- 今月のタイムス特集②
11月3日の文化の日を含む1週間、毎年11月1日~7日は「文化財保護強調週間」です。文化財に親しむことを目的に、歴史的建造物や美術工芸品の特別公開、伝統芸能の発表会などの様々な行事が開催されています。
ですが、文化財保護と言われてもなんだかよくわからない、という人も多いのではないでしょうか。そこで今回は、仏像や絵画などを修理している京都国立博物館文化財保存修理所を訪ねて、文化財を守るとはどういうことなのか、お話を伺いました。
文化財がどのように守られてきたのかを知れば、これまでとは見え方が違ってくるはずです。日本の歴史や文化を改めて見直し、身近にある文化財に目を向けてみましょう!
文化財とは、長い歴史の中で守り伝えられてきた貴重な国民的財産のことです。お寺や神社などの建造物、絵や彫刻などの美術品といった形のあるもの(有形文化財)が代表的ですが、能や歌舞伎などの形のないもの(無形文化財)、地域のお祭り、美しい風景や歴史的な街並みなども含まれ、かなり広い意味を持つ言葉です。
文化財保護法によって、これらの文化財のうち、優先して守っていくべきものが指定されます。有形文化財であれば、重要なものが重要文化財、重要文化財の中でも特に価値の高いものが国宝として指定されます。無形文化財であれば、重要無形文化財が指定され、その保持者が人間国宝と呼ばれます。他にも様々な指定があり、いずれも文化財を国全体で守るために定められたものです。
文化財保護法は、1950(昭和25)年に制定された法律で、文化財の保存と活用をもって、国民の文化的向上と世界文化の進歩へ貢献することを目的としています。保存とは適切な状態で保管すること、活用とは一般の人々に展示・公開することです。文化財を未来にわたって守り伝え続けていくためには、大切に守ること、その魅力を多くの人に伝えること、そのどちらもが必要なのです。
そして、保存と公開の両立には、長期的な見通しのもとでの文化財の保存、予防と修理を的確に行うことが欠かせません。博物館では、文化財を収集、調査して、温度や湿度などの様々な条件を最適に整えて損傷を防ぎます。しかし、日本の文化財は、木・紙・絹など自然由来の比較的弱い素材のものが多く、どんなに適切な環境で管理しても、自然劣化を完全に止めることはできません。その対策として修理があります。文化財の状態に合わせて、適切なタイミングで修理を加えることで自然劣化を少しでも遅らせることを目指すのです。
絵画は文化財の中でも代表的なもので、屏風、襖絵、掛け軸などの様々な種類がありますが、絹に岩絵の具で描かれた掛け軸は、最も修理が大変なもののひとつです。掛け軸は、まず絵が描かれた本紙があり、その裏側に裏打紙を貼り付け、周囲に裂を取り付けて、ひとつの作品が成り立っています。本紙には紙や絹が使われ、絹の場合、裏からも色が塗られていることがあります。修理の際、裏打紙を取り除いて新しいものにしますが、一気に剥がしてしまうと本紙の裏に塗られた絵の具も一緒に剥がれてしまいます。そうならないように、ピンセットを使って丁寧に裏打紙を取り除いていかなければならないのです。判断力、注意力が求められる非常に繊細な作業で、時間も手間もかかります。
紙に文字が書かれている文化財、お経や歌集、手紙や日記、帳面などの中には虫食いが激しいものがあり、これも修理が大変です。裏側から別の紙を1枚貼り付けるだけなら簡単なのですが、そうすると倍の厚さになってしまいますし、虫食いとの段差からまた剥がれてしまうこともあるため、その方法はとれません。虫が食った穴に同じ形の補修紙を貼って、一つひとつ丁寧に穴を埋めていかなければならないのです。ただ、以前は虫食い穴を上からなぞって形を写しとって紙をちぎっていくしかありませんでしたが、現在では穴の形をスキャンしてデータ化し、その形の通りに補修紙を漉いて作ることができるようになりました。とはいえ、一つひとつ埋めていく手間は同じで大変な作業であることに変わりはありませんが、技術の進歩はこのような形でも活かされています。
例① 国宝 蓮池水禽図 俵屋宗達筆 江戸時代 17世紀 京都国立博物館蔵
俵屋宗達の最も優れた水墨画として知られる作品で、朝靄を思わせるようなほのかな光と、しっとりした空気感が画面に深い奥行きを生み出しています。
POINT
修理時の調査により、料紙が竹紙であること、またその表面に何らかの液体が厚く塗布され、平滑となるよう加工されていることが確認されました。宗達得意の「*1たらし込み」に必要な下地処理と見られます。
例② 御簾松文様小袖 江戸時代 17世紀 京都国立博物館蔵
御簾と松の文様を*2絞り染と刺繍で表した作品で、文様で空間を覆うような構図は元禄年間(1688〜1704)に見られるものです。
POINT
黒地に白い粒で表現される御簾部分が、粒に沿って線状に裂けていたため、黒地部分に補修裂をあて、生地が伸びないよう注意しながら繕いました。着物をほどいた際に墨書が発見され、製作状況の一端が明らかになりました。
*1塗った墨や色が乾かないうちに他の色をたらしてにじませる日本画の技法。宗達が始めたとされる。
*2糸でくくったり、縫い糸を引き絞ったりして生地の一部を隠し、染料の染み込まない部分を作って文様を表す、染織の代表的な技法。
京都国立博物館保存修理指導室の福士さんと、修理工房・光影堂の大菅さんに、文化財保存修理所の今後や文化財の未来についてのお話を伺いました。関塾生の皆さんへのメッセージもいただきましたよ!
