コロナ禍によって「利他」というキーワードが注目を集めました。当たり前だった人との交流が制限されたことで、人とつながることの大切さに改めて気づいたからでしょう。辞書には、「【利他(りた)】自分を犠牲にして他人に利益を与えること。他人の幸福を願うこと。」とありますが、こうした従来の意味からは少し離れて、利他について研究しているのが、東京工業大学の未来の人類研究センターです。2022年にメンバーに加わった多久和理実先生に、センターでの活動、利他を視点にどんな研究をされているのか、などについて伺いました。
多久和先生のご専門は科学史です。科学史と利他がどう結びつくのか、気になりますね。まずは、未来の人類研究センターが進めている「利他プロジェクト」についてお話を伺いました。
2022年4月に未来の人類研究センター(以下、センター)のメンバーに加わりました。「利他プロジェクト」はすでに動き始めていて、第一期の先生方が様々な活動を進められていました。その内容や研究成果などから感じたのは、利他は包容力があるテーマだな、ということです。
“利他とはこういうものだ”と決めつけるのではなく、研究する側が新たな切り口を見つけて、自分の専門分野に引き込んで研究をしても構わない、というところにとても魅力を感じました。
センター長の伊藤亜紗先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)は、「“利他”という言葉の輪郭は非常にあいまいで、人や国によっても捉え方は異なる」とおっしゃっています。また、次のようにも。「“これをすると相手の利益になるだろう”と思ってしたことが、やがて“してあげているのだから相手は喜ぶはず”に変わり、さらには、相手から感謝されないと気が済まなくなる。これは利他ではなく、相手を支配することにつながる」と――。
「あなたのためにしていることだから、こういうふうに受け取ってくださいね」と、与える側が未来をコントロールしたくなるような行為――これは“押しつけ”ですよね。センターが考える利他はこうした合理的利他主義ではなく、今あるものから漏れ出してくるもの――そのように捉えています。
利他が生じる場についてセンターでは、“開かれた「余白」を持つ”とか、“計画外の出来事を受け入れて他者の可能性を引き出す「うつわ」”といった特徴があると分析しています。
利他を伝える言葉として私が考えたのは “手放す”という表現です。相手に与えるけれども、受け手がそれをどう使っても、解釈しても、どのようなかたちにしてもいい、相手に任せて手放す、という考え方です。
利他プロジェクトのメンバーは、それぞれがいろいろなキーワードを使い、自分のフィールドにおける利他とはこういうもの、という考えのもとで研究を進めていて、こうした風通しの良さが活動のしやすさにつながっているのだろうと思います。
多久和先生が「利他プロジェクト」で行っているのは、東京工業大学の歴史を振り返り、文字として残らなかった“抜け落ちた記録“に目を向け、そこから利他を考える研究です。具体的な内容を教えてもらいましょう。
歴史の研究は、基本的に文字で書かれた資料がベースになり、私の専門の科学史の場合だと、昔の科学者が残した論文や実験ノートが資料になります。ですが、昔の文献には失敗した実験や間違っていた学説などは書き残されていないことが多くて……。「本当はこうだったのでは?」と仮説を立てても、それを裏付ける資料がないために、そこから先に進めなくなってしまうことがありました。
歴史的資料には、残るものと残らないものがある――。この現実に対して抱いたのは、記録があるものだけが認識され、後世に伝えられていくことへの違和感です。記録が残っていないものは、意図的に残されなかったのかもしれない、その“抜け落ちた記録”をたどるにはどうすればいいだろうか、ということに関心がありました。
学生時代からずっと持ち続けてきたこのテーマを、利他プロジェクトの活動の中で扱わせてもらう機会を得て研究することになりました。
そうして始めたのが、「東工大のキャンパスに親しむ」という科目です。大学院生(修士課程)向けの*1横断科目として2022年4月に開講しました。
*1 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院と各学院の理工系の教員や学外の専門家が協働して開講する特徴的な科目群。
開講のねらい
この科目を新設した目的は2つあります。ひとつは、科目名が示す通り、学生が自分でキャンパスの魅力を発見する力を身につけ、キャンパスに親しみを持ってもらうようにすることです。もうひとつは、自分が調べて知り得た情報を記録し、未来に残すという意識を持ってもらうことです。
1.キャンパスの魅力を知る
修士課程の研究室は、東京都の大岡山キャンパス(目黒区)、田町キャンパス(港区)、神奈川県のすずかけ台キャンパス(横浜市緑区)の3か所に分散しているのですが、学生にキャンパスについて尋ねると、「どういう場所なのか全く知りません」と……。研究に没頭して、地域のことをよく知らないまま卒業する学生が多いんですね。それをとてももったいないと感じていて、自分が通うキャンパスやその周辺地域のことを深く知れば、その場所に親しみが湧いて、学生生活をもっと充実させられると思ったんです。
そこで、各キャンパスの歴史や地理、動物、植物、鉄道などにまつわる10のテーマを用意し、学内外の研究者の方などにお願いして講演をしていただきました。受講生は講義とディスカッションを通して自分自身でキャンパスの魅力を発見し、最終レポート課題として自分の視点で「新・キャンパスマップ」を作成します。
2.記録を作成して未来に残す
この科目で養ってほしいもう1点は、現在の記録を未来に残すという視点を持つことです。
私が東京工業大学の歴史を調べたところ、わからなくなっていることがたくさんありました。その中には、不自然と思えるほど記録がない、または少ない事例も――。ここからわかったのは、モノや記録は残そうと努力する人がいなければ残らない、ということです。また、大学が語りたくない“負の歴史”と言われるものほど容易に消されてしまう点に疑問を持ちました。
例を挙げると、大学の資料の中に戦争中の記録が見当たらないことが不思議で仕方がなかったんです。大学1年の時からずっと気になっていたことで、何かが抜け落ちているなと思ったら、“なぜ抜け落ちているんだろう?”と気になって……。このテーマには、初めて疑問を持った学生時代から今も取り組んでいるので、当時の宿題がまだ終わっていない、そんな感じですね(笑)。
学生たちには、大学の歴史には意図的に抜け落ちた記録があり、誰かが残し発信しなければ未来に伝わらない、ということを知ってほしい。そして将来、歴史を構成するような記録を残す側になってほしいですね。そうして受け継がれた記録は、後世では作り手の意図から離れ、異なった物語として描き出される……。先に述べたように、受け取る側に任せて手放すという視点を、私は利他プロジェクトに加わることで持つことができました。
東京工業大学で物理学と科学史を学び、現在は講師として母校で教鞭を執る多久和先生。科学に興味を持つようになったきっかけや、その魅力について語っていただきました。関塾生の皆さんへのメッセージも!
