校に進学しました。明治時代に創設された男子校です。優秀な同級生ばかりで「上には上がいるものだ」と圧倒されました。勉強面で苦しむことも多かったです。テスト結果が校内に貼り出されたのですが、あれが嫌で仕方なかったですね(笑)。ただ一つ、歴史だけは誰にも負けませんでした。一つだけでも強みがあると、それだけで精神的に救われるものだということを知りました。歴史を担当された大河内先生の授業も、明快でポイントが押さえられていて大変わかりやすかったです。後に大学で古文書の史料集を手にした際、その編纂委員の一人に先生のお名前があり、大変感動したのを覚えています。
  大学受験も大変でした。得意な歴史以外、特に理系科目の理解が追いつかずに苦しみました。国立大学も受験したのですが、思うような結果を残せませんでした。実は、物理の問題ができずに苦しむ自分を、今でも時々夢に見てしまうのです。こうした苦労をしつつ何とか乗り越え、かつて父も通った駒澤大学に進学しました。駒澤大学を志望したのは、地理・歴史の中学教員になりたかったからです。得意な教科を活かした職業に就きたいと思っていました。当時「駒大の地歴学科」は、都内でも数少ない学科として有名でした。
  大学時代の生活は、それはもう厳しいものでしたよ。私は、赤穂浪士の墓があることでも知られる泉岳寺(東京都港区)に寄寓(=一定期間他の家の世話になること)していました。朝は4時、冬の間は5時に起床しなければなりませんでした。皆を起こす当番の時には、それよりも前に目覚めねばなりません。その後は1時間を坐禅に、さらに1時間ほど読経を勤めた後で、ようやく朝食という毎日でした。食事後に掃除をして寺を出ると、大学に着くのがちょうど9時頃。夕方のお勤めに間に合うように授業が終わるとすぐに帰らねばならず、余裕はまったくありませんでした。しかし、とても充実した良い経験でした。

一生の宝物を見つけましょう

 私ははじめ教員になるつもりでしたが、大学生活を送るうちにさらに研究を深めたいと思うようになりました。学部の卒業論文を書く際には、九州の寺院を訪ね貴重な史料を直に見せていただきました。手紙を書き電話をして調査に赴くというプロセスは大変でしたが、やりがいがありましたね。たくさんの情報を論理的に組み立て、客観的に追究していく作業を求められるのが大学での学びです。これは、研究者のみならず、社会人として身につけておかねばならないスキルでもあります。
  このような大学での学びに入る準備段階として、皆さんにはぜひ博物館や美術館などに出向き、「本物」に出会ってほしいと思います。その出会いの中から何か興味を持ったことがあれば、とことん追究してください。それが大学での専門分野になるかもしれませんし、結果的に将来の職業につながらなくても、生涯にわたって打ち込める、夢中になれる趣味になるなら、皆さんにとってかけがえのない宝物です。ぜひ大事にしてください。
  それと、私自身学習塾に通った経験はありませんが、だからこそ塾で学習方法を身につけることは大変有意義であると感じています。塾に通っていれば、高校時代は成績に苦しむこともなかったかもしれないとも思います。学校の授業だけではわからない、具体的なテクニックを直に教えてくれる指導者との出会いは、成績アップの近道です。共に勉強に励む仲間がいる空間であることも、モチベーションを保つことにつながります。皆さん、関塾での経験を大事にしてくださいね!

禅文化歴史博物館

 駒澤大学では、2012年、開校120周年記念事業の一環として「禅文化歴史博物館」を開設しました。建物は旧新橋演舞場などを手がけた菅原榮蔵設計の「耕雲館」を利用しています。東京都選定歴史的建造物の保存も目的の一つです。館内は常設展示室、企画展示室、大学史展示室から構成され、曹洞宗を中心とした禅の歴史と文化、大学の歴史などについて、貴重な資料を通し学べる空間となっています。また、博物館学芸員の資格取得を目指す学生のための「博物館学講座」も実施。実物資料を用いた指導の他、展示に関する知識を実際の博物館の中で学べることは大変な魅力ですね。

館内に展示されている一仏両祖(お釈迦さま=一仏、▸
道元禅師と瑩山禅師=両祖)と天井のステンドグラス  

 

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