2019年8月に発売された『こども六法』は、子ども向けに法律をわかりやすく翻訳した本です。これまでにない画期的な本として話題になり、児童書としては異例の大ヒット、2020年度年間児童書売上1位のベストセラーとなりました。本屋に並んでいたり、学校や図書館に置いてあったりするのを見たことがある人も多いのではないでしょうか。
著者は、教育研究者であり、声楽家・ミュージカル俳優としても活躍中の山﨑聡一郎氏。『こども六法』執筆のきっかけは小学校でいじめ被害を受けたことだという山﨑さんに、法教育とは何か、いじめやインターネットの問題について、進路選択のアドバイスなど、様々なお話を伺いました。
『こども六法』が大ヒットしたことで、2021年4月には姉妹本『こども六法ネクスト おとなを動かす悩み相談クエスト』、9月には大人向けの解説書『こども六法の使い方』が発売されました。
子どもだけではなく、大人も一緒に法律について考えてほしいという山﨑さんに、まずは『こども六法』の内容や使い方、執筆のきっかけ、苦労した点などについて詳しく伺いました。
『こども六法』とは、一言で説明すると法律の辞書で、大人向けに書かれた法律の条文を子どもでも読めるように書き直したものです。執筆のきっかけは、小学5~6年生の頃に骨折するほどのひどいいじめ被害にあっていたことにあります。担任の先生に相談しても解決せず、中学校受験をして加害者たちと離れてようやく逃れることができました。
そして、進学先の私立桜丘中学校の図書館でたまたま『六法全書』(六法を収録した法律書)を読んで、衝撃を受けました。そこには、人に暴力を振るうことは「傷害罪」や「暴行罪」、悪口を言うことは「名誉毀損罪」や「侮辱罪」にあたり、自分の受けていたいじめが犯罪であることがはっきり書かれていたのです。同時に「名誉毀損罪」や「侮辱罪」は、被害者本人が訴えないと罪にならない「親告罪」であることも知り、自分が犯罪だと知らずに助けてくれと言わなかったから救われなかったのだ、小学生の時に知っていればと後悔しました。しかし、小学生が手に取りやすい法律の本などというものはありませんでした。それなら自分で作ろうと思ったのです。
大学生の時、現在の『こども六法』の基になるものを作り、いろいろな出版社に持ち込みましたが、最初はどの出版社にも断られてしまいました。最終的には「『こども六法』でいじめに悩む子どもたちを救いたい」という主旨に賛同してくれる一般の人からの資金を集めてやっと出版できることになりましたが、それからも大変でした。
そもそも法律は、とても洗練された文章で書かれていて、基本的に無駄な言葉がないのです。専門的な言葉は子どもたちにとって簡単に理解できるものではありませんが、小学校にも置いてもらえるような法律の辞書を作りたいのですから、内容が正確じゃないと意味がありません。しかし、もとの言葉の持つ意味を変えずにわかりやすく書き換えようとすると、たった3文字の言葉が3行くらいになってしまうのです。文章が長すぎても読んでもらいにくいので、そのバランスをとるのが一番難しかったです。結果として、少し難しい言葉も残しており、10~15歳くらいを読者対象として想定していたのですが、実際は8~10歳で読んでくれる子が多く、低い年齢だと5歳くらいの子もいて驚きました。
苦労した甲斐があって、発売してすぐ話題になり、多くの人に読んでもらえました。ただ、『こども六法』はあくまで辞書なので、これを読めばすぐにいじめが解決できるというような方法を示した本ではありません。法律というのは絶対に知らないと駄目というものではなく、困った時に知っておけば役に立つかもしれないものです。皆さんが何かに困った時に『こども六法』を思い出して、「もしかしたら法律で解決できるんじゃないか? ちょっと見てみよう」と、辞書を引く感覚で使ってもらえたら嬉しいです。
そんな風に『こども六法』は、辞書として余計な言葉をなるべく削って作ったものなので、私の意見や詳しい解説などは書いていません。そのため、実際の反響を受けてみて、伝えきれていなかったと感じることが多くありました。それらを補足するために、いじめを解決するために具体的にはどこにどのような相談をすればいいのかなどを書いた『こども六法ネクスト』や、『こども六法』の目的である「法教育を通したいじめ問題解決」とはどのような考え方なのかを大人向けに書いた『こども六法の使い方』を出版したのです。
