大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

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わたしの勉学時代

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国立大学法人鳴門教育大学は1981年に設置されました。教員を目指す日本の学生のみならず、留学生、国内外の現役教員が、高度で専門的な教育を学ぶ場としても開かれています。今回は、そんな同大学で2010年4月より学長に就任された、田中雄三先生にお話を伺いました。
勉強に励んだ中学時代から一転、病気によって将来に絶望した少年時代の先生は、どのようにして未来を切りひらかれたのでしょうか。

遠足といえば鳥取砂丘

私の生まれ故郷は、山間部にある60戸あまりの農村です。山や川に囲まれ、田んぼが広がっている景色を、今もよく覚えてい ます。少し離れた場所に鳥取砂丘があり、小学校の遠足といえばそこへ行くのが定番でした。雪が積もった鳥取砂丘の眺めもいいものですよ。
砂丘のなだらかな傾斜は、子どもたちがスキーを楽しむのにぴったりでした。
家には、祖母と両親、兄2人と姉、弟と私の8人が同居していて、毎日が賑やかでした。幼い頃の私は大変な“おばあさん子”で、祖母の後をついて回り、姿が見えなくなるとすぐに泣き出してしまったほどです。
父は小学校の教員でした。もともと家業の農家を継ぐつもりで農林学校を卒業したそうですが、戦争が終わって状況が変わったため、教員の道に進むことになったようです。私が通った小学校は、父の職場でもありました。

 

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父がクラス担任になることはありませんでしたが、学校での私の態度は筒抜けでしたので、居心地の悪さを感じることもありました。

やってみなければわからない

小学校に入学して初めて、集団で教育を受けることになりました。ところが、私は保育園や幼稚園に通っておらず、集団行動の経験がありませんでしたので、「授業は先生の話を聞くものだ」ということが理解できなかったのです。1学年1学級27人の小さな小学校でした。1年生で一番背の高かった私は、教室では後ろの席でした。隣に座っていたのは、仲良しのヨウイチ君です。
私たちは先生の話を聞かずに、私語をしたり、時には席を立ったりもしました。このことは当然父の耳にも入るわけです。ある日、父は家族の前で「今年の新入生の中で、私語をしたり席を立ったりして、授業を真面目に受けない者がいるそうだ。担任の先生が大変困っておられる」と告げました。父は「それはお前のことだ」とは言いませんでしたが、私のことを遠まわしに注意しているのだと何となく感じ取りました。
それから徐々に授業を受ける姿勢を理解していき、1年生を終える頃にはすっかり大人しい児童になっていました。

そんな1年生の3学期のことです。冬の学芸会で、私たち1年生は劇を演じることになりました。担任の先生は、私にある役を演じるようにと言いました。台詞が40個以上もある大変な役です。私は「こんなにたくさんの台詞は覚えられません」と訴えましたが、聞き入れられませんでした。
その日の下校時、絶望感がどんどん大きくなって、とうとう家の前で大泣きに泣きました。そんな私を出迎えた母の「やってみなければわからない」という言葉は、今でも忘れられません。「本番まで2か月あるから、台詞を1日1個か2個ずつ覚えていけば間に合うだろう」というアドバイスもあり、私は役に挑んでみようと思いました。母のあの一言は、その後も人生の岐路に立つたびに力をくれました。ただ、台詞が覚えられないと泣いた私のことを、
父が「お前の名前はユウゾーではなくナクゾーだな」と言って笑い、しばらく家族にからかわれたのには困りましたけれど(笑)。

勉強に自信をつけた中学時代

田舎の小学校から、1学年380人の町の中学校に進学した私に、自信を授けてくださった恩師がいます。中学1年生の時のクラス担任です。数学を担当されていました。算数が得意だった私にとって、先生が数学担当であることは心強かったですね。中学校では、テストのたびに生徒の模範解答が教室に貼り出されました。その一つに、期末テストで私の答案が選ばれたのです。 嬉しくて自信になったのを覚えています。
中学2年生の時には英語にも興味を持ちました。きっかけは、兄から借りた英文法の参考書です。参考書を読んで、英語は論理的にとらえると理解が進むことがわかりました。また、この頃から実践していたのが、夏休みが終わるまでに全教科の教科書を読み切るという勉強方法です。教科書の全問題を解いておいて、2学期以降は先生から教わる内容と答え合わせをしました。 授業が復習の場になるわけです。また、最初に自分の力だけで問題を理解しようとするので、
問われていることの本質を発見しやすくなります。この方法で相当学力がついたと感じていましたし、勉強には自信を持っていました。この頃の私には「東京大学へ行き、将来は会社の社長になって家族に楽をさせてあげたい」という夢がありました。ですが、その夢は無残にも粉々に砕かれてしまいました。中学3年生の秋に肺結核を患ってしまったのです。深い悔恨におそわれました。

