- わたしの勉学時代
関西学院は、キリスト教主義による全人教育を理念として生まれ、現在は8つのキャンパスに幼稚園から大学院、インターナショナルスクールを擁する総合学園です。2017年度には創立150周年となる2039年へ向けて超長期ビジョンを策定し、様々な課題に取り組んでいます。スクールモットーは“Mastery for Service”(奉仕のための練達)。2014年4月より学長を務める村田治先生も、この言葉に惹かれて関西学院大学に入学されたそうです。
【村田 治(むらた・おさむ)】
1955年生まれ。東京都出身。博士(経済学)(関西学院大学)。
80年3月関西学院大学経済学部卒。82年3月同大学大学院経済学研究科博士課程前期課程修了、85年3月同後期課程単位取得退学。89年同大学経済学部助教授、96年より教授。2002年教務部長、09年経済学部長、12年高等教育センター長と歴任し、14年4月に学長に就任。17年、20年に再任、現在3期目。17年より中央教育審議会委員を兼務。専門は理論経済学。
生まれは東京ですが、3歳から大阪、南河内地域の松原市で過ごしましたので、根っからの関西人です。父と母のもとに、双子として生まれたのですが、兄は早くに亡くなり、一人っ子として育ちました。やりたいことを自由にのびのびとさせてくれる家庭でしたね。外遊びやスポーツが好きで、活発な子どもでした。木の枝でチャンバラごっこをしたり、木の上に基地を作ったり、やんちゃで遊んでばかりいました。その一方で読書も大好きで、学級文庫の本は全て読んでいました。
勉強については、算数・数学が昔から好きでした。中学1年の定期テストで、良い成績がとれて名前を掲示されたのですが、遊んでばかりだったので勉強ができるとは誰も思っていなかったようで、それを見た友人たちに「同姓同名がおるぞ」と言われてしまいました(笑)。ですがその後、父を交通事故で亡くし、そのショックと母が働き出したことによる生活の変化で勉強も手につかず、成績もどんどん下がってしまいました。時間が経つにつれて持ち直しましたが、中学3年の時、進路指導で「ここだったら行けるだろう」と言われたのはかなり低いランクの学校でした。そこから奮起して受験勉強をがんばり、最終的には学区のトップ校を受けても大丈夫と言われるまでになりました。ですが、「家から近い方が部活とかいろんなことができるよ」と母に勧められ、確かにそうだなと思って、家から歩いて10分ちょっとの大阪府立生野高校に進学しました。
高校時代に打ち込んだのは、部活動と、自治会での学生運動です。2年の時、自治会の議会議長を務めて制服自由化を推進、約1年間の議論の末に半年間の制服自由化試行期間を勝ち取りました。反対する先生方に渡り合うために、友人たちと議論を重ねたり、古今東西の様々な書物を読んだり。この時の経験は非常に有意義なもので、今の私を形成する基盤にもなっています。
ただ、こうした活動に打ち込むあまり、勉強はほとんどしていませんでした。それでも最初の成績は悪くなく、2年の1学期にはクラスで1番の成績がとれました。そこで、もう適当にやっても大丈夫だと思ってしまい、全く勉強をしなくなりました。そのせいで、2年の3学期にはクラスで下から2番目の成績になったのですが、それでも京都大学など国立大学に受かるだろうと思っていました。3年になってから、苦手科目を避けていたのが悪かったのだと思い、苦手な英語を克服するために先生に勉強方法を聞きに行ったら「中学1年からもう一度やり直してみるように」と言われて、教科書などを引っ張り出して全てやり直しました。しかし、結局2年浪人しても国立大学に受かることはできず、関西学院大学に入りました。
関西学院大学を選んだ理由は3つあります。まず、スクールモットーの“Mastery for Service”(奉仕のための練達)に惹かれたことです。アレクサンドル・デュマの小説『三銃士』に出てくる“One for all, all for one”(一人は皆のために、皆は一人のために)という言葉が好きだったので、通じる部分があっていいなと思いました。
次に、奨学金制度が充実していたことです。母に金銭的な負担をかけられず、予備校時代からずっと学費と生活費を自分で稼いでいたので、奨学金がないと大学に通えませんでした。そのため、関東の私学は視野に入れておらず、関西の私学の中で奨学金制度、特に支給型の奨学金が最も充実していた関西学院大学を選びました。
