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昔も今も大人気! 戦国武将たちの逸話

現在、戦国時代に活躍した武将たちが、ドラマやマンガ、ゲームなどの登場人物として大人気ですね。実は、この戦国武将ブーム、江戸時代や明治時代にもあったのです。彼らの遺した数々の武勇伝は、軍記物語につづられ、歌舞伎や浮世絵などを通して人々に親しまれました。
その中でも、人気の武将につきものなのが逸話です。本人の死後に書物に書かれたり、人づてに広まったりした話も多いのが、この逸話というものです。事実だった可能性が高いものもありますが、中には武将が亡くなった100年以上後に書かれた話もあります。
その真偽はともかく、彼らのキャラクターを想像するヒントとなる“意外なハナシ”がたくさん伝わっています。逸話を通して当時の様子を思い描いてみると、歴史が面白く感じられるはずですよ。

 

冷酷非道の天下人・信長?

織田信長(1534~ 82 年)といえば、豊臣秀吉、徳川家康と並ぶ戦国時代の超・有名人です。信長が指揮をした戦いでは、今川義元の大軍を打ち破った桶狭間の戦いや、火縄銃を用いて武田軍に勝った長篠の戦いなどが有名ですね。また、城下では楽市・楽座の政策をとって市場の税を免除するなど、経済を活発にするしくみを作ったことも知られています。
その一方で、言う事を聞かない比叡山延暦寺を焼き討ちにしたり、将軍・足利義昭を京都から追い出して室町幕府をほろぼしたりと、「冷酷非道の天下人」と言われることも多い人物です。ところが、そんな信長のイメージからは、ちょっと想像できないような逸話が残されています。

その一つが、信長は、お酒よりも甘い物が好きだったというもの。ある時、宣教師ルイス・フロイスから贈られた金平糖に大喜びして、以後はお気に入りになったそうです。
また、戦で家来が死んでしまった時は、涙を流して悲しんだ話も伝わっています。情に厚い武将だったようです。働いて疲れた領民たちをねぎらうため、祭りを企画した話も伝わっています。その祭りで、信長は天女の姿になり、踊りを披露して人々を喜ばせたそうです。
気さくな一面もあったようですね。

 

フロイスの手紙によると、彼はフラスコに入れた金平糖を信長に贈ったのだそうです。

あまが池の大蛇

愛知県名古屋市に蛇池神社があります。信長がまだ若かった頃、この神社の「あまが池」に、恐ろしい大蛇が出るという噂がありました。
噂によると、大蛇は、鹿のような顔をして、星のように目をキラキラと輝かせ、真っ赤な舌を持っているといいます。それを聞きつけた信長は、翌日さっそく池へと出かけて行きました。そして、噂の大蛇を見物するために、人々に命じて池の水を汲み出させました。
ところが、汲んでも汲んでも水はいっこうになくなりません。がまんできなくなった信長は、自ら池に飛び込こんで蛇を探しましたが、見つからなかったそうです。好奇心旺盛で、何事も気が済むまでやる信長の性格を表している逸話です。
信長のこのような逸話を記録しているのが、太田牛一の『信長公記』という書物です。太田は信長に仕えていた人です。 誰かから伝え聞いた内容があったり、誇張して書かれたところがあったりしますが、信長に直接仕えた人の記録として、信用度の高い資料とされています。

イライラすると爪を噛む癖

戦乱の世を終わらせ、260年あまり続く江戸幕府を開いたのが徳川家康(1543 ~1616年)です。関ヶ原の戦いでは石田三成らを破り、大阪の陣で豊臣氏をほろぼしました。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」はあまりにも有名ですね。これは、信長や秀吉の下でじっとがまんを続け、ようやく天下を手にした家康の、しんぼう強い性格を表しています。
ところが、家康は、「実は短気だったのではないか」と言われているのです。そんな彼の性格を表す、癖についての逸話が残っています。

