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わたしの勉学時代

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聖フランスシスコ・ザビエルの「日本に大学を」の願いに基づき誕生した上智大学は、2013年に創立100周年を迎えました。多様なネットワークが構築される現代社会において、世界の研究・教育機関と優秀な人材を結びつけることに力を注ぐ同大学では、学生のグローバルインターンシップにも積極的です。今回は、そんな同大学の第15代学長である早下隆士先生に、お話を伺いました!

海と“ 鬼の洗濯岩”が遊び場

早下の姓は大変珍しく、ほとんど私の親戚筋に限られているようです。ルーツは定かではありませんが、私が調べたところによると宮崎県に北方村(現在は延岡市北方町)がありまして、そこの早下という地名と関わりがあるのではないかと思っています。私は宮崎市で生まれました。海が近く、南国らしい雰囲気に溢れている市です。青島という小島があり、周囲には“鬼の洗濯岩”と呼ばれる独特の海岸が広がっています。小さい頃はよく海水浴をして遊んだものです。一日中海にいて、帰りは鬼の洗濯岩の間でウミニナを獲りました。ウミニナは小さな巻貝で、茹でて食べると美味しいのですよ。様々な学年の友達が集まって遊ぶ光景も、私が子どもの頃は珍しくありませんでしたが、今ではほとんど見かけません。残念ですね。年下の子どもたちをまとめたりしながら、学ぶことも多かったように思います。

 

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早下には神楽(神様に奉納する歌舞)が伝わっていて、歴史のある土地だったと推察されます。

バレーボールとの出合い

公務員だった父の転勤について行き、小学4年生から中学2年生までを西東京市で過ごしました。兄と妹もおりましたし、それほど寂しくはなかったのですが、カルチャーショックは大いに受けました。中でも、方言が通じなかったことが一番の驚きでしたね。
宮崎では物を片付けることを「なおす」と言うのですが、それが相手に伝わらなくて戸惑ったことをよく覚えています。
それでも、わりとすんなりと東京の生活に慣れ、友達もすぐにたくさんできました。
父に似て穏やかな気性なので、相手から接しやすいと思ってもらえたのかもしれません。転校後すぐに学級委員長を任されるなど、まとめ役になることも多かったです。最終学年では児童会長も務めました。
 そんな私が、母がきっかけとなって始めたことがあります。バレーボールです。母はいろいろな趣味を持つ女性でしたが、
当時はママさんバレーボールチームに所属していました。チャレンジ精神旺盛な母は、私にも好きなことを存分にさせてくれました。
そして、母に女子バレーボールの日本代表チームの試合や*春高バレーなどに連れて行ってもらううちに興味を抱き、中学校ではバレーボール部に所属。練習に打ち込こむようになりました。他にも、小学生時代には武蔵野の警察署の道場で柔道を学びました。また、東京にいた頃は、カトリック吉祥寺教会の日曜学校にも通っていました。教会では、ミサの手伝いもしていました。
八ヶ岳でのキャンプなど教会でのイベントはとても楽しく、今でも記憶に残っています。
*1970~2010年は全国高等学校バレーボール選抜優勝大会、2011年以降は全日本バレーボール高等学校選手権大会の略称。

自分の実力を信じて勉強

中学2年生の夏休みに宮崎へ戻りました。
宮崎の公立中学校では高校受験に力を入れていて、最初は戸惑った覚えがあります。
夏休み明けすぐの実力テストの結果が非常に悪く、500人いた学年の中で下位のほうでした。思いもしなかった得点に、私は危機感を抱きました。そして「自分の実力はこんなものではないはずだ。もっと上の順位を狙えるはずだ」と奮起、日々の授業の予習復習に力を入れるようになったのです。すると、ぐんぐんと成績が上がっていきました。一気に100番ずつ成績がアップしたのは嬉しかったですね。授業を大事にすることで、目に見える成果を得られました。テストの結果が悪かった時、「自分の実力はこんなものではない」と思えた力の源は、両親の教育方針にあります。両親は私を「あなたは頭のいい子だから、自分を信じて頑張りなさい」と言葉がけをしながら育ててくれました。おかげで、多少のことでは挫けない自信を得ることができたと思っています。
 受験に際しては、宮崎県立宮崎大宮高等学校を志望しました。県内で最も伝統のある進学校で、チャレンジするのに申し分のない目標でした。ただし、大宮高校に合格するためには、上位の成績を常にキープする必要がありました。特に、転校後の学校では学習進度が進んでいたので、取りこぼした単元を独学で補うことが大変でしたね。
このような努力を続け、念願の大宮高校に合格することができました。

