大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

目標を決めたら! 始めよう!タイムスはいつでも君の味方です!

メールフォームでも受付中

関塾TIMES

今月のタイムス

関塾タイムス特集記事

大学の学長、塾先生の勉学時代

関塾タイムス・イラストギャラリー

タイムス編集部だより

関塾

KANJUKUTIMES

tel06-6241-5050

〒541-0056
大阪市中央区久太郎町3-4-30
船場グランドビル六階

関塾

>>バックナンバーはこちら

image

わたしの勉学時代

image

1874(明治7)年に設置された教員伝習所を起源とし、140年以上もの歴史を持つ国立大学法人大阪教育大学。グローバル社会においてますます重要視される教育現場はもちろん、多彩なシーンで活躍できる人材の輩出に力を入れています。今回、そんな同大学で2014年4月より学長に就任された栗林澄夫先生にお話を伺いました。文学との出会いで“学びへの渇望”に目覚めたという先生の勉学時代とは……?

戦争を生き延びた両親

私は終戦の3年後、富山市神通町で生まれました。その名の通り、そばを神通川が流れている町です。今は北陸新幹線の富山駅がすぐ近くにあります。戦国時代から塩を商い約500年続く栗林家は、もともと神通町から数q離れた場所にありましたが、そこで空襲に遭った家族は、神通町に逃れていたのです。
幸い家は焼かれず、私が5 歳の時に戻りました。戦中、父は満州国(現在の中国東北部)の鉄道会社で機関士をしていました。大連からハルビンまでの約950qを結ぶ特急列車「あじあ号」を操縦していたそうです。日本が敗戦した後は、命からがら帰国船に乗ったと聞いています。
父が生きて戻って来られたのは、中国の人々のおかげでした。深い傷を負い動けなかった父を、戸板に乗せ運んでくれたのだそうです。日本人だとわかれば殺されるか、捕まるかという状況で「この人は中国人だ」と嘘をついてまで助けてくれたといいます。それは、戦時中、多くの日本人が中国人を差別していたのに対して、父は彼らに平等に接していたからだったと聞いています。

 

image

帰国後、父は機関士を辞め会社員となりました。多趣味な人で、若い頃はビリヤードのプロにならないかという誘いもあったほどでした。

映画館通いと小学校の恩師

私は、お世辞にも“いい子”とは言えなかったと思います。小学校の中学年頃からは映画に夢中で、「具合が悪くなった」と嘘をついて早退を繰り返しては映画館に通っていました。
具合が悪いはずなのに走って学校を出て行っていましたから(笑)、担任の先生はすぐに嘘を見破っていたはずです。
それでも、その場で怒って引き留めなかったのは、私の性格をよくわかっておいでだったからでしょう。後日、先生は私一人を呼び出し、集団生活において規則を守ることの大切さなどを説かれました。時間を置いて注意してくださったことで、私は自分の行いを冷静に反省できました。
また、嘘をついたことを直接咎められたわけではありませんが、先生が何を伝えたかったのかを理解しました。クラスメイトにわからないようこっそり注意してくださったことも、私が傷つかないようにというご配慮だったのでしょう。この時の担任が、小学3年生から6年生までお世話になった九里ミヨシ先生です。先生は、私だけを特別扱いしていたわけではありません。
子どもたち全員の個性を尊重し、それぞれの長所を伸ばそうとしてくださいました。大変印象に残っている、私の恩師です。
小学校時代、高学年になるとクラスの男子はほとんどが科学者に憧れていました。私も、エディソンやニュートン、野口英世などの伝記を読んでは胸を躍らせたものです。また、運動も得意でしたので、世界で活躍するオリンピック選手たちにも関心を持っていました。

 

image

看護師だった母が夜の勤務で不在の時は、父が夜遅くまでテスト勉強をする私を見守っていてくれました。

中学校では野球部に入部しました。小学生の頃から同級生たちよりも体格が一回り大きく、クラス担任でもあった顧問の先生も期待されていたようです。ところが、入部後すぐに急激な成長期が始まり、歩くたびに踵が痛くてたまらない状況になってしまいました。通学にも苦労するほどで、やむを得ず退部。先生にはひどく怒られてしまいましたが、仕方のないことでした。
1年間ほど足の痛みに耐え、それが治まった頃から、地域の中学生が集まる体育大会に出場するようになりました。中学2年生頃からだったと思います。きっかけは体育科の先生からの誘いでした。私が通っていた中学校には陸上部がありませんでしたので、大会には運動神経のいい生徒が何人か選ばれ、出場していたのです。何度か大会に出場するようになったある日、先生から「今度の大会で新しく競技に加わることになった三段跳びに出場しなさい」と言われました。
私の足が速いこと、垂直跳びが得意であることなどが理由だったようです。私も初めて挑戦する競技で、よくわからず、あまり構えずに引き受けました。ところが、3日間練習しただけで出場した大会で、なんと日本記録までもう少しというところまでいってしまったのです。後々はプロの競技選手になれたかもしれませんが、その道は選ばずに高校へ進学しました。

