千葉大学のキャッチフレーズは、「輝かしい未来を牽引する 世界に冠たる千葉大学へ」。2016年には国立大学初の国際教養学部を創設し、すべての学部・大学院で全員留学を目指す教育方針を掲げ、グローバルに活躍できる人材の育成に力を入れています。中山俊憲先生がアメリカ留学を経験されたのは20代後半。世界各国から集まる研究員の多様な個性に触れて、お互いを認め合いながら協働する大切さを学ばれたそうです。
【中山 俊憲(なかやま・としのり)】
1959年生まれ。岡山県出身。医学博士(東京大学)。
84年3月山口大学医学部卒業、88年東京大学大学院医学系研究科修了、米国国立癌研究所客員研究員。91年東京大学医学部免疫学教室助手。95年東京理科大学生命科学研究所助教授。98年千葉大学大学院医学研究科助教授、2001年同大学大学院医学研究院教授。05~09年同大学バイオメディカル研究センター長併任、11年同大学医学研究院副研究院長、12~15年同大学未来医療教育研究センター長併任、14年同大学副学長・未来医療教育研究機構長併任、15年同大学大学院医学研究院長・医学部長。18年同大学サンディエゴ・キャンパスキャンパス長。21年千葉大学学長就任。専門は免疫学、アレルギー学。
生まれ育った岡山県総社市は、里山や田園に囲まれたとてものどかなところです。父、母、妹、祖父母と一緒に暮らし、子どもの頃は川で魚を捕まえたり、山でマツタケを探したり……。身近にある自然が格好の遊び場でした。と言うと、いつも元気に野山を駆け回っていた健康優良児と思われるかもしれませんが、幼少期は小児喘息を患っていて病弱でした。幼稚園にはほとんど登園できず、小学校も低学年の時は休むことが多かったですね。
父と母はともに学校の教師で、父は高校で化学を、母は小学校で教えていました。家では勉強しなさいと言われることはあまりなく、それよりも礼儀やマナーを厳しくしつけられたように記憶しています。ただ、両親が教師という家庭環境でしたので、「勉強はきちんとやらなければ」という意識は自然に芽生えたように思います。小学校時代は体育が得意ではありませんでしたが、他の科目は特に苦手意識はなく、毎日楽しく勉強していました。
小学校高学年になると小児喘息はほぼ完治し、中学では体力をつけるために軟式テニス部に入りました。クラブの仲間と一緒に練習に打ち込み、県大会でベスト4の成績を収めることができました。勉強で得意だった科目は理科です。幼い頃から自然に親しんでいたので生き物に興味があり、特に生物が好きでした。
高校は地元の公立校に入学。学区内で普通科があるのは1校だけで、父が勤めていた学校でした。3年間、父の授業を受けることがなかったのは、今思うと学校側が配慮してくれたからかもしれません(笑)。高校でも生物の授業が一番おもしろかった。文系科目も好きでしたが、国語はやや苦手意識があり、テストではあまりいい点数がとれませんでした。そのため、父の知り合いだった高校の元国語教諭の方に教えてもらうことに。大学受験を見据えてのことでしたが、問題を解くテクニックを教えてもらったことはほとんどありません。古文や漢文、詩、随筆を一緒に読んだり、文学にまつわるエピソードを聞かせてもらったりしていました。学校の授業とは違うアプローチで国語のおもしろさを知ることができたことが記憶に残っています。
将来は研究者になりたい――。この思いは中学生の頃からありました。高校で進路を決める時、ある先生から「医学部に入っても研究者になれる」と教えてもらったことがきっかけで、その道を志すことにしました。先生方が放課後、大学入試に向けた補習を熱心に行ってくれたおかげで、山口大学医学部に合格することができました。
医学部は6年間の勉強を終え、国家試験に合格し研修医の経験を積めば、どの診療科の医者にもなれます。学部生の多くがその道に進みますが、私は最初から研究者になりたかったので、卒業後は大学院への進学を考えていました。東京大学の大学院に進んだのですが、その大きな後押しとなったのは、免疫学を専門とする*1多田富雄先生の講演を聴いたことでした。
