- 特集②
世界最古の長編小説・女性文学とも言われる『源氏物語』は、日本で最も有名な古典文学作品です。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主人公が『源氏物語』の作者・紫式部であることで、改めて注目されています。
平安時代、千年以上も前に生まれた作品でありながら、今でも小説や漫画、TVドラマなどの題材になり、世界各国で30以上もの言語に翻訳されています。どうしてこれほど多くの人に愛され続けているのか、知りたいと思いませんか? 時代背景や物語の内容を詳しく知って、『源氏物語』の魅力にせまりましょう!
紫式部は、平安時代の中期、日本の文化が花開いた頃に活躍した女性ですが、本名はわかっていません。「紫式部」は女房名(宮仕えする際の呼び名)で、父親の藤原為時が「式部丞」という役職だったことから最初は「藤式部」、後に『源氏物語』の登場人物「紫の上」にちなんで「紫式部」と呼ばれるようになったと言われています。
当時、貴族の男性にとって最も重要な学問は漢文学でした。男性は漢字、女性は仮名文字を使うのが一般的でしたが、学者の家に生まれた紫式部は、幼い頃から漢文学の知識を身につけていました。とても優秀で、男兄弟に勉強を教えている時、紫式部の方が先に覚えてしまうため、「男だったら良かったのに」と父親が嘆いたそうです。
『源氏物語』が書かれた時代、物語はあまり重要視されておらず、日記や随筆などと違って、誰が書いたかもまずわかりません。仮名文学の中でも、作者の名前を記す和歌に比べて、物語はさらに一段低く、今の漫画に近い扱いだったようです。
例外的に『源氏物語』の作者が紫式部だとわかるのは、書かれた当初から誰が書いたのかが話題になるほど高い評価を受けていたからです。『紫式部日記』にそのことがわかる逸話が書かれています。この評判が時の権力者・藤原道長まで届いたことで、紫式部は道長の娘で一条天皇の后である彰子に女房として仕えることになりました。紙や墨が貴重だった時代に長編の物語を書くことができたのは、道長の支援があったからだとされています。
『源氏物語』は、全54帖(巻)からなる長編小説です。それぞれに「桐壺」「若紫」などの巻名がつけられていて、巻数よりもそちらで呼ばれます。文字数は約100万字、400字詰原稿用紙で約2500枚にも及びます。登場人物は約400人、作中で約70年の歳月が流れる壮大な物語です。
内容は大きく3部に分けられ、第1部と第2部は光源氏が主人公、第3部は光源氏の息子の薫が主人公となり、それぞれの恋愛模様を描きます。一般的には、光源氏の華やかな恋の話という印象が強いですが、それだけではありません。平安時代の恋愛は政治とつながっており、『源氏物語』でも光源氏が女性関係をきっかけに出世していく様が描かれています。
また、『源氏物語』に出てくる恋愛関係は、理想的なものばかりではありません。物語の前半で光源氏は、父・桐壺帝の后であり継母である藤壺の宮に恋をし、関係を持ってしまいます。こうした許されない関係を描くことができたのも、当時の位置づけが低かった物語だからこそだと考えられます。恋のときめきばかりではなく、悩みや苦しみといった多様な感情が細やかに描写されているのです。登場人物も多く、誰を好きでどこをおもしろいと感じるか、人によって違い、様々な読み方ができます。その多面性こそが『源氏物語』の最大の魅力だと言えるでしょう。
第1部(33帖)
光源氏の人生の前半部。帝の子として誕生した光源氏が多くの恋をし、波乱もあるものの、栄華を極めていく。
第2部(8帖)
光源氏の人生の後半部。栄華に影が差し、苦悩に満ちた晩年となる。
第3部(13帖)
光源氏が亡くなった後の時代。光源氏の息子である薫が苦しい恋をする。
