大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

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大学の学長、塾先生の勉学時代

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わたしの勉学時代

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明治3年創立の岡山藩医学館を起源とし、140年余の歴史を有する国立大学法人岡山大学。現在は11学部、7研究科、1研究所、大学病院、附属学校等を備える日本屈指の総合大学として、地方から世界へ、優秀な人材を輩出しています。今回は、同大学医学部出身の森田潔先生にお話を伺いました。兄弟と学力を比べられたり、学校の成績が落ち込んだりと、勉学時代には様々な
壁を乗り越えられたようです。

優秀な兄たちと比べられて

 岡山県倉敷市酒津という所に、父が勤めていた化学メーカーの社宅がありました。私が生まれたのも、その社宅です。倉敷市といえば、白壁が並ぶ「美観地区」が観光地として人気ですね。すぐ近くを高梁川が流れる酒津の景色を、今でもよく覚えています。い草が高梁川の土手に沿って干され、辺りには田んぼが広がっていました。池で泳いだり、木登りをしたり。楽しい思い出がたくさんあります。小学2年生の時に岡山市へ引っ越したのですが、酒津を訪れるたびに懐かしく思ったものです。今は社宅がなくなってしまって、それは大変残念なことなのですが。
  私は3人兄弟の末っ子で、5歳上と3歳上の大変優秀な兄がいました。私も学校の成績は良いほうだったのですが、兄たちと比べるとやはり劣っていて、親はずいぶんと心配していたようです。父は必死になって、私に「勉強しなさい。このままだと落ちこぼれてしまうぞ」と叱咤しました。仕事一筋、家のことには口を出さない父でしたが、私の成績に関してだけは穏やかではいられなかったようです。中学受験の時は特に熱心でした。兄たちが通う岡山大学教育学部附属中学校(通称:附中)は県内トップの難関校。父は、私の成績では合格は難しい

 

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兄弟3人とも小中高と一緒の学校だったので、先生方からも比べられましたね。兄たちとは仲が良かったですが、同時にライバルでもありました。

と感じていたのでしょう。受験直前まで付きっきりで勉強を見てくれました。熱心に指導する父の姿を忘れられません。

英語は苦手だったが将来は世界で活躍したかった

 今でも毎日欠かさず新聞を読み、日本や世界各国の政治・経済などについて積極的に情報収集をしていますが、小学生の頃から社会科は好きでした。政治、経済はもちろん、地理や歴史も面白かったです。豊臣秀吉や野口英世など、歴史上の人物や偉人の伝記を読むのも楽しみにしていました。他は数学や物理などの理系教科が得意でしたが、国語や英語などは苦手でしたね。なぜ苦手だったかというと、人前で教科書を音読しなければならなかったからです。恥ずかしがり屋で話すことが苦手だった私にとって、国語や英語の授業は高いハードルでした。
  英語は苦手だったのですが、将来は海外で活躍する仕事に就きたいと思っていました。当時テレビで『兼高かおる世界の旅』という番組をやっていて、「この人のように世界中を飛び回りたい」という憧れを強くしていました。世界で活躍したいと思っていたにもかかわらず、苦手な英語を克服しようとしなかったのは、将来の夢と語学の必要性を結びつけて考えられなかったからです。あまりにも英語が苦手だったので、高校3年生の夏休み、心配した母が大阪外国語大学の学生を家庭教師につけてくれました。二番目の兄の友人で、英語がとても出来る人でした。彼は「英単語を覚えなければ英語は上達しない。英単語がわからなければ、問題文からヒントを見つけることすらできない」と言っていたのですが、これは今でも正しいと思っています。

   兼高かおる世界の旅…ジャーナリストの兼高氏がレポーターやナレーター、ディレクター、時にはカメラマンをこなしながら世界160か国をめぐる番組。
     1959〜1990年放送。

テニスに熱中するあまり成績が落ち込んでしまう

 附中には優秀な生徒が大勢集まっていました。また、岡山県立岡山朝日高等学校時代にも頭のいい生徒が何人もいました。同級生と比較して落ち込むことも珍しくなかったです。それから、中学高校時代は、異性に非常にモテました(笑)。こう言っては自慢しているようで恥ずかしいのですが、身長が高かったのと、スポーツはたいていの種目が得意だったことで目立っていたからでしょうか。もしくは、中学、高校と所属していたテニス部の爽やかなイメージのせいかもしれません。ただし、当人にとっては、ひどく恐ろしい思い出なのです。私が何か発言すれば騒がれる、下校をまちぶせされてついて来られるといったことを何度も経験して、すっかり女性が怖くなってしまいました。先ほども申しました通り、恥ずかしがり屋で話すことが苦手な性格でしたので、積極的な相手にどう接すればよいかわからなかったのです。

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高校時代の森田先生

 