それと共に、学びたかった経済学に関して、研究内容が充実していたことです。学生運動をしていたので、経済学部への進学はかなり早くから決めていました。当時の学生運動は*マルクス主義の影響を強く受けていて、社会の基盤になっているのは経済だという考え方の基本になっていました。そこで経済学について図書館で調べていると、関西学院大学の先生の著書が圧倒的に多く、しっかりと研究をされているのだと感じました。
以上の3つの理由から進学先を決めたのですが、こうした自分の価値観や生き方を形成するのに最も大きな役割を果たしたのは読書です。好奇心旺盛で、推理・冒険小説、SF、詩集、哲学・心理学書など、幼い頃から現在まで常にあらゆる分野の本を読み、様々なことを学びました。
*カール・マルクス(1818~1883)。ドイツの哲学者、経済学者。科学的社会主義の創始者であり、資本主義から社会主義へと至る歴史発展の法則を明らかにするマルクス主義を唱えた。著書に『共産党宣言』、『資本論』など。
大学入学後、中学・高校とも同級生だった友人とたまたま会いました。彼は現役で大阪大学に合格していて、私の進学先を話したところ、「2浪して国立大学に行けなかったのは情けないだろう」と言われました。馬鹿にされたわけではなく、真剣に心配してくれての言葉だったので、心に重くのしかかりました。中学の時は彼より成績が良かったので、高校3年間でついてしまった差を痛感し、大学4年間をどう過ごすかで一生を決定するような大きな差になると思いました。
だからこそ、大学では勉強をしようと思い、自分に対してのリベンジとして大学院に進学することを決めました。このまま就職しても、国立大学出身者にコンプレックスを感じてしまい、使いものにならないだろうと思ったのです。当時、文系の院卒は就職先に困ることも多かったため、母は許してくれたものの、恩師の森本好則教授には「まずは考え直せ」と言われました。ですが、コンプレックスを克服するための目標だったので決意は変わらず、やはり進学を選びました。
進学しても研究者になろうとまでは思っていなかったのですが、研究生活は充実していて大変楽しかったですね。森本教授は、イギリスのオックスフォード大学で博士号をとられた大変優秀な学者で、人格的にも立派な素晴らしい方でした。私にとっては理想の父親像でもありました。研究面では本当に厳しく、他学部の先生にも「森本先生のもとで鍛えられたなら間違いない」と言われるほどでした。研究に打ち込んでいるうちにいつの間にか、ドクターコースに行くことになり進学しました。ドクターコースが終わると大学に残る形となり、今に至っています。
関西学院大学では、2つのことに同時に挑戦する「ダブルチャレンジ制度」を設けています。自分の学部・専門分野に加えて、他学部での学びや留学での国際交流など異なる分野に挑戦する制度です。研究とは、ひとつのことを突き詰めるものという印象を持っている人が多いと思いますが、実はそうではありません。私も最初はそう思っており、様々な分野に興味のある私が本当に研究者に向いているのかと疑問もありました。ですが、研究を重ねるうちに、結局ひとつのことだけをしていたのでは駄目だとわかりました。同じことだけをしていても新しい発想は生まれませんし、異なる分野に挑戦することで、グローバル社会で求められる「主体性」や「多様性への理解」などを高められます。
また、スクールモットーの“Mastery for Service”(奉仕のための練達)は、世界人類に貢献するために自分を鍛えなさいということです。私自身も大学に入った時、今の自分には力がほとんどないと感じました。学生運動を通して、社会とはそう簡単には変わらない、社会を変えようとしても自分に力がないといけない、ということも実感していました。だからこそ自分を鍛えようと強く思いましたし、皆さんにもそうあってほしいと願っています。
そのために大事なのも、やはり様々なことに挑戦することです。苦手でもやってみると案外楽しいこともあります。勉強でも、90点とれる得意科目よりも50点しかとれない苦手科目の方が点数の伸びしろが大きく、効率的に自分を成長させることができます。そして様々なことの中から自分の好きなことが見つかれば、人生を豊かにすることができます。
そしてもうひとつ、自分と他人を比べないこと。自分を信じることが大事です。比べてしまうと、自分はここまでしかできなかったけど、相手はあそこまでできているなどと考えてしまい、自分の成長を実感することが難しくなります。そうではなく、昨日に比べて今日、今日に比べて明日と、過去の自分と比べて成長しているかどうかを価値基準にしてください。皆さんには、自分の可能性を信じて、常に新しいことに挑戦し、成長し続けられる人になってほしいと思います。