国立大学法人豊橋技術科学大学は、世界トップクラスの工科系大学を目指し、「技術科学」の教育と研究を使命に設立されました。教育面では高等専門学校の授業との接続を意識したカリキュラムを組み、研究面では産学・国際連携を重視した取り組みを推進してグローバルに活躍できる人材を育成しています。寺嶋一彦先生のご専門はシステム制御工学。やりたいことがなかなか見つからず、進む道を決めるまでにとても悩まれたそうです。
【寺嶋 一彦(てらしま・かずひこ)】
1952年生まれ。大阪府出身。工学博士(京都大学)。
76年3月京都工芸繊維大学工芸学部機械工学科卒業、78年同大大学院工学研究科機械工学専攻修了。81年京都大学大学院工学研究科博士後期課程精密工学専攻修了。82年豊橋技術科学大学工学部助手、88年同大工学部講師、90年同大工学部助教授。91年ミュンヘン工科大学電気工学ロボット制御研究室客員研究員。94年豊橋技術科学大学工学部教授、 2004年同大学長補佐、10年同大機械工学系長、12年同大副学長、18年同大理事・副学長、20年同大学長就任、現在に至る。専門はシステム制御工学、ロボット工学、鋳造プロセス制御とオートメーション。
生まれは大阪の高槻市です。3歳で京都市内に移り、大学院を修了するまで妙心寺のすぐ近くで過ごしました。子どもの頃は社寺などにあまり興味がなかったのですが、今ではとても良い環境だったと思います。金閣寺や石庭で有名な龍安寺も近く、今宮神社の境内で、同級生や近所の子と一緒にかくれんぼや鬼ごっこをして遊びました。
私は長男で、下には妹と弟がいます。繊維会社を経営していた父は、海軍兵学校出身の元職業軍人。曲がったことが嫌いな厳格な人で、私が友人と隣の家のイチジクの実を勝手に食べたことが見つかった時はすごい剣幕で叱られました(笑)。“鉄は熱いうちに打て”という教育方針で、小学校に入ると帰宅後はすぐ勉強するように言われました。一方で子ども思いの優しいところもあり、体調を崩しがちだった低学年の頃、体力をつけさせるために週末は琵琶湖に釣りに行くなど、外で健康的に過ごす機会をつくってくれました。母は優しい人だったので、家庭のバランスはうまくとれていた気がします。
自分がぐんと伸びた、成長したと最初に感じたのは小学6年の時でした。新任で若く元気溌剌な男性だった担任の先生の影響が大きかったです。朝は授業が始まる前に計算などの練習をする時間を設けてくれたり、社会で世界地図を指しながら教科書に載っていないような国の特色を話してくれたりしました。褒め上手で、うまく子どもの自主性を高めてくれたので、引っ込み思案だった私もどんどん手を挙げて発表するようになり、いつの間にかクラスのリーダーになっていました。
中学の教科だと、数学、理科、英語が得意でした。英語の成績が良かったのは、海軍で英語の大切さを実感していた父が、入学前に少し教えてくれたおかげです。当時の公立高校受験は、在籍している中学校から進学できる高校が指定されており、そのまま指定された地元の高校を受験し、進学したので、今のように競い合う空気はなかったですね。入学したのは京都府立嵯峨野高校です。現在は進学校で知られているようですが、当時の京都府では全人教育が掲げられていて、ゆったりした高校生活を送りながらも、学問の基礎をしっかり学びました。
進路は高校2年の秋頃から悩み始めました。理系も文系も好きでどちらかでまず迷い、父の会社を継ぐ可能性も考えて経済学部も候補にありました。*アポロが話題で、鉄腕アトムなどのロボット漫画も流行っていたので、工学分野にも興味を抱きました。高3の秋まで悩みに悩み、最終的には機械工学を勉強したいと京都大学を受けたものの、力及ばず浪人することに。じっくり考える時間ができたとプラスに考え、予備校にも通いましたが、翌年も京大には届かず……。心底落ち込みましたが、当時の国立大学二期校の京都工芸繊維大学機械工学科に合格。気分一新、大学生になりました。