 テニス部といえば、私が在学していた当時の朝日高校テニス部は、7年連続中四国大会で優勝、13年連続岡山県大会で優勝という成績を誇っていました。硬式テニス部が少なかった時代だったとはいえ、強豪校であったと思います。練習はもちろん毎日、正月休みすらありませんでした。
  そんな生活を2年続けた後、大変なことが起こってしまいました。成績がどんどん落ちていったのです。2年生の終わり頃の成績順位は、下から数えたほうが早かったと思います。「このままテニスを続けていたら、大学に進学できない」という危機感を抱きました。一番上の兄が、同じく朝日高校でやり投げの選手をしていたのですが、練習に熱心になるあまり受験に失敗したのを見ていましたので、ますます「これではまずいぞ」と思ったのです。3年生の1年間は受験勉強

に集中しようと決心して、テニス部を退部しました。退部後は、とにかくすべての時間を受験勉強に費やすことに。周りからは「今から頑張っても無理だ」と言われていたのですが、私は「そんなことはない。絶対に取り戻せる。合格してみせる!」という自信がありました。「無理だと言う周りを見返してやろう」という気持ちで机に向かっていましたね。おかげで成績も回復し、岡山大学医学部に進学することができました。

麻酔医としてやっていく決意

 長い歴史を持つ岡山大学は、とても大らかな雰囲気で、大変過ごしやすかったですね。一方的に知識を詰め込まれる授業はなく、学生たちは皆自主的に学びました。高校までの授業とは正反対でした。
  当時の医学部生たちは、6年かけて大学を卒業した後、専門としたい領域の教室を選んで入りました。私が選んだのは麻酔科です。外科医を志す場合、まずは麻酔を学び、その後に各自希望する科へと移ります。当然、麻酔科に残る人数より、外科へ出て行く人数のほうが圧倒的に多いわけです。私も初めの2年間は麻酔科で学び、それから外科医になろうと思っていました。ところが、麻酔を勉強しはじめて1年も経たないうちに、自分には麻酔医が合っていると考えるようになったのです。そこで、私は、麻酔・蘇生学教室の小坂二度見先生(後に第10代岡山大学長)に「麻酔医としてやっていきたいです」と伝えました。先生は喜んでくださって、大変かわいがってくださいました。今の私があるのは小坂先生のおかげです。どのような外科手術でも、麻酔医がいなければ成り立ちません。あまり表に出ることはありませんが、縁の下で大活躍しているのが麻酔医なのです。とても魅力的な職業だと思いますよ。

 

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医学部への挑戦は一度だけと父から言われていましたので、受験勉強にますます気合いが入っていたと思います。

 小坂先生には留学を希望していることも伝えていました。留学は簡単にできるものではなく、選ばれるまで待たなければなりませんでした。ところが麻酔科に入って3年目、早い段階でニューヨークの病院への留学のチャンスを回していただいたのです。27歳の時でした。若い時に留学の機会が得られたことは、何にも代えがたい財産となっています。言葉には不自由しましたし、海外の病院と日本の病院の違いに驚くこともありましたが、同時に自分の知識と腕は海外でも通用するレベルであると自信を持つこともできました。小坂先生には大変感謝しています。

「学び」と「遊び」のバランス

 私が大学で学んでいた頃と比べ、現在の医学部生たちは覚えることも多くなり大変だと思います。小中高校生の皆さんにしてもそうです。私の子ども時代よりも、学校に塾にと忙しい毎日を送っていることでしょう。
  勉強は確かに大切ですが、それだけでは広い視野を育てることはできません。外へ出て、力いっぱい体を動かし、「学び」と「遊び」の両方をバランスよく体験しましょう。家でゲームをして得る平面的な体験ではなく、実物に触れてください。川遊びや木登りもいいですよ。保護者の方には、お子さんを外へ連れ出す機会をつくっていただきたいですね。五感を活かした遊びは、学びの糧にもなることでしょう。よく学び、よく遊び、人間力を育ててほしいと思います。

美しく気品あるキャンパスの創成

 気候が温暖で、自然災害も少なく、中国・四国の交通の要所であり、また関西圏へも新幹線で1時間未満という岡山県。岡山大学は学びの環境として優れていると言えます。
  そんな同大学は、現在、森田先生の掲げる「森田ビジョン」を軸に、美しく気品のあるキャンパスへと進化を続けています。津島キャンパスのシンボル・時計台を備えた図書館も2014年春にリニューアル。多目的に利用できるラーニングコモンズや広々とした自習室などを備えています。鹿田キャンパスには、世界的な建築家ユニット「SANAA」設計によるガラス張りが開放的な「Junko Fukutake Hall(通称:Jホール)が昨年秋に完成しました。美しいキャンパスを通して、学生だけでなく、地域の人々との交流の輪も広がっているようです。

 

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「SANAA」が設計したパーゴラ(津島キャンパス)。
パーゴラとはぶどう棚との意味で、学生たちの交流の場となっています。

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