法教育とは何か、いじめ問題の解決にどのように役立つのかについて、具体的な例を交えながらお話ししていただきました。どうして法律やルールは守らなければならないのか? という身近で素朴な疑問について、改めて考えてみましょう。
『こども六法』に対して「この本があれば、子どもたちにやってはいけないことをわかりやすく教えられます」という反応が多かったのですが、これは私が望む使い方ではありません。「法律で決まっているからいけない」と、ただ押しつけるだけでは法律を守ろうという意識は育たないからです。いけないと決まっていると知ることではなく、どうしていけないと決められているのかを考えることが大切なのです。
あらゆる法律は「全ての人はどんなことでも自由にする権利がある」という前提のもとに成り立っています。ですが、皆が自由にやりたいことをすると、必ずどこかでぶつかり、力が強い者が弱い者をいじめて、自分のやりたいことを通すという事態が起こってしまいます。私自身の例で言うと、中学校の部活動で部長をしていた時、問題行動を注意しても改善しない後輩を、他の部員と話し合って退部させると決めたことがあります。正しいことをしているつもりでしたが、後輩が先生に相談し、先生からいじめだと言われました。被害経験のある自分がいじめをすることなんて絶対にないと思っていたので大変な衝撃でした。ですが、改めて後輩の立場になって考えてみると、やはりいじめだったと深く反省しました。その時は後輩と話し合って解決できましたが、世の中には当人同士の話し合いで簡単に解決できない問題が多くあります。そこで、お互いの権利をなるべく守りながら、客観的に判断して問題を解決するためのしくみとして法律ができたのです。
この経験を通して、人が嫌がることや悪いことをしてはいけないというような、感情が主軸となる道徳教育だけではいじめは防げないと実感しました。いじめをしていた当時の私は、先生に言われるまで自分の行為は悪いことではなく、むしろ正しいことだと思っていました。
最近の例では、池袋の自動車暴走事故の件などもそうです。事故を起こした飯塚さんが無罪を主張し、世間から大きな非難を浴びました。結果、裁判で有罪になりましたが、マスコミやSNSであまりに多く非難され、脅迫するような人までいたことで、過度な社会的制裁を受けたと刑が軽くなる理由のひとつになりました。道徳心からの行いであってもやりすぎだと裁判官が客観的に判断したのです。多くの人が許せないと感じても、飯塚さんが無罪を主張する権利は守られなければなりません。非難した人たちの道徳心は尊いものですが、法的な視点を併せて考えた際、正義に反する行為が含まれていることが見えてきます。
道徳も法律もどちらも大事ですが、今の日本社会は道徳に偏りすぎていると感じるので、法律で考えるとどうなるのか、という視点を多くの人に持ってほしいです。
現代はインターネットの発達により、社会的制裁が及ぼす影響が広がっていると言われ、ネット上でのいじめも問題になっています。いじめはネットが発達したことで生まれたものではないので、根本の問題は変わりませんが、大人と子どもの認識の差が大きく、大人が気づくことが難しくなっていると感じます。例えば、LINEで無視したりグループを外したりするいじめは、もう古いです。今ではTwitterで匿名のメッセージを送ったり、クラスで特定の誰かが好きだと言った作品を「〇〇とか誰も知らないよね」とプロフィール欄などで一般論として書いたりといった、大人にはまず気づけない手法が主流です。
かと言って、子どもをネットに一切触れさせないのはもはや不可能ですので、家庭内で使用時のルールを決めておきましょう。決める時に、法律同様、自由を守るためのもの、という意識を持ってみてください。1日1時間だけなどと杓子定規に決めるのではなく、どんなルールなら無理なく守れるか、大人と子どもが一緒に考えて決めていくことが大事なのです。あらかじめ話し合っておけば、想定外のことが起きて困った時にも相談しやすくなります。そんな風に、身の回りの法律やルールに対して、何を守るためにあるのか? と皆が考えるようになれば、世の中はより良いものになっていくと思っています。
山﨑さんはミュージカル俳優としても活躍されています。最後は、それぞれのお仕事の魅力や進路選択のきっかけなどについてのお話を伺い、関塾生の皆さんへのメッセージもいただきました!
