名古屋大学は世界有数の産業・経済圏として知られる東海エリアを代表する総合大学。未来に向けた地域のさらなる創生・発展のため、同じ国立大学法人の岐阜大学と2020年に経営統合し、東海国立大学機構を発足。次世代型高等教育と研究を担う世界最高水準の大学群を目指す新たな一歩を踏み出しました。天体物理学や宇宙論が専門の杉山直先生は、中学の時に科学の入門書を読み、物理の世界に興味をもたれたそうです。
【杉山 直(すぎやま・なおし)】
1961年生まれ。神奈川県出身。理学博士(広島大学)。
84年3月早稲田大学理工学部卒業、86年同大学大学院理工学研究科物理学及び応用物理学専攻博士前期課程修了。89年広島大学大学院理学研究科物理学専攻博士後期課程修了。東京大学理学部助手、京都大学大学院理学研究科助教授を経て、2000年国立天文台理論天文学研究系教授。06年名古屋大学大学院理学研究科教授、17年同理学研究科長・理学部長、19年同大学理事・副総長(統括・総合調整担当)。20年東海国立大学機構理事(研究・国際担当)、名古屋大学副総長(筆頭、統括・研究担当)。22年東海国立大学機構大学総括理事・副機構長、名古屋大学総長に就任し現在に至る。専門は理論天文学、天体物理学、宇宙論など。
出生地はドイツです。文学の研究者だった父がフンボルトフェローという奨学金を受けてドイツに滞在していた時に生まれました。両親は私が生まれて間もなく日本に帰国。幼少期は東京の国立市で過ごし、小学校からは神奈川県川崎市へ。家の近くには開発が進む前の多摩丘陵があり、野山や田んぼ、小川などが身近にあったので、よくカブトムシやザリガニを捕って遊んでいました。読書も好きで、本を読みながら帰路に着いていましたね。
本をよく読んでいたからか難しい漢字もすらすらと読めましたが、書き取りは苦手でした。漢字はきちんとノートに書いて練習しなければ身につかないものだとわかりました。学校の授業は集中して聞いていて、どの教科もまあまあの成績がとれていましたが、唯一不得手だったのは図画工作です。不器用といえばそれまでですが、もともと左利きだったのを鉛筆と箸を持つ時は右利きに矯正されたので、細かい作業がうまくできなかったんです。図工が苦手だったのは、そのせいではないかと思っています。
中学では別の小学校から入学してきた二人の友達と仲良くなり、毎週のように地元の図書館に通いました。私は物語や小説を好んで読んでいましたが、友達が選ぶのはいつも*1ブルーバックスの科学の本。「なんだかおもしろそうなものを読んでいるな」――。そう思って相対性理論や宇宙の入門書を読んでみるととてもおもしろく、その世界にすっかり魅了されました。特に物理に関するものに興味を惹かれ、次第に「物質は究極的にどうやってできているのだろう」「ミクロの世界よりもっともっと小さい世界はどうなっているのか」ということに関心を抱くようになりました。
母は自宅で英語塾を開いていて、私は小学生の頃から、通ってくる子たちと一緒に勉強していました。一方で、普通の学習塾に通うことはなかったのですが、本や参考書は自由に買い与えてくれましたね。自発的に勉強しなさい、ということだったのでしょう。
母の塾で教わっていたにもかかわらず、中学での英語の成績は振るいませんでした。「英語は勉強してきたから大丈夫」と慢心していたのかもしれません。漢字と同じく英語も、自分で読み書きして学習しなければ単語や構文は頭に入りません。ですが、コツコツとやる作業は面倒で……。それで英語はあまり好きになれず、一方で好きだった数学は自分から進んでいろいろな問題を解いていました。
*11963年創刊の講談社の新書シリーズ。自然科学や科学技術を一般の読者向けにわかりやすく解説している。キャッチコピーは「科学をあなたのポケットに」。
高校は神奈川県立多摩高校に進学しました。個性的な先生が多く、例えば漢文の先生は、授業が始まると滔々と漢詩を読み始めるので最初はびっくりしました。いくつかの漢詩は、今もそらで言えるほど何度も何度も聞かされましたね(笑)。
