大学の学長先生の勉強時代のインタビューを掲載。

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大学の学長、塾先生の勉学時代

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わたしの勉学時代

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人文学部、地域教育文化学部、理学部、医学部、工学部、農学部の6学部から成る、国立大学法人山形大学。
1万人にもおよぶ学生が通い、山形市、米沢市、鶴岡市に4つのキャンパスを構える、東日本有数の規模を誇ります。今回は、そんな同大学のご出身であり、2014年4月に学長に就任された小山清人先生にお話を伺いました。働かなければ学べなかったという先生の勉学時代、ご紹介しましょう。

働くことが当たり前だった

紀伊半島のほぼ南端にある小さな港町が、私の故郷です。太平洋に面していて、町のほとんどを山地や林地が占めています。山と海に挟まれたわずかな平地に、民家が建ち、鉄道が通っていました。漁業と林業を営む家が多かったです。漁業は特に盛んでした。
子どもの頃、エサを集めて魚釣りをしたり、山や川に罠をしかけて鳥や獣、ウナギなどを獲ったりしたものです。手に入れた物は、火をおこして焼いて食べました。今思うと、新鮮な食材を存分に味わえて大変贅沢でしたが、当時は常に空腹だったのです。
夏休みなどになると、このようにして友人たちと一緒に昼食を摂っていました。
私は父を知らずに育ちました。父は船乗りで、人生の大半をフィリピンやインドネシアなどを巡りながら生活していたそうです。母は工事現場で力仕事をして生計を立てていました。働いて家業を助ける子どもが珍しくなかった時代です。私も小学生の頃から母を手伝うようになり、中学生になると週末や長期休暇に大阪まで出てアルバイトを始めました。
働くことが当たり前だと思っていました。

 

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小さい頃、ポケットにはいつもシイの実が入っていました(笑)。食べる物がない時は、ニッキの木の根を採って来て、口に入れていました。

「高校に行ってみたい」奨学金を借り、進学することに

小さい頃から、将来は高校へは進学せずにアメリカへ行くつもりでした。父方の大伯父がアメリカ・カリフォルニア州でレタス農場を経営していたからです。中学校を出た親戚の子どもたちが、渡米して大伯父のもとで皿洗いや子守をしていました。
私も周囲から「お前もいずれアメリカへ行くんだよ」と言われていましたので、そういうものだと思っていたのです。
その一方で、中学校に入ると勉強の面白さがわかるようになってきました。算数が苦手だったのですが、中学生になると数学が得意になりました。そのきっかけを今でもよく覚えています。算数では□を使った式を学びました。数量のわからないもの・未知数を空欄□にして計算していく方法です。
私は、この空欄の意味がよく理解できずに難しいと感じました。ところが、それと同じことを、数学では空欄□ではなく代数Xを用いる方程式として学習しました。すると、途端にすっきりと理解できたのです。何がわからないのかが明確になったことで、複雑に考える必要がなくなりました。
Xが魔法の文字に見え、感動しましたよ。 以降、数学がどんどん楽しくなりました。
母には、子どもの頃から厳しく躾けられました。母一人子一人の生活でしたので、父親代わりもしなければと思っていたのかもしれません。「勉強しなさい」とは言われませんでしたが、宿題をせずに『鉄腕アトム』や『赤胴鈴之助』などのマンガに夢中になっていると注意されたものです。
そんな母も、息子を高校へやろうとはまったく考えていなかったと思います。高校へ進学する子どもは、学年の半数ほどという時代でした。
ところが、高校進学など眼中になかった私に転機がありました。中学3年生のある時、担任の上村先生が我が家を訪ねて来られ、私と母の前に資料をたくさん広げて「奨学金の応募資料を持って来ました。お母さん、奨学金をいくつか借りてでも、息子さんを高校に行かせてあげてください!」とおっしゃったのです。先生は、私は高校へ行って勉強を続けたほうがいいと、お考えだったようです。話がのみ込めずにキョトンとする私に、母は「清人、どうする」と問いました。気づけば、私は「行けるなら、行ってみたいな」と答えていました。