──文化財保存修理所は今年で開所40年を迎えられたのですね。当時と比べて文化財を取り巻く環境は変わったのでしょうか?
福士さん「以前は、京都市内に点在する民間の工房に文化財を運ぶなどして修理をしており、火災や盗難などのリスクがどうしても避けられませんでした。そこで、万全の環境で修理ができるようにと設置された施設ですが、修理の技術そのものを保護するという目的もあります。文化財の修理は、博物館では常に行いますが、一般家庭にも掛け軸などがあるような時代ではないため、技術の断絶や後継者不足といった問題が起こっています。これは開所当時から変わらない状況ですね。」
大菅さん「当時は公営としては初の施設でしたが、現在は各国立博物館に同様の施設があります。ですが、全国的に見てもここで働く技術者は多く、国内はもちろん、海外からも技術を学びに来るため、人材育成にも力を入れています。」
福士さん「ただ、先駆性が故に、一般の方に公開できる構造にはなっていません。近年開館の九州国立博物館などは工房がガラス張りになっていて、外から修理の様子が見学できます。40年前は想定されていなかったことですが、やはり理解を深めてもらうには実際に見てもらうのが一番です。」
大菅さん「技術者としては、常に見られていると作業に集中できないという問題もあるので、バランスを取りながら、様々な形で情報を発信できるようになればと思っています。」
──関塾生の皆さんへのメッセージをお願いします。
大菅さん「日本の文化財は伝世品と言って、人から人へ伝えられてきたものが多いです。遺跡を掘って土の中から出てきた出土品なら海外にも古いものがありますが、土に埋まることなく大切にされてきた伝世品で、これほど多く古いものが残っている国は、日本をおいて他にありません。」
福士さん「優れたものは放っておいても残ると思っている人がいますが、そうではなく、文化財とは守ってあげないと残らないものなのです。」
大菅さん「今まで大切に守られてきたものを失うわけにはいかない、少しでも良い状態で次の世代に残したい、という思いで修理をしています。こんな仕事もあるのだ、大切なことなのだと知ってもらえればありがたいですね。知ること、関心を持つことが文化財を守ることにつながります。」
福士さん「文化財という言葉は少し堅苦しいかもしれませんが、難しく考える必要はありません。私自身も絵が好きという単純なきっかけでこの仕事を志しました。ですが、ただ見ただけでは好きだと思えないもの、良さがわからないものもあると思います。そこで止まるのではなく、どうして自分の感覚には合わないものが大事にされてきたのか、疑問を持って調べてみてください。物事には様々な面があり、知ることで理解できなかったことが理解できるようになります。それに、文化財を鑑賞する楽しみを知っていると、人生がすごく豊かになりますよ。」
修理は、作品に大きな負担をかける行為でもあります。ただでさえ傷んでいて、移動するだけでも損傷してしまう可能性があるようなものに大幅に手を加えるため、どんなに気を付けて作業をしても負担をなくすことはできません。展覧会の前後や新しく指定文化財となった時など、作品の置かれている状況に何らかの変化がある場合に修理を検討することが多いです。
そして、事前に調査をして方針を決めてから、実際の作業に取りかかります。文化財の修理には、文化財の所有者、修理の技術者、行政機関の担当者など、多くの人が関わっており、作品の状態も様々なため、常に話し合い、最適な方法を選んでいく必要があります。修理に関わる人数も作業にかかる期間も作品によって異なりますが、全ての工程が終了するまで数年かかるような場合も珍しくありません。
修理材料などは作品が作られた当時のものに近いものが使われます。文化財の修理には長い歴史があり、古い時代の作品は過去に何度か修理されているのですが、その際に元の作品とは異なる材料などが用いられていることがあります。現在ほど技術が発展していなかった時代の修理で作品本来の姿が損なわれてしまっていることも多く、その場合は後から修理された部分は取り除かなければなりません。最適な修理を行うには、作品の現在の状態や本来の姿がどのようなものか詳しく知る必要があります。
しかし、人間の目で見えるものには限界があります。それを補うために、最新の技術が使われています。例えば、エックス線や赤外線での科学調査により、構造や材料の分析ができます。また、修理用に作られた新しい絹を電子線で人工的に劣化させるなど、分析した材料に近いものを製作するためにも科学技術は使われています。理系とは縁がない分野だと思われがちですが、決してそんなことはなく、修理の現場でも様々な最新技術が活用されているのです。
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