「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の書き出しで知られる『学問のすゝめ』は、福澤諭吉の代表作のひとつ。1872(明治5)年に初編が出版され、以後、約5年間で17編まで刊行されて大評判を呼び、340万部の大ベストセラーとなりました。当時、日本の人口は3500万人ほどでしたから、約10人に1人が読んだことになります。この頃は1冊の本を回し読みするのが普通で、実際はもっと多くの人が読み、影響を受けたと考えられます。
この本に書かれている教えは、そのまま現代の私たちにも通じ、学ぶことがたくさんあります。初編が刊行されて150年。諭吉の言葉に耳を傾け、学ぶとはどういうことかを改めて考えましょう。
『学問のすゝめ』が刊行されたのは、明治に改元して間もない頃。265年続いた江戸時代が終わり、幕府は崩壊。生まれや身分による差がなくなり、皆が対等になりました。歴史を揺るがす大変革が起きたのですから、人々は“これからどう生きればいいのか”と戸惑い、不安を感じたでしょう。そんな状況の中、進むべき方向を明確な言葉で指し示したのが『学問のすゝめ』でした。
明治の人たちはこの本から様々なことを教わりながら、新しい時代をつくっていったのです。まずは、その冒頭部分を読み解きましょう。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と云へり。(……) されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、そのありさま雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。(……) 身分重くして貴ければ、おのづからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるやうなれども、その本を尋ぬれば、ただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違も出来たるのみにて、天より定めたる約束にあらず。(初編)
〈現代語訳〉
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われています。(……) しかし人間の世界を見渡すと、賢い人、愚かな人、貧しい人、お金持ちがいます。地位が高い人も低い人もいます。こうした雲泥の差とも言える違いは、どうしてできるのでしょうか。(……) 社会的地位が高く重要な人であれば、自然とその家は豊かになり、下の者から見ると手の届かない存在に思えます。しかしその元を見ると、学問の力があるかないかという違いがあるだけで、その差は生まれつきによるものではありません。
読み解きポイント
諭吉は単に「人は生まれながらにして皆平等である」ことを伝えようとしたのではなく、富や地位はその人の働き次第で決まるのだと言っています。生まれつきの才能や身分に関係なく、学ぶ力があれば上を目指せるのだと励ましています。
*『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり。(……) ただ学問を勤めて物事をよく知る者は、貴人となり富人となり、無学なる者は、貧人となり下人となるなり。(初編)
〈現代語訳〉
『実語教』という本に、「人は学ばなければ智はない。智のない者は愚かな人である」と書かれています。つまり賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによって決まります。(……) しっかり学び物事をよく知る人は社会的地位が高く豊かな人になり、学ばない人は貧しく地位の低い人となる、ということです。
読み解きポイント
賢さは持って生まれたものではなく、自分が学んだかどうかで決まるのだと説き、本人の努力次第で賢い人になれると言っています。知識を広げればいい仕事に就けて人から尊敬され、その結果、地位が高くなり豊かな生活が送れる、と語っています。
*平安末期から明治初期にかけ、推定約700年使用された児童教訓書。著者、書かれた年代とも不明。
諭吉は、何を学ぶかが大事だとも書いています。彼がすすめたのは、暮らしや仕事に役立つ実践的な学び=実学です。
学問とは、ただむづかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学をいふにあらず。(……) されば今、かかる実なき学問はまづ次にし、もつぱら勤むべきは、人間普通日用に近き実学なり。たとへば、いろは四十七文字を習ひ、手紙の文言・帳合ひの仕方・算盤の稽古・天秤の取り扱ひ等を心得、なほまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。(初編)
〈現代語訳〉
ここでいう学問とは、ただ難しい字を知り、わかりにくい昔の文章を読み、和歌を楽しみ、詩を作るというような世間一般の実用性のない学問のことではありません。(……) だとすれば、今こうした実用性のない学問はとりあえず後回しにし、一生懸命やるべきなのは、普通の生活に役に立つ実学です。たとえば、いろは四十七文字を習って、手紙の言葉や帳簿のつけ方、そろばんの稽古や天秤の取り扱い方などを身につけることをはじめとし、学ぶべきことは非常に多いです。
読み解きポイント
大事なことは、正しい読み書きや商売のための帳簿の計算、物の重さの測り方などを身につけることだと言っています。難しい文字を知り、難解な古文を読むことも学問だけれど、仕事に直結はしない。だから、暮らしに役立つ実学を学べと主張したのです。諭吉は、実社会に役立つ学問をしなければ意味がないと考えていました。
『学問のすゝめ』で諭吉がすすめたもうひとつの柱は国民皆学です。すべての国民に“時代は変わった。さあ学問をしよう”と大号令をかけたのです。そして、〈学問の要は活用にあるのみ。活用なき学問は無学に等し。〉(第十二編)と、学んだことを実際に活かすことが重要だと呼びかけました。
学問は米を搗きながらもできるものなり。(……) 麦飯を食ひ、味噌汁を啜り、もつて文明の事を学ぶべきなり。(第十編)
「勉強は米を搗きながらでもできる」という熱い思いがこもったこのメッセージは、学びたくても学べなかった明治の人々の心に明るい希望の灯をともしました。
第十六編では、ものを考える知識(識見)と、それを行う行動力の両方を備えなければならないと説いています。知識がないのに行動を起こし先走る人、逆に、知識はあるけれど考えるだけで行動に移さない人それぞれについて、次のように述べています。
● 行動活潑にして識見乏しき弊
人の働きのみ活潑にして明智なきは、蒸気に機関なきがごとく、船に楫なきがごとし。ただに益をなさざるのみならず、かへつて害を致すこと多し。(第十六編)
〈現代語訳〉
働きだけ活発で賢さがないのは、蒸気はあってもエンジンがないような、あるいは船に舵がないようなものだ。プラスにならないばかりか、かえって害になることが多い。
● 識見高くして行動不活潑なる弊
心事のみ高尚遠大にして、事実の働きなきも、またはなはだ不都合なるものなり。(……) これをたとへば、石の地蔵に飛脚の魂を入れたるがごとく(……) その不平不如意は推して知るべきなり。(第十六編)
〈現代語訳〉
心だけが高尚遠大で、実際の働きがないのも大変不都合である。(……)たとえて言うと、石の地蔵の中に飛脚の魂を入れるようなもので、その不平と思いのままにならない苛立ちは、想像すればわかるはずだ。
読み解きポイント
知識がないのに行動が先走る人を“蒸気はあるがエンジンがない” “船はあるが舵取りができない”と表し、一方、知識はあっても行動が伴わない人は、“石の地蔵に飛脚の魂を入れたようなもの”と表現。理論先行型で口先ばかりの人を、お地蔵さんのように重くて動かない、と皮肉たっぷりに書いています。
『学問のすゝめ』には、こうしたおもしろい言い回しが度々登場します。時にユーモアを交え学問の大切さを説いた諭吉のメッセージは、150年を経てもなお、多くの人を魅了しています。
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