どの仕事も、子どもの頃からの夢だったというわけではありません。父は普通のサラリーマンで、音楽や研究なんてお金にならないからやめなさいと言われていましたね。ただ、昔からやりたいことが明確になれば努力を惜しまないタイプでした。
例えば、中学は私立の中高一貫校でしたが、通い続けるのは経済的に難しく、高校受験をすることになった時、志望校が決まると一気に勉強に身が入りました。中学3年の夏頃で、当時の私の偏差値は38、行きたいと思った埼玉県立熊谷高校の偏差値は68でした。それまでは長い時間机に向かって勉強しているように見せているだけという感じでしたが、目標ができた途端、真剣に勉強するようになりました。熊谷高校に入学できたら気が緩んで成績が下がってしまい、大学受験の時もまた偏差値を30くらい上げることになったのですが……(笑)。
いじめ問題を解決したいという気持ちはずっと持っていたものの、大学受験の時は具体的な方法までは考えておらず、いろいろなことができるところに行きたくて、慶應義塾大学総合政策学部に入学しました。大学で様々な先生方の研究に触れて、法教育からのアプローチを見つけ、『こども六法』にたどり着いたのです。
また、俳優になったきっかけはチャンスありきでした。実は生まれつき音痴なのですが、歌うことは好きで、高校では音楽部、大学では合唱団に所属していました。コツコツと続けていればやはり上達していくものです。それで、劇団四季の出たいと思った演目のオーディションを受けてみたら、なんと合格できました。上達したとはいえ、プロとして活躍している人たちに比べたらまだまだだったので、受かってから慌てて稽古を始めました(笑)。
ジャンルは違いますが、どの仕事もおもしろく、楽しくやっています。私はもとからひとつのことを続けるのが苦手なので、それぞれの仕事が息抜きになっている感じです。ただ、中でも一番やりがいがあるのは、俳優業かなと思います。俳優の仕事はフィードバックが速くて、公演を終えてすぐ、目の前のお客さんの反応やSNSなどの感想で、今日の仕事ぶりがどうだったかがわかります。その反応が次へのモチベーション、やりがいにつながっています。
比べて教育研究は、フィードバックなんて一生ないくらいの世界です(笑)。「『こども六法』を読んで救われました」という感想をもらうことはありますし、とても嬉しいですが、実際に『こども六法』によっていじめがなくなったか、社会がどう変わったかは、何十年も経たないとわかりません。それに、いつか本当にいじめがなくなったとしても、それは『こども六法』があってもなくても起こったことかもしれず、『こども六法』のおかげだと直接的にわかることはまずありません。だからやりがいでやっているというよりは、使命感でやっている仕事ですね。結果がすぐ目に見えなくても、法教育の普及で世の中は良くなっていくと信じていますし、結果が見えないからこそ他の誰もやらない、自分がやるべきことなのだと思っています。
次は俳優業に力を入れて、本当に実力のある俳優になり、自分以外の俳優にも仕事を振れるプロデューサーになりたいですね。将来的には演劇手法を取り入れた法教育もやっていけたらと考えています。
私のこれまでの経験から言うと、やりたいことは全部やるのがいいと思います。『こども六法』は基になるものを作ってから出版社に持ち込みましたし、俳優業もオーディションを受けなければ始まりませんでした。実現したいことがあれば、まず手や足を動かして実際にやってみましょう。
もちろん向き不向きはあって、私のようにいろんなことをやるのが好きな人もいれば、ひとつのことをやり続けるのが好きな人もいると思います。今は、ひとつのことだけをやっていては駄目だというような風潮がありますが、私はそうは思いません。レオナルド・ダ・ヴィンチのように、何でもできる人は昔だっていましたし、ひとつのことを続けることは私にはできないので、すばらしい才能だと感じます。
ただし、どちらの場合も、自分で選ぶことが何より大事です。もし誰かに言われて決めたことで失敗したとしても、その誰かはあなたの人生の責任をとってはくれません。自分の人生は自分のものです。やりたいことを貫いて、自分で選んだ人生を進んでいってください。そして、知識があればあるほど、選びやすく、貫きやすくなります。そのヒントになるような知識を身につけるために『こども六法』や他の本を役立ててもらえたら嬉しいです。
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