 

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失敗や試練は、自分をレベルアップさせるチャンスでもあります。自分を信じて努力を続ければ、必ず道は開けます。

2人の恩師と無二の経験

大宮高校は県下でトップを争う進学校でしたので、同級生たちも大変優秀でした。
中学校では成績上位だった私も、高校1年生の時はテストで100位以内に入ることすら容易ではなかったです。そこで、数学の理解を担任の湯浅先生に手助けいただきました。毎週土曜日の夜、私を含めた数人の生徒が、先生のご自宅に集まり勉強会をしていました。各々が問題を解き、わからないところは指導していただくという感じです。たまに先生から難問が出されましたが、これに挑戦するのが楽しかったですね。
私は、勉強会では主に教科書の予習をしました。中学時代もそうでしたが、予習をしておくと余裕が出て、先生の話に集中できます。おかげで、みるみるうちに成績が上がりました。何か一つでも教科に自信が持てると、他の勉強にも良い影響を与えます。
私にとって「誰にも負けない!」と思えた教科は数学でした。湯浅先生の勉強会は、とても充実した学びの場でした。
 高校でも、中学時代同様バレーボール部に入りました。ところが、高校1年の3学期に事件が起きました。先輩方が全員辞めてしまったのです。受験勉強に集中するためという理由でした。残ったのは1年生の15人ほど。そして、私がキャプテンを務めることになりました。試練はさらに続きます。キャプテン就任直後、順天堂大学の体育科から倉本先生がやって来られ、バレーボール部の顧問になってくださいました。大宮高校の卒業生でもあったこの先生が大変厳しい方で、私たちに毎日ハードな練習を課しました。それに耐えきれなくなった部員たちが辞めていき、とうとう4人にまで減ってしまったのです。これでは練習に
ならないし、当然試合にも出ることができません。しかし、残った私たちは、先生が指導される練習法が理にかなっていることを十分に理解していましたので、つらい練習にも耐え抜こうと決意しました。
 そして2年生の春、即戦力になる頼もしい後輩も入り、大会に出場できる人数がそろいました。練習にもますます力が入り県の大会ではベスト8まで勝ち進むことができたのです。つらくても背を向けず努力を続ければ、次につながる結果が得られることを実感できた貴重な経験でした。

 

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高校のバレーボール部員と。
後列中央が早下先生。

失敗も成功の肥やし

勉強が苦手な子どもは、頭が悪いのではなく、方法がわからないだけです。指導者からしっかりとした勉強方法を学べば、誰でも成績を上げることができると思います。そのためにも、予習をして、授業中は先生の話に集中できる環境をつくることができるといいでしょう。 そして、スポーツとの両立もぜひ実現していただきたいですね。つらい練習、悔しい思いなどを乗り越えた時、必ず自信につながります。そして、その自信は勉学にも良い影響をもたらすはずです。“失敗も成功の肥やし”です。様々な経験をして、力をつけてくださいね!

グローバルインターンシップ

上智大学では、グローバル企業や国際機関の日本代表支部、国際協力団体、報道機関、シンクタンクなどと協定を結び、学生たちのインターンシップ(就しゅうぎょう業体験)を実じっ施し しています。特に、グローバルインターンシップでは、国際協力機構(JICA)や国際協力推すい進しん機構(APIC)、国連難民高等弁べん務む 官かん事務所(UNHCR)などの国際機関の他に、共同通信社やトムソン・ロイター、在日ブルキナファソ大使館など、グローバル社会の最前線で活躍する場での体験を用意。インターンシップに参加した学生たちは、大学で学んだ専門知識や技能を世界の舞台でどう活かすのか、また世界で活かつ躍やくするために大学で何を身につけるべきかなどを考える、良いきっかけになっているようですよ!

 

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共同通信社 ワシントンD.C.支局での
実習の様子

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