物理を担当していたのは、生徒思いの熱血先生でした。生徒が校内で不祥事を起こしたことがあり、全校集会が開かれた時に先生は「私は君たちを信じていた! だから、あまりにも悲しい」とわあわあと泣き始めて……。熱い気持ちと情熱で生徒に全力でぶつかってくれる、そんな先生でしたね。授業の進め方も、単に大学受験のためだけの型にはまったやり方ではなく、学問と真剣に向き合うことのおもしろさなどを教えてくださいました。その影響もあって、大学では物理学を専攻することにしました。
大学は東京大学と早稲田大学を受験しましたが、第一志望だった東大には選ばれず……。浪人して再度チャレンジすることも考えましたが、好きな物理を一日でも早く勉強したいという思いが強く、現役で早稲田大学の理工学部に進みました。
早稲田大学には*2並木美喜雄先生がいらっしゃいました。量子力学の研究に人生を捧げたと言っても過言ではないような方で、当時50代後半くらいだったでしょうか。父より少し上の世代でしたが、学問に対する情熱は全く衰えておらず、とても厳しい先生でした。でも、日本を代表する物理学の先生から「物理学とは何か?」を基礎から徹底的に教えてもらえることが嬉しくて、心躍る毎日でした。4年次から所属する研究室では専門性の高い先進的な理論などを教わり、学部卒業後に進学した大学院でも並木先生に指導していただきました。
私の研究分野は素粒子でした。そして、素粒子を突き詰めていくと宇宙について理解できると知りました。*3ビッグバンによる宇宙の誕生時は素粒子が満ち溢れているのですが、素粒子の勉強をすると宇宙を知ることができます。逆もまた然りで、宇宙を勉強すると素粒子を深く理解できます。その関係性に気づくと宇宙が俄然おもしろくなり、さらに深く追究したくなりました。ですが、早稲田大学には宇宙に関する研究室がなかったので、博士課程は広島大学の大学院に進み、理論物理学研究所に所属して素粒子と宇宙の関係や宇宙重力理論の研究に取り組みました。
*2早稲田大学名誉教授。同大学理工学部物理学科の創設に尽力。著書は『量子力学入門:現代科学のミステリー』(岩波新書)など。
*3宇宙は138億年前に高温・高圧・高密度の火の玉が急膨張して大爆発=ビッグバン(Big Bang)を起こし誕生したと考えられている。
博士課程修了後は、東京大学理学部で助手、京都大学大学院で助教授を務め、その後、国立天文台で理論天文学研究系の教授職に就きました。そこで長く勤めることもできましたが、自分が研究グループの主宰者になり学生を育てたいという思いから、チャンスがあった名古屋大学に移りました。そして最終的には、自らの研究室を30人規模の日本を代表する宇宙論研究グループに成長させることができました。
名古屋大学は文系・理系を問わず、どの領域でも世界トップレベルの研究を実践できる環境が整っています。総長としての私の役目は、あらゆる分野でさらに後世に受け継がれる成果を生み出し、世界と勝負できる国際的に卓越した研究活動を行う大学にすることです。本学は創立時から権威主義を良しとしない傾向があり、論文を書けば大学院生も教授も研究者としては対等だという考え方が根付いています。だからこそ次々と新しい発想や考えが生まれ、学部生、大学院生、教員が一緒になって侃々諤々と議論できるのです。
関塾の皆さんには、自分がやりたいこと、好きなことをとことん究めたいという意欲をもって勉強を楽しんでくださいと伝えたいですね。早い段階で「この道しかない」と決めつける必要はありません。私のように、大学に入って素粒子から宇宙へと興味の対象が変わることもあるわけですから。興味が向かないことを勉強するのはつらいものです。子どもの頃に「おもしろい!」と思えることに出会えたら幸せですし、今は見つけられなくても、いろいろなことに挑戦する中で、自分の心に引っかかる何かをゆっくりと探せばいいんです。自分が好きなことなら、少しくらい勉強が大変でも頑張り続けられますよ。
SEARCH
CATEGORY
よく読まれている記事
KEYWORD