文学と出会い”学びを渇望“

小学校から高校まで、総じて学校の勉強についてはあまり熱心ではありませんでした。学校の成績は良いほうだったと思いますし、国語や英語、物理なども好きでしたが、積極的に勉強しようという気が起こらなかったのです。ところが、中学時代にロシア文学と出会い、学校の勉強とは違う “学びを渇望”するようになりました。
もともと活字が好きで、芥川龍之介や森鴎外などの作品に親しんでいました。海外の作家でよく読んでいたのはコナン・ドイルやアガサ・クリスティ、オー・ヘンリーなどです。しかし、ロシア文学には、それまでとは比べ物にならないほど熱中しました。有名な『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などを書いたドストエフスキー、『戦争と平和』のトルストイをはじめ、戯曲『どん底』などを手がけたゴーリキー、『かもめ』などで知られる劇作家・短編小説家のチェーホフなど、様々な作家の翻訳本をむさぼるように読み漁ったものです。作品だけに飽き足らず、作家の残した手紙、物語に出て来た領地の範囲についてなど、中学から高校時代にかけつぶさに調べました。

 

image

運動会で表彰される小学5年生の栗林先生(列の2番目)。他の同級生よりも体が一回り大きかったそうです。

それでもまだ「学び足りない、もっと知りたい」と思い続けました。まさに“学びへの渇望”です。進路についても当初は早稲田大学でロシア文学を専攻するつもりでした。ところが、家庭の事情により地元の国立大学である富山大学しか志望できなくなってしまいました。富山大学ではロシア文学を学べません。大変残念ではありましたが、高校の3者面談で「ロシアとドイツは関係の深い国同士。ドイツ文学から見たロシア文学の研究という道もあるのではないか」と先生からアドバイスを受け、「そういう道もあるのか」と納得してドイツ文学を学ぶ決意をしました。
富山大学での学びの環境は、大変恵まれていたと思います。特に、ドイツ語を母国語とする講師が招かれていたことは幸運でした。おかげで教授からも感心されるほど語学が上達でき、現在までの研究生活においても大いに役立っています。ドイツ語学者の関口存男の参考書も、語学力アップの手助けになりました。
ドイツ語、ドイツ文学の研究を志している方は、名前を覚えておくといいでしょう。ロシア文学を学べずに一度は挫折を経験しましたが、それでも研究を続けてこられたのは、ドイツ文学に対しても「学び足りない、もっと知りたい」という“学びへの渇望”を持ち続けることができたからです。大学の学部時代に初めて渡独したものの、一緒だったドイツ人の先生に「あとは1人で過ごしなさい」といきなり放り出されて大変な思いもしましたが、それも今ではいい思い出です(笑)。

夢中になれることを見つける

現代社会において、教育現場はますます重要になっています。特に、私の九里先生との出会いのように、小学校時代の経験は子どもたちの人格形成に大きく関わってくることでしょう。
大阪教育大学の学長として、教員を目指す学生には、人間としての基本をしっかりと教えられるようになってもらいたいと思っています。学力を身につける教育も大切ですが、何よりも“教え子たち自身が物事を判断し道を切りひらく力”を教えることが大事ではないでしょうか。
また、グローバル化が叫ばれて久しい世の中では、子どもたちにとっても海外は身近な存在であると思います。当然、教育現場においてもそれを無視することはできません。そこで重要になってくるのは、語学力以上にコミュニケーション力です。
それを育むことができる教員になってもらえるよう、当大学では様々な取り組みを行っています。
また、『関塾タイムス』読者の皆さんには、コミュニケーションを通して夢中になれることを見つけてほしいと思います。これは私が経験したことですが、小学校時代は仲のいい友人たちと集まって「今日の授業ではここが大事だった」「この難しそうな問題を解いてみよう」などと言い合っていました。そうした中から、それぞれが興味関心を持つ分野を見出していたのです。関塾の教室には、切磋琢磨し合える仲間や、勉強以外の相談にも応じてくれる先生がいることでしょう。
そんな仲間や先生との交流の中から熱中できる“学び”が見つかったなら、これほどすばらしいことはないと思います。

教員の人間力と国際力

インタビューの中で栗林先生にお話いただいたように、大阪教育大学では、全人教育、そしてグローバル社会に対応できる人材の輩出に力を入れています。特に、国際化に対応できる語学力、海外の教育について知る機会などを得ることは、これから教員を目指す学生にとって重要です。
同大学には、40校を超える海外の交流協定締結校があります。イギリスのロンドン大学教育研究所、チェスター大学、スウェーデンのリンネ大学、 アメリカのイースト・カロライナ大学など、世界のハイレベルな教員教育を受ける機会があり、また留学生の派遣や受け入れを通しての国際交流も実現しています。学生時代に海外で友人をつくるという目標を持つのもいいでしょう。交流協定締結校はまだまだ増える予定だそうです。
楽しみですね。

 

image

大阪教育大学の柏原キャンパス

Page Top