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わたしの勉学時代

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九州大学は、江戸時代の1867(慶応3)年に設置された、黒田藩の西洋医学教育機関「賛生館」を起源に持つ国立大学です。現在、新しいキャンパス「伊都キャンパス」への移転も着々と進んでおり、“日本とアジアの知的交流拠点として世界レベルの研究・教育を展開しています。
今回は、同大学のご出身であり、2014年10月に第23代総長に就任された、久保千春先生にお話を伺いました。

活発で負けず嫌いな少年

私の生まれ故郷は、鹿児島県の“北薩”と呼ばれる地域です。そばを流れる川内川で、
友人たちと一緒に泳いだり、魚を獲ったりして遊びました。幼い頃の思い出は、美しい水辺の風景と深くつながっています。私は、自分で言うのもなんですが大変に活発な子どもで、
めんこやビー玉などの勝負事やチャンバラごっこが大好きでした。いつも年下の子どもたちを後ろに引き連れ、遊び回っていたことを思い出します。負けず嫌いなところもあり、争い事が苦手な4歳上の兄とは正反対の性格でしたね。
父は皮膚科医で、鹿児島市内に診療所を構えていました。実家からは少々遠かったので、高校に入学して鹿児島市に移り住むまでは、父とは離れて暮らす日々でした。
休日になると鹿児島市まで会いに行き、医師の仕事も間近で見ていたことを覚えています。子どもの頃「医師になりたい!」とは思っていませんでした。一方で、成績優秀だった兄は、早くから医学を志そうと決めていたようです。
父は大変面倒見が良く、沖縄からやって来た人たちに、積極的に宿を提供するなどしていました。沖縄が日本に返還される前は、鹿児島との行き来に時間がかかり、途中で宿が必要だったのです。世話好きの父は、一時沖縄に住んでいたこともあり、その縁もあって進んで手助けしていたのでしょう。母も大変優しい人でした。私が学校のテストで良い成績を持ち帰ると、とても喜んでくれたのを覚えています。

 

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めんこやビー玉遊びが大好きで、兄が友人に負けて取られためんこを、取り返して来たこともありました。

高校入学後、学習姿勢に変化

私は早生まれであったため、他のクラスメイトと比べて体が一回り小さく、小学校低学年の頃は思うようにいかないこともしばしばありました。だからといって落ち込むことはなく、いつも力いっぱい遊んでいました。活発なうえに口達者で、あまりにもよく話すものですから、学校の先生にも注意されていたほどです。父からは「お前は弁が立つから、将来は医師ではなくて弁護士になったほうがいいよ」と言われる始末(笑)。父は、私に医師は向いていないと考えていたのかもしれません。
兄は非常に成績が良く、地元で有名でした。学校では兄を知っている先生から、しばしば「きみが、あの久保くんの弟か」と言われたのを覚えています。私はといいますと、夏休みの宿題を最終日までやっていなくて、毎年のように兄に手伝ってもらいながら何とか終わらせていました(笑)。
そんな私の勉強に対する姿勢が変わったのは、鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校に進学した後です。玉龍高校は、各学年に特別進学クラスを設置していました。中学校で上位の成績をキープしていたので、高校でも当然のように特進クラスに振り分けられ、その中でも10位程度の学力があるだろうと、 少し甘い考えをしていました。ところが、実際に入ると、私の成績は特進クラスの中でほとんど最下位。正直「こんなはずではなかった」と驚きました。そこから一生懸命に勉強を始めました。中学校時代、テスト勉強を一夜漬けで乗り切っていたことを思えば大きな変化です。
先生の厳しい指導のもと、これまでにない勉強量をこなしたのを覚えています。そして1年後には成績上位に。嬉しかったですね。
ところが、いよいよ受験勉強という時になって、思いもよらなかったことが起こってしまいました。

