• 今月のタイムス特集①

2022年6月号特集① 『みんなの 「わがまま」入門』

 皆さんは「社会運動」という言葉に、どのようなイメージを持っていますか? 社会運動とは、社会の問題を解決するために制度や人々の意識などを変えようと活動することです。具体的には、路上に集まって意見を主張する「デモ」や、賛同者の署名を集める「署名活動」などがあります。現代の日本では、これらの社会運動に対して、なんとなく嫌だと感じたり、自分とは関係ないと考えたりする人が多いと言われています。

 『みんなの「わがまま」入門』は、そんな社会運動を身近な「わがまま」という視点から考えてみましょう、と提案してくれる本です。「わがままを言うことによって、社会を良くすることができるんです」とおっしゃる著者の立命館大学・富永京子先生にお話を伺いました。

▲『みんなの「わがまま」入門』
(富永 京子 著/左右社)

「ふつう幻想」が強い

 日本で「わがまま」が言いにくい理由として、よく挙げられるのが同調圧力、みんなと同じように行動するべきだという考えが強いことです。私たちはみんなと同じ、つまり「ふつう」であることにすごくこだわっています。私はこれを「ふつう幻想」と言っているのですが、多様化が進んだ今の社会では、実はもう全員に共通する「ふつう」なんて存在していません。
 皆さんが通う学校のクラスを例にすると、同じ年齢で、同じ地域に住んでいて、同じ授業を受けていて、違いなんてほとんどないように思うかもしれません。ですが、専門機関などが集めた日本の各種データの割合を30人のクラスに当てはめてみると、下図のようになります。
 30人のクラスでもこんなに違う人がいる可能性があるのですが、これらの違いは見ただけではわからないことが多く、みんな「ふつう」にしようとするので、「ふつう」があるように見えてしまいます。けれど本当は「ふつう」なんてないから、多くの人は苦労したり我慢したりして「ふつう幻想」に合わせています。だから「ふつう幻想」とは違う行動をする人は我慢をしていない、「わがまま」だと思ってしまうのです。

「わがまま」には事情がある

 もうひとつ、「わがまま」を言いにくくする原因に、自己責任という考え方があります。本当はあるはずの違いが目に見えないことで、「ふつう」にできないのは個人の努力が足りないからだと考えてしまいがちなのです。例えば、「部活でレギュラーになれないのは顧問のせいだ」と言う人がいたとします。これだけだと本人の努力不足だろうと感じるでしょうが、レギュラーになるには毎日部活に出る必要があると顧問が決めているとします。そして、その人がひとり親世帯で、家の手伝いをしなければならない日があって毎日は出られないとしたら、どうでしょうか。本人の努力だけでは解決できませんよね。このように、事情をきちんと知ると、ただの「わがまま」ではないとわかることがあります。
 さらに、この「わがまま」がきっかけで、みんなが決まりが良くないと考えて顧問に訴えたことによって、毎日出られなくてもレギュラーになれるチャンスが生まれたとします。そうすると、やはり事情があって出られない日があった人や、塾や別の習いごとにも通いたいと考えていた人など、他にも助かる人が多くいるかもしれません。一見すると、自分勝手な「わがまま」だと感じるけれど、それによって私たちの生きている社会が、本人だけではなく他の人にとってもより良くなる、そんな行動が社会運動であり、私の言う「わがまま」です。

「わがまま」を実践しよう!

 悪いことではないとわかっても、いざ自分が主張するとなるとためらってしまう、どうすればいいのかわからないという人は多いでしょう。次は、「わがまま」を上手に言う方法や、現代社会の「わがまま」の例を伺いました。

身近なモヤモヤを探す

 私も以前は社会運動を遠いものだと思っていましたが、研究を始めて実際に活動している人たちと話して、自分とは無関係だと思っていた政治的な事柄や社会的な問題が身近になっていくのを感じました。例えば、皆さんは朝テレビで占いを見た時、出てきたラッキーアイテムを持ちますか? その持つか持たないかがすでに主張で、スピリチュアルなものを信じるか信じないかという社会的な問題につながります。普段の生活の中で意識せずに選んだり使ったりしている様々なものが政治や社会の世界とつながっているのです。
 そして、身近な生活の中で感じるモヤモヤやイライラといった不満には、政治や社会の構造に原因があるものが多くあります。自分だけの問題だと思っていても、「わがまま」を言ってみると、同じような不満を持っていた人が多くいて、社会の問題だとわかるのです。皆さんに身近な例だと「ブラック校則」などもそうですね。2017年、大阪府の高校生が髪の色を規制する校則を訴えたことがきっかけで、他にも髪型や服装などの理不尽な校則に不満を持っていた人が全国に多くいるとわかりました。こうした「ブラック校則」をなくそうという活動が広がって、2021年に文部科学省が全国の学校に校則の見直しを求めました。だからまずは、モヤモヤ、イライラしていることがないかを探してみましょう。