免疫学は今でこそ学問・研究分野が確立されていますが、当時は専門書がほとんどなく、解明されていないことがまだまだたくさんありました。免疫学や*2病理学は私が好きな生物と合致するフィールドで、多田先生は自分の専門分野のことだけではなく、西洋美術や文学の話も交えながら私たち学生を魅了する講演をしてくださいました。その多田先生がいらっしゃる東京大学の研究室でぜひ学びたいと思ったのです。
*1免疫学者、東京大学名誉教授。免疫学・分子生物学分野を専門とし医療に貢献。野口英世記念医学賞などを受賞。能の作者としても知られる。
*2病気になった原因を探り、患者の体に起きている変化がどのようなものかを研究する学問分野。
細胞は分裂しても自らのアイデンティティ(存在)を保ち続けようとします。大学院で免疫の研究に着手して、まずそこに興味を惹かれました。例えば、筋肉の細胞は分裂しても筋肉であり続けるために同じ遺伝情報のDNAをもう1つつくります。これは免疫系の細胞でも同じこと。これをアレルギーなどの症状に当てはめて考えると、細胞が分裂する時に疾患に関わる悪い性質を受け継がせないようにすれば医療に貢献できます。そうした基礎研究に取り組み、大学院修了後はさらに最先端の免疫学を学ぶために、アメリカの国立衛生研究所に所属する国立癌研究所に留学しました。
留学は、研究者として成長できただけでなく、人としての寛容さを養えたことも大きな収穫でした。世界のいろいろな国から集まっている留学生と共同研究をする時は、相手のバックグラウンドを理解し、その家族ともコミュニケーションをとると、より良い信頼関係が築けます。研究においては、私が技術的に優れていることもあれば、その逆もあり、お互いを尊重し認め合いながら協働することで自分の能力以上の成果が生み出せることを学べました。
「プレゼンはエンターテイメント性がなければ成功とは言えない」――。コロンビア大学で哲学を学んだあと医学の道に進んだ研究所の恩師の教授は、こんなことを言っていました。研究成果の発表は得てして一方通行になってしまいがちですが、それでは聴く人の心を動かすことはできない、と。留学して様々な国の人の多様な個性や価値観に触れたことで、視野を広げることができたと感じています。
留学を通じて多くを得られた経験から、大学で教える立場になって以降、若い人たちに海外へ出て行くことを積極的に勧めています。この考えは学長になった今も変わりません。本学では学部生・大学院生の全員が在学中に留学できるカリキュラムを整えていますから、世界に目を向けている学生には魅力的に感じてもらえるでしょう。留学で得た経験をもとに、やがてはグローバルに活躍できるリーダーの資質を養ってほしいと願っています。今、世界には社会的な課題が山積しています。その解決に向けて自ら一歩を踏み出し、統率力をもって行動できる人になれるように、在学中に自分の専門領域をはじめ、多分野からいろいろな知識を身につけてほしいですね。
小中学生や高校生の皆さんは、どの科目でも「この分野の勉強は楽しい」と感じることがきっとあるはずですから、そこを伸ばせば学ぶことがもっと楽しくなるでしょう。苦手な科目は「克服しなければ」と考えると重荷になりますので、まずは“そこそこできるレベル”を目指して取り組むのがよいかもしれません。
若い時はいくらでもやり直しができます。一度決めた進路から方向転換することになったとしても、くじけないで前を向いて進んでください。今は同じ会社で一生を終えるという時代ではありません。違う分野や方向に進みたいと思った時、柔軟に対応できるように、広い視野を持ち、失敗を恐れずどんどん挑戦しましょう。旺盛なチャレンジ精神は自分を成長させてくれますよ。
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