家康は、戦いの時、ピンチになるとイライラして爪を噛んでいたそうです。関ヶ原の戦いでは、「仲間を裏切って味方になる」とひそかに約束をしていた敵の武将・小早川秀秋が、いつまでたっても味方しないので、腹を立てた家康は爪を噛んでいた逸話が伝わっています。また、家臣が止めるのも聞かずに勝ち目のない大軍めがけて突っ込み、敗走したエピソードも残っています。
そんな家康に従った人の多くは、三河国(愛知県東部)出身の武士たちでした。彼らは“三河武士”と呼ばれ、勇猛果敢で義理堅く、団結力が強かったそうです。仲間の支えがあったからこそ、家康は天下人になれたのでしょう。

 

家康が激怒したエピソードもいくつか残っています。怒りっぽい性格だったのかも。

健康マニアの家康

時代劇などで、「健康マニア」の家康が薬を調合している場面を見ることがあります。
1603年、征夷大将軍に任命され江戸に幕府を開いた家康は、60歳を過ぎていました。しかし、大阪では、いまだに豊臣氏が大きな力を持っていたため、これをほろぼすためにも長生きをしようと思って、薬を飲んでいたようです。健康に良いとされる漢方について調べ、自分のための薬を作っていたのだとか。薬箱や、薬草などをすりつぶす薬や研と呼ばれる道具など、家康が使ったとされる物が今も伝わっています。健康には大変気を遣っていたようです。そのおかげか、家康は、大阪の陣で豊臣氏がほろびた翌年、75歳(満73歳4か月)で亡くなりました。
一説には、この頃の平均寿命は30歳半ばから後半だったそうなので、当時としてはかなりの長寿であったと言えます。薬の調合の他にも、家康にはたくさんの趣味があったようです。鷹を放って獲物を捕まえる鷹狩、囲碁や将棋なども好きだったと伝わっています。

口数が少ない穏やかな武将

真田幸村は、後の世で、軍記物語や講談などを通して広まった名前です。本名は真田信繁(1567~1615年)といいます。他の武将からも「日本一の兵」などと讃えられるほど強かったそうです。大阪の陣では、豊臣氏の味方となり、徳川家康に「もうだめだ!」と思わせるほど追い詰めるまでの戦いぶりでした。
今も昔も人気の武将だけに、びっくりするような伝説がいくつも残っています。例えば、信繁には影武者(本人にそっくりの身代わり役)がたくさんいて、大阪の陣で討ち死にしたのは、そのうちの一人だったという話があります。信繁本人は戦いを生き延びたというのです。信繁には生きていてほしいと願った人たちが、そのような話を創って語ったのではないかと言われています。

そんな、勇猛果敢な豪傑そのもののという感じの信繁ですが、兄の信之によると「弟は、穏やかな性格でしんぼう強く、口数も少なかった」ようです。また、信繁は焼酎が大好きで、「壺にいっぱい焼酎を詰めて送ってください。(焼酎がこぼれないように、 気が抜けないように)壺の口をしっかり閉じて送ってください」とお願いする手紙が残っています。
のんびりと、一人静かにお酒を楽しむ人だったのかもしれませんね。

 

ふだんは穏やかな信繁が、戦では別人のように強い。そのギャップが魅力かもしれません。

歴史を楽しむ一冊

歴史に登場する人物や、現代の著名な人物について紹介しています。それぞれの人物が行ったことや有名なエピソードなどを、イラストや4コマ漫画などを通して知ることができます。
年表や人物相関図など、歴史の流れや出来事を整理するのにピッタリの情報も掲載。今回紹介したように、よく知っている人物の意外な一面や、数々の名言、クイズ形式で知る豆知識など盛りだくさんです。
各章末と巻末には、中学入試対策の問題がついているのも嬉しいですね。楽しみながら読み進めることができるので、歴史好きはもちろん、歴史が苦手という人にもおすすめの一冊です!

 

『歴史人物できごと新事典』
監修:下向井龍彦/
増進堂・受験研究社

 

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