入学後は、高校時代のように中途半端な姿勢でいてはいけないと大いに反省し、何でも失敗を恐れず思い切りやろうと心に決めました。専門課程の科目が少ない1~2年間は、広く学んでおこうと思い、学外で英会話を習ったり、興味を持った本を片っ端から読んだりしていました。さらに体も鍛えようと、柔道部に入部して4年間稽古を重ね、最後には二段まで昇段できました。そして専門課程の授業が始まった3年目、何を専門に選ぶべきか真剣に考えていた時、制御工学に出合ったのです。
*アポロ計画。NASA(アメリカ航空宇宙局)による人類初の月への有人宇宙飛行計画。1961年から1972年の11年にわたり実施された。
制御工学の「制御」とは、ものごとをコントロールすることです。部屋の温度、ロボットの動き、ロケットの飛行など、制御工学の技術は様々な場で必要とされます。さらに、理系だけでなく、社会、経済、人の心といった人文社会の領域にも応用できます。もともと文理どちらも興味があった私にとって非常に学びがいがあり、まさに求めていた学問でした。
研究室に所属した大学3年次から大学院の修士課程を終えるまでの間、もっとも影響を受けたのは、指導してくださった砂原善文先生です。授業は英語で板書をされ、実におもしろく、わかりやすく教えてくださいました。海外へ出張されることも多く、先生が考えた説が他国の研究者に先を越されて発表されたという話を聞いた時は、世界と戦っているすごさを感じました。
大学院に進学したのは、「もっと勉強したい!」という純粋な思いからです。それまで自分が本当にやりたいことをなかなか見つけられずにいた反動もあり、その先の就職のことなど考えず、寝食も忘れるほど研究に没頭しました。博士課程は京大に進み、そこで出会った先生方の中には、ノーベル賞候補にもなった優秀な方もいらして、多くの刺激を受けました。
高校までの私は「自分さえ頑張れば良い」という意識が少なからずありました。しかし研究室に入ってからは、仲間と切磋琢磨して「みんなで伸びていく」という姿勢でものごとに向き合えるようになりました。すばらしい恩師との出会いで、人間的にも成長できたのだと感じています。
豊橋技術科学大学で助手に就きましたが、研究を続けていくうちに、専門分野に対する学びが足りていないと感じ、助教授の時にドイツへ留学しました。海外での経験があったからこそ、研究者としても指導者としても一皮むけたと思っています。単に先進的な研究に触れただけでなく、日本の研究環境も捨てたものではないと気づくことができ、自信を深めて帰国して教授職を務めました。今は長年培った「制御」や「ロボット」の見識を活かし、本学の教育と研究の精度をさらに高めるために、学長の立場で財政面を含めて大学の経営をうまくコントロールできるように尽力しています。
本学の得意分野は、半導体とセンサです。いずれも科学技術の発展に不可欠で、その象徴のひとつがロボットです。課外活動の支援にも力を入れていて、ロボコン同好会は、日本一を決める「NHK学生ロボコン」の優勝回数で他大学を凌いでトップに立ち、国際大会の「ABUアジア・太平洋ロボットコンテスト」で2023年念願の初優勝を果たしました。ロボットを動かすには様々な分野の技術と英知を集結させなければなりません。ひとつの目標に向かって仲間と協力・協働し、お互いを高め合える土壌がありますので、工学系に興味があればぜひ本学に来てください。
私から皆さんへアドバイスをさせてもらうなら、興味があることは「わかる」までとことん突きつめることが大事です。早くからこの道、この分野に行くと決める必要はなく、幅広く勉強していれば必ずどこかで本当に自分がやりたいことが見つかります。見つかったら、失敗を恐れずに情熱を持って果敢に挑戦しましょう!
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