科学史は、科学上の様々な概念や、科学を探求する実験の方法などが歴史的にどう変わってきたのかを解き直す学問です。
*2アイザック・ニュートンの生涯や、彼が考案した光の実験に魅せられて、大学では物理学科に進んだのですが、もともと物理学だけではなく物理学史も学びたいと思っていました。それで大学院の修士課程に進んだ時に社会理工学研究科(当時)の科学史専攻に転向しました。
私が講義で率先して行うのは、歴史上の実験を再現したり、シミュレーションしたりすることです。学生時代から、物理学が形成される中で実験がどういう役割を果たしてきたのかということに興味があり、何かを調べる時には実験という手法を取り入れたいのです。
なぜかと言うと、歴史上の実験結果や科学の法則は、主張する学説に都合がいいように再構成されて教科書に載っていることがあるからです。教科書の記述は本当に正しいのか、定説とされている理論は間違っていないのか、実際に試して確かめたいと思いませんか? ある法則が導き出されるまでには、当事者にしかわからない試行錯誤や紆余曲折があったはずです。科学史という学問は、今、残されている結論の裏側にあるそうした物語を考えることに楽しさがあります。
私は、ひとつの科学理論が確立するまでの過程について注意深く検証したいと思っていて、学生たちには自分の目で見て徹底的に考察してほしい――。こんな思いから、講義に再現実験を織り交ぜて追体験してもらっています。
*2 1642~1727年。イギリスの物理学者・数学者。運動の法則、万有引力の法則の導入、微積分法の発明、光のスペクトル分析など数々の業績がある。
理科や実験が好きになったのは、理科の教師をしていた父の影響が大きいですね。実験に対しては特に熱心で、休日には科学教室を開いて子どもたちに教え、私はそれについて行って手伝いをしていました。学校で習った実験結果に納得できない時は父に相談。すると「じゃあ、違うやり方でやってみよう」と家での再実験に付き合ってくれました。私の名前(理科の“理”と実験の“実”で理実)からも、父がいかに理科と実験が好きか、わかってもらえるのではないでしょうか(笑)。
中学生になると光に興味を持つようになりました。分光器を使って身近な光のスペクトルを調べ、『虹ノート』と名付けたノートに記録していましたね。
父の他にもう1人、影響を受けた人がいます。*3板倉聖宣先生です。板倉先生は科学に関する本をたくさん書かれていますが、特に印象に残っているのが『科学と科学教育の源流』という本です。歴史と科学の話が一体化しているところに惹かれ、好奇心を大いに刺激されました。板倉先生の本に出会ったおかげで、科学への関心が高まったのと同時に、科学の歴史に対する興味も大きくふくらみました。
*3 1930~2018年。教育学者。仮説実験授業を提唱し、科学教育の改革を推進した。自称、いたずら博士。
皆さんにはそれぞれ、得意な教科や好きな科目があるでしょう。自分が進む道を考える時、得意なもの、好きなものを出発点にする人が多いと思います。これはもちろん賢い選択ですが、それだけに縛られずに、幅広く学ぶ姿勢を持つことが大事だと思います。
物理学科の学部生だった時、光学実験をはじめ、たくさんの実験をしました。科学史の研究者には当然、歴史に詳しい人が多いのですが、私のように光学実験のトレーニングを受けた人はそうはいません。実験に取り組んだ学部生時代の経験が、今の研究に活かされています。他の研究者とは違う道を歩んだからこそ、私だけの強みを持つことができました。
自分が本来やろうとしていることとは関係がないと思えても、遠回りだと感じても、回り回って将来、どこかで役に立つことがきっとあります。いろいろな経験を積み、引き出しを増やして、自分の強みになることを見つけてください。
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