 

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私は作文が大嫌で、小学校で出された作文の
宿題で「きらいな作文」という題で書いて提出したことがあります(笑)。

病を乗り越え、医者の道へ

肺結核のため、私は2年半の療養生活を余儀なくされ、手術も2度受けました。そのため、肺の片方はほとんどありません。肋骨も4本ほど切除しなければなりませんでした。絶望感にさいなまれましたが、闘病を続ける同じ年頃の仲間たちのおかげで変わることができました。退院後は医者や弁護士を目指すと言う彼らに、私は驚かされました。自分は一生懸命勉強をしてきたけれど、「会社の社長になろう」と思うだけで、将来の職業を明確に思い浮かべたことがなかったからです。
このことがきっかけで職業について強く意識するようになり、大学の医学部で学んで医者になろうと決意しました。こうして私の志の方向、志向は定まったのです。あとはそこへ全力投球するのみだと思いました。
退院後は高校入学を果たしましたが、授業が合わず、2年生の4月に退学を決意しました。ところが、退学の意志を示したものの、クラス担任は受け付けてくれませんでした。追い詰つめられた私は、苦しさから逃れるために家出を決行しようと思いました。医者になる道も諦め、世の中のわずらわしいことすべてから解き放たれて自由になりたいと思ったのです。1か月ほど自活できるよう準備をして、中国地方きっての大都市である広島市へ向かいました。職業安定所に行って仕事を紹介してもらい、寮に住み込んで1週間ほど働いたある日、父と兄が迎えに来てくれました。
ちょうどホームシックになりかけていた私は、父に「高校を退学させてくれたら家に戻る」と告げました。そうして、独学で大学入学資格検定試験(大検)に挑戦することになったのです。

 

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少年時代の先生(上写真・右側)と大学生の時の先生。

志向さえ定まれば大丈夫

再び大学入学を志した私は、オリオン社の通信添削を受けることにしました。月2回テスト問題が送られてきて、それに解答をして郵送するシステムでした。毎回添削が返って来るのが待ち遠しかったですね。添削者による的確な赤ペン指導に、知的好奇心がどんどん膨らんでいきました。
答案に一言「excellent!(優秀だ!すばらしい!)」と添えてあると、私のことをこれほど認めてくれる人がいるのだと胸が高鳴ったものです。
大検については、初めは2年がかりで受けようと考えていました。教科数が多く、とても1年ですべての教科を合格できないと思ったからです。ところが、そんな私に母は例の呪文「やってみなければわからない」を唱えました。それに後押しされ、「ダメでもともと、自分の力を信じて全教科受けてみよう!」と決意。懸命に勉強をした結果、思いがけず1年目で大学受験資格を得ることができました。そして、その年、私は大学受験をし、合格することができました。
私は精神医学を専門としています。心の問題を解決する仕事であり、様々な人の、様々な人生に関わってきました。その中で、特に若い患者さんの将来に対する悩みは深刻です。病のせいで就職できないのではないか、結婚したり子どもを授かったりできないのではないか。絶えず悩みの中にいます。私は彼らに「就職しても結婚しても大丈夫」と言ってあげられるように、様々な患者さんの心の病に関する膨大なデータを集め研究を続けてきました。
そして、サポート体制がしっかりできていれば、結婚も出産も大丈夫という成果を得ることができました。
多くの人が将来に対する不安を抱えています。きっと皆さんも同じはずです。まずは志向を定めてください。若い皆さんは、やる気とエネルギーに満ち満ちていることでしょう。その若い力をどの分野に活かしたいのか、将来何をしたいのか、未来の世界はどのような姿になっているのか、ぜひ考える機会を持ってください。エネルギーを向ける先が定まれば、半分は成功したと思っていいでしょう。あとはそこへ全力投球するだけです。志向さえ定まれば、うまくいかないことがあっても、必ず道を切りひらけることでしょう。かつての私がそうであったように。

夢を持つ人が集う大学

鳴門教育大学では「教員になりたい!」と強く願う人に対して、広く門戸が開かれています。同大学が実施する「長期履修学生制度(学校教員養成プログラム)」では、3年間大学院に在学し、学部及び大学院(修士課程)の授業科目を同時に履修して教員免許を取得できます。熱意さえあれば教員(幼稚園教諭、小学校教諭、中学校教諭)になる道がひらけます。留学制度にも力を入れています。特に、教育発展途上である東南アジア地域からの学生、現役教員の受け入れに積極的です。日本の優れた教育を伝えると同時に、日本の学生にとっても海外へ目を向けるいい機会となっています。また、同大学では「エコアクション21」を導入し、学生や教職員が一丸となって環境問題に取り組むことで、よりよい教育・研究環境づくりを目指しています。

 

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