働きながら高校生活を送る卒業後は中学校の教員に

母は、高校進学に条件をつけました。一つは「奨学金はいくつも借りると返済が大変になるだろうから、一つか二つにすること」、それと「仕送りはできないから、生活費は自分で稼ぐこと」の二つです。中学校を出たばかりの息子に自立をしろと言ったわけですが、私は当然のこととしてこれを受け入れました。義務教育を終えたら母に頼るのはまちがいだと思っていたからです。
そうは言っても、高校生活を送りながら生活費を稼ぐのは大変です。その点、私には恵まれた出会いがありました。実際に借りることになった二つの奨学金のうち一つが、地域の志のある方が支援してくださる「小山奨学会」の奨学金でした。念のため申し上げておきますが、この奨学金の貸出人の小山さんと私は関係ありません(笑)。その小山奨学金の面接審査を、田辺市の教育委員長で歯科医でもあった辻本先生が担当されていました。
この辻本先生から、奨学金の審査に通った後で、「歯科医院の2階の部屋が空いているから、そこで寝泊まりをしなさい。夜間の警備員として居てくれないか」という申し出があったのです。進学することになった和歌山県立田辺高等学校は、実家からだと片道1時間半ほどかかったので、これほど有り難い話はありませんでしたね。こうして、学校の近くにタダで住むことができ、歯科医院を手伝うなどしてお世話になりました。
そんな辻本先生から頂いた「チャンスは天からたくさん降って来る。それをつかめるかどうかは、本人の努力次第である」という言葉は、ずっと私の心に留まり続け、後々まで影響を受けました。
田辺高校には優秀な生徒たちが大勢いました。彼らの成績には、どうやっても追いつけませんでしたね。東京や関西の大学への進学を志す同級生たちとは違い、私は今度こそ就職をしなければならないと思っていました。公務員を目指し、今で言う国家公務員一般職試験(高卒程度)に合格。いくつかの大学から職員にならないかと誘いが来ました。進路を迷っている時、小学時代の担任で和歌山県の教育委員会にいらした古田先生から、山間部の中学校へ数学の教員として来てくれないかと言われました。教員免許がないことを伝えると、代用教員(資格を持たない教員)として働きながら通信教育で取得すればいいというのです。そうして、高校卒業後、私は白浜町立三舞中学校の数学の教員になりました。

同僚たちのすすめで大学進学へ

中学校の代用教員だった時期は半年ほどです。4月に働き始め、10月の運動会の後で辞めました。その間は学校の宿直室で寝泊まりをしていました。歳の近い生徒たちと過ごす時間は楽しかったですね。ただ、当初は通信教育で教員免許を取得しようと思っていたのですが、同僚の先生方からは「大学に行ったほうがいい」と言われました。
同じように通信教育を経験した先生がいらして、その大変さが身にしみていらしたようです。高校時代、大学に行く同級生たちを心のどこかでは羨ましく思っていたこともあり、改めて大学進学を目指すことにしました。そして自力で勉強をし、模試で実力をはかりながら受験に挑んで、山形大学に合格したのです。故郷を離れることになった時も、母は何も言いませんでした。
自立した子どもには口出しをしないという姿勢は、大変尊敬しているところです。
山形大学では工学部の繊維工学科で学びながら、アルバイトもたくさんしました。3年間必死に働いて、大学4年生の1年間と、大学院修士課程の2年間の生活費を貯めることに成功しました。繊維工学は、初めは専門用語だらけでまったくわからなかったのですが、その「わからない言葉を知る楽しさ」に気づけたので、勉強を続けることができたと思います。
また、この分野はものづくりと密接に関わっています。そこにもやりがいを感じました。実験も楽しかったです。わくわくしました。私が取り組んだ実験の素材はプラスチックです。プラスチックを溶かして小さな穴に通すと、細い糸状になります。その強度などを調べるのですが、こうした作業を研究者時代もずっと続けてきました。勉強でも実験でも、「なぜ?」と思えること、わくわくできることを見つけられたのはよかったと思います。

 

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三舞中学校では数学を教えました。教員の数
が圧倒的に足りなかった時代、私のように資
格を取得していない代用教員も勤めていました。

自分にできることを精一杯する

私は今、子どもの頃に思い描いていた未来と、まったく違う道を歩んでいます。自分の思い通りになったことなど、これまでの人生でほとんどなかったのではないでしょうか。二転三転する環境の中で、落ち 込むこともたくさんありました。
そんな時でも、「今、自分にできることを精一杯がんばろう!」と考え、行動してきました。そうするうちに、逆境もいつしか変わるも のです。関塾生の皆さんも、挫折に負けず、今の自分にできることに精一杯取り組んでください。
また、保護者の皆様には、子どもたちを信じて見守ってあげてください。母は私を厳しく躾けましたが、大事な場面では一個人として接してくれました。「清人の人生なのだから好きなようにしなさい」と言ってくれました。そのことには大変感謝をし、
今も尊敬しています。子どもたちは時に失敗をしますが、それを乗り越え、必ず立派に成長をします。それを信じてあげてほしいと思います。

山大の基盤教育

山形大学では、全学部において、入学したての1年生を中心に、大学での学びの基盤となるカリキュラム「基盤教育」を導入しています。必修科目の「スタートアップセミナー」では、オリジナルテキスト「なせば成る」を使って情報収集、討論、発表、レポート作成など、大学で存分に学ぶための基本的なスキルを身につけます。
また、地域の歴史や文化、自然、産業など山形の魅力を体験的に学習する機会もあり、論理的思考力、コミュニケーション力、チームワーク、市民としての社会的責任等を身につけます。2年次以降は、専門科目を学びながら新たな視点で教養科目やキャリア科目などを学びます。
しっかりとした学問の基礎を身につけ、将来、社会に出たときに力強く生きることのできる力?「人間力」の基盤をつくる。それが山大の基盤教育です。

 

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「基盤教育」では、通常の講義のほかにフィールドワークやグループワークを行う科目などもあり、幅広い分野、多彩な開講形態で、約900もの科目が開講されています。

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