「わがまま」の方法は様々

 見つけたモヤモヤを「わがまま」として人に伝えるには様々な方法があります。そのうち最も代表的で目立つのが、政治的な主張をしながら道を歩いたり、広場に集まったりする「デモンストレーション(デモ)」です。他には、政府などに意見や要望を文書にして提出(陳情・請願)したり、賛同する人の署名を集めて提出したりする活動が中心的なものです。最近では、SNS上で「# (ハッシュタグ)」をつけて意見を主張したり呼びかけたり、ウェブサイト上で賛同する人の署名を集めたりするインターネットを利用した活動も主流になっています。日本では、デモなど公共の場での活動には忌避感や嫌悪感を示す人が多いのですが、署名など比較的おとなしい活動には寛容な人が多いです。
 また、人に伝える活動ではなくても、賛同した主張を間接的に援助する寄付などの方法も「わがまま」のひとつです。近年は、社会や人権、自然環境などに配慮してつくられた商品を購入する「エシカル(倫理的な)消費」も注目されています。積極的に「わがまま」を人に伝えるのは抵抗がある人もいると思いますので、自分に無理のない範囲でできることを考えてみてください。

声を上げるのが自然な社会に

 これらの社会運動に対して、私は若ければ若いほど消極的だと思っていたのですが、現在はそうではなく、30~40代あたりが底で、10~20代では積極的な人が増えています()。SDGsの影響は極めて大きく、社会に良いことをすると社会的にも評価されるという認識が広がったのはとても画期的な変化です。ただ一方で、デモへの嫌悪感はまだ強く残っていて、良いことをするだけで止まってしまう可能性があると感じます。日本にはやはり、人と違うことをしたくない、良くも悪くも目立ちたくないと考える人が多いのでしょう。
 ですが、社会運動の歴史を見ると、社会を良くするためには、デモなど目立つ活動をして他者と対立してでも大きく声を上げることが必要で、そうしないと勝ち取れない権利が確実にあるのだとわかります。だからこそ皆さんには、自分が参加することは難しくても、デモを迷惑な行為だと決めつけず、主張する人たちの声を聞いて、背景にある事情を考えたり、調べたりしてみてほしいのです。権利に対して声を上げることが自然であり、「わがまま」だとされない社会、最終的には「わがまま」という言葉がなくなることが一番良いと思っています。

サミットへの抗議活動から

 社会学の研究には主に2つの手法があって、アンケートなどで数値化できるデータを集めて統計的に分析する量的調査と、インタビューなどで詳しく話を聞いて数値ではわかりにくい要素を明らかにする質的調査です。私は質的調査を中心に行っていて、社会運動をしている人にインタビューして、何がそんなにおもしろいのか、どうして20年も30年も続けることができるのかなどを調べています。
 社会運動の研究を始めたきっかけは、2008年の北海道洞爺湖サミットです。当時、私は北海道大学の学生で、サミットに対して抗議活動をする人たちが世界中から集まったことに驚きました。社会運動にあまり関心がなかったし、正直、反対する理由がわかりませんでした。彼らは経済のグローバル化を止めるために来たと言っていて、発展途上国と先進国の格差が広がることを問題だと考えるのはわかるのですが、G8に抗議をしたところで止まらないだろうと思いました。私にとっては意味がないように感じることに、たくさんのお金や時間をかける人がいるのが不思議でした。だから動機を調べてみたいと考えたのです。社会運動の研究者は自分でも社会運動をしている人が多いのですが、私はしたことがないのに研究を始めたので、かなり珍しいタイプだと思います。実際に話を聞いてみると、友達が増えるのが楽しいという人などもいて、全員が政治的な目標だけを掲げているわけではないのだとわかり、ますます知りたいと思うようになりました。

