東京都内に3キャンパスを構える法政大学は、文理合わせて15の学部を擁する総合型の私立大学です。大学憲章の「自由を生き抜く実践知」を身につけるために、創立時から進取の教育・研究に取り組んでいます。現総長の廣瀬克哉先生は、中高時代は数学が得意で理系クラスでしたが、大学は法学部に進まれたそうです。進路選択のきっかけや、イギリス留学で経験した日本との考え方の違いなどをお話しくださいました。
【廣瀬 克哉(ひろせ・かつや)】
1958年生まれ。奈良県出身。法学博士(東京大学)。
81年3月東京大学法学部卒業。83年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。87年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学、東京大学大学院法学博士学位取得。87年法政大学法学部助教授。91年ロンドン大学政治経済学院客員研究員。95年法政大学法学部教授、2008年同大学総合情報センター所長、12年法政大学法学部長、学校法人法政大学評議員。14年学校法人法政大学常務理事。17年法政大学副学長。21年法政大学総長就任、現在に至る。専門は行政学、公共政策学、地方自治。
幼い頃は先生泣かせの子どもでしたね。奈良市内の新興住宅地に住んでいて、私も含めて一駅だけ電車に乗って幼稚園に通っている子が多く、帰る際は先生がきちんと乗車するまで見送ってくれました。ですが私は管理されるのが嫌で、駅に入った途端に一目散に走り出し、先生の目が届かないところに行ってしまっていました。「今日は歩いて帰ろう」と皆に呼びかけたこともあり、本人たちは意気揚々と歩いたのですが、親に帰りが遅いと心配をかけて、随分と叱られました(笑)。
小学校でも、あまり先生の言うことを聞かず、授業も興味があるものしか集中していませんでしたね。それでもテストの点数は良かったので、「授業が退屈だと感じさせているようで教師としてつらい」と家庭訪問で先生が話していたと聞きました。
福祉法人に勤めていた父、専業主婦の母、妹の4人家族で、教育熱心な家庭だったと思います。例えば、父のすすめで、算数は暗算力ではなく理詰めの考えで理解する「水道方式」という方法で問題を解いていました。また、低学年の頃から少年少女向けの世界文学全集を与えてくれたおかげで本を読むことも好きでした。
親にすすめられて奈良教育大学附属小学校を受験して、抽選で落ちてがっかりした思い出もあります。それで6年後には東大寺学園中学校を受験することになり、塾には通わず、自分で参考書を解いて勉強して無事に合格できました。
中学1年の時の成績は、学年90人中で70番台とふるいませんでした。数学の幾何と社会の地理が苦手だったのが原因です。算数の頃から式の処理や文章題は得意でしたが、図形は全然ダメで、どうしてもうまく想像できず……。地理は、旅好きの先生が実際に訪れた際の話をしてくれたのですが、行ったことのない土地の話は全く響かず、機械的に暗記するだけで、苦痛で仕方ありませんでした。
ですが2年生になると、数学は代数、社会は歴史になり、どちらも得意だったので俄然おもしろくなりました。同じ社会でも、歴史のストーリーは想像しやすく、興味を持って勉強できたのです。そうなると苦手科目も最低限、平均点をとれるくらいまでは努力しようと気持ちを切り替えて取り組め、上位1~2割の成績を維持できるようになりました。
中高時代を振り返ると、勉強時間の6割以上を数学に費やしていたと思います。進んで難しい問題に向き合い、時には数日かけて解法を考えて、解けると出題者に勝ち、解けなければ負けというようにゲーム感覚で楽しんでいました。東京大学の文科Ⅰ類に合格できたのは数学が得点源になったからです。
数学が得意で高校3年までずっと理系クラスで、伯父が一級建築士でよく話を聞いていたので、進路も工学部、建築学科を考えていました。ただ一方で、通信教育の教材で*丸山眞男先生の文章に触れたことをきっかけに政治学にも興味を抱きました。
どちらにするか迷っていたのですが、「図形が苦手なら建築は無理じゃないか? 頭の中で立体的な形が思い浮かばないだろう」と友人に言われて、確かにその通りだと。それで政治学を選び、丸山先生が教鞭を執られていた東大を受けようと決めました。
東大の法学部は1・2年次の教養学部を経て、専門課程では司法試験受験者が多い第1類、国家公務員試験受験者が多い第2類、政治学を勉強する第3類に分かれます。3類を選択する学生は1割にも満たない程度だったのですが、私は迷わず3類を選び、学部卒業後は大学院に進みました。
*日本の政治学者、思想家、東京大学名誉教授。政治思想史の研究とともに政治評論で大きな影響力のあった人物。
私が専門に選んだのは、行政学という分野です。指導教官の西尾勝先生は丸山先生のゼミに学生時代出られていた方で、丸山先生は政治思想史の大家ですが、西尾先生は「思想という抽象的な概念を突き詰めるのは自分には向いていない、社会問題の解決など現実的な面を通してしか考えられないから行政学を選んだ」とおっしゃっていました。私もそうだと感じて、社会課題に対する具体策を研究するようになり、中でも関心を惹かれたのが文民統制でした。
文民統制とは、軍隊に対して民主主義的な政治が統制を行うことです。軍人が統制すると、軍隊を抑制できなくなる危険性があるためで、民主主義国家の原則になっています。ですが、実際に軍事的な戦略や防衛政策を立てるには専門家の意見が不可欠で、素人が思い込みだけで決めてもうまくいきません。その専門性と民主性の関係、どのようにバランスをとれば良いのかをテーマとして博士論文を執筆しました。
しかし、次第に軍事領域について論じることの限界を感じるようになりました。軍事について専門的に学んだこともなく、そもそも深く学びたいと思うほど関心が持てなかったのです。その頃はちょうどインターネットがどんどん発達している時代で、専門家の方の話を聞く機会が多く、この分野なら自分にも相当程度わかると感じました。そこで、電気通信や情報政策に研究対象を変えて、自治体のIT戦略などを支援するようになり、今に至っています。
法政大学で教員として研究を続けるうち、海外の行政改革を学びたいと思い、サッチャー政権による改革を終えたばかりだったイギリスのロンドン大学へ1991年に留学しました。政治学はアメリカが主流ですが、日本と同じ議院内閣制であるイギリスの方が参考になるだろうと思ったのです。
留学して驚いたのは「建て前」の認識の違いです。日本で「本音と建て前」と言う時は、建て前をないがしろにして本音ばかりに目を向ける風潮があるように思います。一方、イギリスでは「建て前」にあたるようなことを「フェアリーテイル(おとぎ話)」と表現することがあります。ですがこれは、おとぎ話だから本当のことではない、軽く見ていい、という意味ではないのです。絶対王政から市民革命を経て、選挙で選ばれた人たちがものごとを決めるようになったというのが民主主義の歴史です。それは今ではおとぎ話のように感じる美しい理念で、現実はその通りとは限らないけれど、だからこそ大事にしなければならないのだ、そんな気持ちを込めて使われています。私は大学運営においても同じように、全員で組織を動かすことを大切にしたいと思っていて、学生の意見も積極的に取り入れています。
関塾生の皆さんに勉強面でのアドバイスをするなら、まずは得意な科目を伸ばすのが良いと思います。今は「総合知」を重んじる傾向がありますが、最初から“総合”を学ぶ入口はありません。自分の好きなことを始めるのがそこに向かう第一歩で、勉強に臨む時も同様です。得意な科目に時間をたっぷり使えるよう、苦手科目は最低限の時間でこなすことを意識すれば、受験勉強もきっと乗り越えられるでしょう。
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