『源氏物語』は、書かれた当初から現代まで、多くの人に愛され、様々な作品に影響を与えました。紫式部と近い時代では『更級日記』の筆者である菅原孝標女が『源氏物語』の熱心な読者として知られ、1020年頃に全巻を手に入れて夢中で読みふけったと書いています。また、平安時代後期の物語作品には、『源氏物語』の人物造型や場面構成などが受け継がれています。
物語以外の作品への影響も大きく、百人一首の選者・藤原定家の父であり、優れた歌人として知られる藤原俊成は「『源氏物語』を読んでいない歌詠みは残念だ」と評しました。『源氏物語』の場面を絵にした絵巻も流行し、能楽などの芸能にも『源氏物語』をもとにした話が多く存在しています。江戸時代の国文学者・本居宣長は『源氏物語』を研究していました。近代になると、与謝野晶子や谷崎潤一郎など文豪による現代語訳が話題になりました。現代でも、様々な小説や漫画、TVドラマになっています。これほど後世に影響を与え続けている物語は他にありません。
『源氏物語』は、世界各国で多くの言語に翻訳されています。最初の訳は明治時代の文学者・末松謙澄による1882年の英訳ですが、全訳ではなく1~17帖まででした。初の全訳を行ったのは、イギリスの東洋学者アーサー・ウェイリーです。1925~33年に刊行された『The Tale of Genji』は書評家たちから絶賛され、一躍ベストセラーとなりました。繊細で卓越した心理描写や風景描写に満ちた近代的な小説が、11世紀の日本、しかも女性の手によって書かれたことが驚嘆されたのです。
ウェイリーは、日本人でも難しい古典文学を異なる文化の読者に伝えるため、大胆な意訳なども行いました。芸術性の高い文章が英文学としても評価されており、『源氏物語』が世界的な文学となったのは、彼の功績が大きいと言われます。ウェイリー訳をもとにした他言語の訳もあり、『源氏物語』の世界は広がり続けています。
『源氏物語』の魅力を知るには、やはり自分で読んでみるのが一番です。
数ある関連本の中から、初心者にも読みやすく、おすすめのものを紹介します。
『源氏物語
ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』
紫式部 著、角川書店 編/KADOKAWA
『源氏物語』の全体がわかる楽しい1冊。各帖の有名な場面を中心に、あらすじ、現代語訳、注釈、原文で構成されています。原文も現代語訳もふりがな付きですらすら読めます。現代語訳だけではなく原文も読んでみたい人に。
『源氏物語 紫の結び』全3巻
紫式部 著、荻原規子 訳/理論社
読みやすいよう、物語を3つの系統に分けて再構築した現代語訳。光源氏、藤壺の宮、紫の上のメインストーリーが一気に読めます。他に、中流階級の女性たちの話「つるの花の結び」(上下巻)、光源氏亡き後の話「宇治の結び」(上下巻)があります。
『源氏物語(池澤夏樹=個人編集 日本文学全集)』(上中下巻)
紫式部 著、角田光代 訳/河出書房新社
2017~2020年に刊行された現代語の新訳。原文に忠実に沿いながらも、主語を補う、地の文の敬語をなくす、生き生きとした会話文など、読みやすさを重視した工夫が凝らされています。2023年から文庫版(全8巻・2024年10月完結予定)も刊行中。
『源氏物語入門』
高木和子 著/岩波ジュニア新書
日本の古典の代表か、世界の文学か、色好みの男の恋愛遍歴か――。物語の展開をたどり、原文の言葉にも触れながら、『源氏物語』の魅力を探る解説本。物語の内容だけではなく、時代背景などもあわせて知りたい人に。
『大摑源氏物語 まろ、ん?』
小泉吉宏 著/幻冬舎
これ1冊で『源氏物語』全部を読んだ気になれる! 光源氏がかわいい栗のキャラクター「まろ、ん?」に変身。54帖が1帖8コマの漫画で表現され、解説も交えて、楽しくわかりやすくまとめられています。
『あさきゆめみし 新装版』全7巻
大和和紀 著/講談社
『源氏物語』の漫画といえばこの作品。54帖を概ね忠実に漫画化しながらも、オリジナルの要素も加え、わかりやすく、おもしろく読めるようになっています。『源氏物語』導入作品として、高校や大学の授業で用いられることも。