背景を考えるとおもしろい

 大学教員は、学生から学ぶことが本当に多い仕事です。中でも、新しい言葉が次々とつくられるのが興味深いです。彼らの身近な生活や世界の不満を言葉にして表しているのだと思います。『みんなの「わがまま」入門』を書く時も、なるべく取り入れたかったのですが、反映しすぎると、無理して若者言葉を使っているような野暮ったさが出てしまうので難しかったですね(笑)。
 学ばせてもらっている側なので、皆さんに何かを言うような立場ではないとは思うのですが、私自身が学校生活で感じていた、意見を言いにくい空気感、自由に言えない息苦しさというのは今でもあるのではないでしょうか。SNSなどの話を聞いていると、他の人の状況が見えやすくなった分、より強くなっているようにも感じます。そんな空気の中で少しでも楽に息ができるように、我慢せずに「わがまま」を言っていいのだということはお伝えしたいです。私も不登校の頃は、キラキラしなきゃ、何か社会の役に立たなきゃと焦っていましたが、別にできなくてもいいのです。多くの人の話を聞いて、世の中には様々な価値観があって、今いる世界の指標が全てではないとわかりました。
 また、勉強面でアドバイスをするなら、私はただ単語を覚えるのではなく、背景にあることを考えるようにしていました。例えば、官位十二階で紫が最高位の色だと習った時、どうして紫なのか、海外にも似たような制度はあるのかなど、少し広げて調べてみると記憶にも残りやすく、おもしろいです。背景を考えるというのは、「わがまま」でも重要ですし、他のことにも広く活用できるはずです。

富永先生の研究などについてもっと知りたい人は富永先生のホームページへ。
https://kyokotominaga.com

中高生への講演がきっかけ

 社会運動には様々なものがあり、これまで多くの人々の意識や法律などの制度を変えてきました。社会を良くするためには絶対に必要なものなのですが、日本は他の国に比べて、社会運動への苦手意識が強い傾向があります。私はそれがどうしてなのかを研究していて、ある私立の中高一貫校で講演することになった時、どうすればわかりやすく伝えられるだろうと考え、思いついたのが「わがまま」という言葉でした。自分の意見や不満を口に出すことが「わがまま」だと見られてしまうから、みんな我慢しているのにずるいと思われてしまうから、怖いんじゃないか、そう考えたのです。
 この講演が好評で、中高生の皆さんも、デモなどの社会運動をなんとなく嫌だと感じていること、社会や政治に関心を持ちたいけれどどうすればいいかわからないと思っていることなどがわかりました。そんな皆さんに、社会運動とはそんなに遠いものではないし、「わがまま」を言うこと、自分の権利を主張するのは悪いことではないのだとお伝えしたくて、『みんなの「わがまま」入門』を書きました。

社会運動をする人たちが不思議だった

 最初は社会運動に苦手意識があったという富永先生。興味を持ったきっかけや研究内容など先生ご自身のことについてもお話を伺いました。関塾生の皆さんへのメッセージもいただきましたよ!

小学生の頃に触れていた

 もとから社会運動に興味があったわけではなく、むしろ苦手意識があったのですが、今思い返すと最初に触れたのは小学生の頃でした。小学5年の時、いつも読んでいたゲーム雑誌に、中古ゲームの販売が著作権違反になるかならないかという論争が載っていたのです。メーカーは中古品を販売されると新品が売れなくなって困りますが、お金がない小学生の私は安い中古品が買えなくなると困ります。中古ゲーム屋が署名を集めていて、私も学校で署名を集めて送りました。自由研究でも中古ゲームをめぐる著作権の問題を調べたので、私の研究は小学校から一貫して変わっていないと言えるかもしれません。ただ趣味として楽しんでいたことが、社会の仕組みとつながっているのだと実感したできごとでした。
 ですが、大学受験の時はそのことはすっかり忘れていて(笑)、経済学部に進学しました。子どもの頃は暗いタイプで、あまり周囲に馴染めず、高校で不登校になった時期がありました。このままではまずい、早く社会に適合できるようにならなくてはと考え、当時はこれからの日本社会で活躍するなら企業家、経営が重要だという雰囲気があったので、経営学を選んだのです。
 最終的には社会運動の方により興味が出てきたので、社会学に転向して大学院に進学しました。今は1970~80年代の研究をしていて、どうして日本社会、特に30~40代がこんなに社会運動に厳しくなってしまったのかを調べています。

社会運動は「わがまま」?

 富永先生は、人々が社会運動をする理由や、社会運動が批判される理由などについて研究されています。まずは『みんなの「わがまま」入門』に書かれている「わがまま」、社会運動とはどういうものなのか、執筆のきっかけなどを伺いました。

富永 京子 (とみなが きょうこ)
1986年生まれ。
立命館大学産業社会学部准教授、シノドス国際社会動向研究所理事。専攻は社会運動論。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。著書に『社会運動と若者』『社会運動のサブカルチャー化』など。