「治療法を見つけよう!」不治の病にかかり奮起

高校3年生の6月、私は腎臓を患いました。病名は慢性腎炎。現在は研究が進み、様々なことがわかってきていますが、当時は不治の病と言われていました。症状がひどくなれば人工透析にも通わなければならず、高額な治療費がかかります。
一生付き合っていかなければならない病気と知って、私は「このままではいけない」と思いました。「治療法がないなら、自分で研究して見つけよう!」と奮起、医学部を目指そうと決心したのです。
病気になった時は、不安でたまりませんでした。食事療法の影響でひどく痩せてしまった自分を見て、「ひょっとすると死ぬかもしれない」という恐怖が込み上げました。そんな時、私を支えてくれたのは家族です。
はじめ病院から「場合によっては腎臓移植が必要かもしれない」と告げられたのですが、母は迷うことなく「もしそうなったら私の腎臓を使ってください」と言ってくれました。その言葉に母の深い愛情を感じ、落ち込んでいた気持ちが楽になったのを覚えています。
兄は「お前の学力なら、受験勉強をしなくても鹿児島大学の医学部に入学できる。今はゆっくり療養しなさい」と励ましてくれました。当時、兄は鹿児島大学の医学部に進学していましたので、その兄が言うならまちがいないだろうと安心できました。
父は、病気についていろいろと調べてくれ、薬を取り寄せて飲ませてくれました。「私には家族がついている」と思えたからこそ、病気と闘いながら前向きに進路を検討できたのだと思います。
約2か月半の療養生活を経て、9月から学校に復帰しました。運動は控えたほうがいいと言われていましたので、制限はありましたが受験勉強をする分には差し支えありません。これまでの遅れを取り戻そうとがんばっていたところ、先生から「この成績なら、九州大学の医学部にも合格できそうだぞ」と言っていただきました。
それならばぜひ挑戦しようと思い受験をし、無事に合格。実家を離れるにあたり、食事療法についての心配はありましたが、母方の叔父が福岡県に住んでいましたので、そちらでお世話になることにしました。兄や兄の友人からの激励もあり、下宿の決心がつきました。周りの環境に、本当に恵まれていたと思います。

 

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夏休みの宿題は、日記や課題の習字もほとんど手つかず。きっと泣きながら兄に手伝ってもらっていたのでしょうね(笑)。

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心と社会を考える医学へ

大学入学後も、やはり運動は控えた生活を送りました。所属していたのは囲碁部です。まったくの初心者だったのですが、集中して取り組んだおかげで、1年後には初段を取ることができました。毎月のように上達が実感できて嬉しかったですね。
子どもの頃から勝負事が好きでしたし、数手先を読む囲碁は大変面白いと感じました。
入学当初は、内科医になって腎臓の研究をするつもりでした。自分の病気を治すためです。ところが、大学2年目の終わり頃、急に症状が改善したのです。食事療法が良かったのか、父から処方された薬が効いたのか原因は定かではありませんが、驚くと同時に嬉しかったですね。医学を志した当初の目的が少し変わり、ストレスが関係する病気を診療する心療内科へと関心を向けるようになりました。病気を抱え、生死について深く考えた経験が役立つのではないかと考えたからです。
また、当時は*大学紛争など、日本社会が非常に不安定な時期でもあり、人の心や社会問題が病にどう関わっているのか研究したいと思いました。 全国で初めて精神身体医学研究施設ができたのが九州大学です。心療内科を学ぶ環境は十分に整っていました。2年間臨床研修の後、免疫学を中心に心身相関の基礎医学を9年ほど研究し、その後アレルギーの臨床を学び、心療内科に戻りました。

*大学紛争…大学と学生が対立状態になること。大学闘争ともいう。特に1960年代後半は高校や予備校まで闘争状態になった。これらを総称して学園紛争とも呼ぶ。

会話を大切にしましょう

私が専門とする心身医学は、人の心や社会の問題が、体にどのような影響を及ぼすかを研究する分野です。うつ病や摂食障害、気管支喘息、アトピー性皮膚炎など、様々な病が心と密接に関係しています。
心の病は、最近になって、ようやく世間に広く知られるようになりました。高校生の患者さんを何人も診てきましたが、心の病を抱えている当人が、それにまったく気づいてい ない場合も多かったです。彼らは心を固い殻で覆ってしまい、心の内面をさらけ出せないでいます。
親に遠慮して本音を言えない子どもも大勢います。摂食障害になって“病人”という役割を得て、親の関心を引いたり、両親の仲を保とうとしたりする子どもの症例も少なくありません。
家庭や学校、塾での会話は大切です。はじめは本音が言えなくても、少しずつ言葉にできるようになるかもしれません。話を聞いているうちに、相手の考えていることがわかってくることもあるでしょう。それでも、心に何か問題があると感じた時は、迷わず専門の医師に相談していただきたいと思います。
心の病は決して恥ずかしいことではありませんので、家族だけで抱え込まずに、プロのケアを受けてほしいと願っています。

九大の基幹教育

九州大学では、2011年10月に「基幹教育院」を設置。幅広い分野で活躍できる人材を育てるため、学部と大学院において、一貫した教育システムである「基幹教育」を展開しています。学生たちが自らの専門性を深く学ぶことはもちろん、文系・理系問わず様々な知識を得られるような環境が整っています。
新たな知識や技能を得ることで、「ものの見方・考え方・学び方」を知り、未知の問題を積極的に解決していける力を養ないます。

カリキュラムは、大学で学ぶ意義を考えるセミナーをはじめ、語学、哲学や文学、数学や情報科学、健康やスポーツについて、幅広く質の高い学びを網羅しています。分野ごとの課題へのアプローチ方法を学び、グローバル社会に活かせる能力が身につきます。
世界レベルの教育拠点である同大学において、九大生の土台となっているシステムです。

 

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