- わたしの勉学時代
電気通信大学は、情報系、融合系、理工系の3学域を擁する国立大学です。無線通信技術者養成のために創設された社団法人電信協会管理無線電信講習所を起源とし、情報と通信を柱に最先端の教育・研究を100余年にわたって実践。持続発展可能な社会の構築に寄与する新たな価値を創造し続け、社会を先導できる高度な技術者・研究者を養成しています。現学長の田野俊一先生は、高校時代から人間の知的処理に興味があったそうです。
【田野 俊一(たの・しゅんいち)】
1958年生まれ。宮崎県出身。工学博士(東京工業大学)。
81年3月東京工業大学制御工学科卒業。83年東京工業大学大学院総合理工学研究科システム科学専攻修士課程修了、日立製作所システム開発研究所入社。90年米国カーネギーメロン大学客員研究員。91年国際ファジィ工学研究所。96年電気通信大学大学院情報システム学研究科助教授。2000年米国マサチューセッツ工科大学客員科学者。02年電気通信大学大学院情報システム学研究科教授。08年電気通信大学副学長就任後、学長補佐、大学院情報理工学研究科教授・研究科長、学術院長を歴任。20年学長就任、現在に至る。専門は制御、システム科学、人工知能、ファジィ理論など。
宮崎県の交通会社に勤めていた父の転勤にともない、幼少時代は宮崎県内を転々としました。延岡市で生まれ、小林市を経て、小学3年の時に海に近い高鍋町に移りました。しっかりと記憶に残っているのは高学年の頃からです。5年生の時、田舎のあぜ道を仲が良かった同級生の女の子と一緒に手をつないで歩いたという甘ずっぱい思い出があるのですが、その子が人生の伴侶になるとは想像していなかったですね(笑)。
観光業の父は明るい性格でしたが、休日も出勤日だったので、週末に家族で遊びに出かけることはほとんどありませんでした。平日も帰りが遅く、私と弟の面倒は母が見てくれていました。両親とも、勉強も、躾に関しても厳しくはなく、のびのびと育ててもらいました。
家の近くの小丸川で友人とよく遊んだことも覚えています。古びた川舟が通学路の脇に置いてあって、持ち主に「譲ってください!」とお願いしたところ、「いいよ」と二つ返事。週末になると数名でラジオを持ち込んで舟に乗り、お菓子を食べながらワイワイしゃべって過ごしていました。
小学校と違い、中間・期末テストがあるのが中学校。初めて臨む時に何よりびっくりしたのは、校内に順位が貼り出されることでした。小学校では宿題などはきちんとしていたものの、勉強より遊びに熱心だったので不安でしたが、なんと学年で一番に。貼り出されると思うとテスト勉強にも気合いが入り、良い成績を維持できていました。
当時は校区ごとに受験できる高校が決まっており、よほど成績が悪くなければ進学できました。普段からそれなりに勉強していたおかげで入試はトップの成績で宮崎県立高鍋高校に合格。高校の入学式では新入生を代表して挨拶をする役目を与えられました。
好きな教科は一貫して数学と物理でした。理由は単純明快で、暗記科目ではないからです。最低限の原理さえ頭に入れておけば、どんな問題も解けます。「定理は覚えなくても自分で導き出せる」と教えてくれた先生方のおかげで、自ら考えて答えを導くおもしろさを実感しながら机に向かえました。
苦手だったのは歴史と現代国語。高校の社会は覚えきれませんでしたし、現代国語はどうすれば点数がとれるのか本当にわからず、「日本語を話し、理解して毎日生活しているのに、なぜテストでは50点しかとれないのだろう!?」といつも困惑していました。小説文で主人公の心理を読み解く問題は、もうお手上げでしたね。
そんな状態でしたから、進路は理系しか頭にありませんでした。高校で物理部に所属して電子計算機などに触れた影響もあり、興味関心があったのは人間の知的処理の分野です。医学部か工学部で学びたいと思い、最終的に工学部を選んで東京工業大学を受験しました。
東工大を選んだのは、変わっている大学に魅力を感じていて、調べた中で一番独自性があったからです。入試方式も1000点満点のうち数学と物理が400点、国語と英語が100点という他の国公立大学にはない配点でした。つまり、理数科目が得意で国語が苦手だった私にうってつけだったわけです(笑)。
これから高校受験、大学受験に挑む皆さんは、教科書の学びを大切にしてください。試験問題は教科書の範囲からしか出題されません。難問を意識するあまり、ひたすら演習を繰り返していると、入試のテクニックばかり磨かれ、本来身につけるべき本質的な理解が疎かになります。たとえ合格しても、それでは入学後に苦労しますよ。
大学では情報工学科に入り、電気系の第5類(当時)に所属しました。ソフトウェアの勉強をするつもりだったのに、5類は半導体の学びが中心で、自分のやりたいことができませんでした。失敗したと思いましたが、幸い2年生になるタイミングで、ロボットのコンピュータやソフトウェアを学べる機械系の4類に転類できました。4年生になると曖昧理論(ファジィ理論)の世界的権威だった寺野寿郎先生と菅野道夫先生がいる研究室に入りました。
ファジィ理論とは、「ある」か「ない」か、「高い」か「低い」か、というような“0か1”ではなく、その間に存在するものも数値化して曖昧さを処理する数学理論です。身近な家電の炊飯器でいえば、最初は強い火力で炊く、釜の中で米が踊りだしたら加減する、最後の蒸らしに入ると火を弱める、といったコンピュータ制御のルールづくりにファジィ理論が用いられます。
しかし、曖昧さを処理することに興味を持って研究室に入ったものの、私はファジィの集合で突き詰めようとは思わず、膨大な知識を集積させることで曖昧さを処理する研究に取り組み始めました。AI(人工知能)にも関連する分野で、大学院修了後に就職した日立製作所では、さらに本格的に情報理論の研究に没頭しました。
ですが、民間企業では管理職に就くと部下の育成が優先で、自分がやりたい研究に従事できなくなります。縁あって電気通信大学で教員となり、今日に至るまで、好きな分野で仕事をさせてもらっているのは大変ありがたいことです。
本学の使命は、本格化するAI社会の未来を創る卓越した理工系人材の育成です。2023年度には「デザイン思考・データサイエンスプログラム(D×2[デンツー]プログラム)」を開始し、定員も増加しました。定員増加は簡単にはできないため、文部科学省が本学に大きな期待を寄せている証です。また、2025年度から大学入学共通テストに情報Ⅰが加わりますが、本学は二次試験への採用を他大学に先駆けて決定しました。情報Ⅰは重要な科目なので、しっかりと学んでくださいね。
これからの時代で活躍するために情報の知識は不可欠であり、すでにデジタル端末が学習時の主力ツールになっています。だからこそ皆さんには、メディアをうまく使うこと、頼りすぎないことを心がけてほしいです。映像など受け身のものではなく、自ら手を動かす学びが脳を刺激し、成長を促して感性を育むことにつながるからです。例えば、授業を受ける時、紙と鉛筆よりもキーボードを使う方が多くの内容をメモできて良いように思えますが、理解度のテストをすると、紙と鉛筆を使った人の方が高い点数をとれることがわかっています。
話題のChatGPTなど、AIは優秀で便利なツールで、情報やアイデアをどんどん提供してくれますが、だから自分で覚えなくてもいい、勉強しなくてもいい、ということには決してなりません。AIを使っても最終的な良し悪しは人間が判断する必要がありますし、そもそもAIには感性がなく、新しい発想や発見は人間にしか生み出せません。その源となるのが、日々の体験や勉強です。五感を働かせ、人間しか持ち得ない感性を磨きましょう!