2024年6月号 わたしの勉学時代 立命館アジア太平洋大学(APU) 学長 米山 裕先生に聞く

大分県別府市に学び舎を構える立命館アジア太平洋大学は、「自由・平和・ヒューマニティ」「国際相互理解」「アジア太平洋の未来創造」を基本理念に掲げる私立大学。開学時から日本の大学に類を見ない多文化環境を実現し、日本人学生と100以上の国・地域から集まる留学生がともに世界を変える志を持って学んでいます。米山裕先生の専門はアメリカ史。大学で国際関係論に出会ったことで、理系から文系に進路を変えられたそうです。

【米山 裕(よねやま・ひろし)】
1959年生まれ。東京都出身。文学修士(筑波大学)。
83年3月東京大学教養学部卒業。88年筑波大学大学院歴史・人類学研究科文学修士(史学)取得。91年カリフォルニア大学大学院ロサンゼルス校歴史学研究科アメリカ史専攻退学。93年東洋女子短期大学欧米文化学科専任講師、96年助教授。98年立命館大学文学部助教授、2003年教授。20年立命館アジア太平洋大学副学長、同大学アジア太平洋学部教授。24年1月より学長に就任、現在に至る。専門はアメリカ史、日系移民史。

外よりも家の中で遊んでいた

 幼い頃は、両親、妹、父方の祖父母と東京都北区で暮らしていました。あまり社会性のない子どもだったようで、幼稚園の同級生が集まっているところに「一緒に遊んであげてね」と私を預けて母が帰宅したら、私の方が先に家に戻って一人で遊んでいた、なんてこともあったそうです(笑)。確かに、外遊びより、家の中で図鑑を見たり、パズルをしたりする方が好きだった記憶があります。
 総合化学メーカー勤めだった父の転勤で、兵庫県の西宮市に移ったのは年長の夏頃です。西宮北口駅の周辺には大企業の社宅棟が並んでいて、同じような家庭が多かったですね。小学校入学前は、なぜか「先生たちはみんな厳しくて怖い」というイメージを抱いていて、指し棒で打たれるような想像をしていたのですが、もちろんそんなことはなく、先生方は児童をとても大事にしてくれ、気の合う友達もできて、楽しく6年間を過ごしました。両親も愛情を注いで育ててくれて、夏休みなどにはいろいろな場所に連れて行ってくれました。

切磋琢磨しながら成長

 中学校は、私立の有名進学校である灘中学校を受験し、進学しました。きっかけは、親に「将来、東大に行きたい?」と尋ねられて「行きたい!」と答えたことです。父も、父の兄と姉も東京大学の出身だったので、私も自然と目指すようになっていたのです。それなら小学生のうちから勉強しなければと、小学5年から進学塾に通い始めました。ですが、受験勉強をつらいと思ったことはなく、算数の文章題などはパズルのような感覚で、楽しく机に向かえました。
 灘中の授業は、とても独自性がありました。特に数学は、中1では教科書を一切使わず、戦前の幾何学教科書を複製したものを使って、図に描きながら学びました。おそらく数的思考を頭の中で視覚化させる目的だったのでしょう。代数から学ぶと、公式を覚えることを優先してしまい、数学本来のおもしろさに気づけないことがあるからだと思います。他にも生物など理系の授業がよく工夫されていたと思います。
 真面目に授業を聞いて宿題をしていればきちんと伸びる学校だったので、塾に通わなくても成績は上位をキープできていました。難しい問題は教え合うなど、皆で切磋琢磨しながら成長できる環境でした。

▲中高時代はサッカー部でしたが、対戦校が「スポーツでは負けない!」と気合いを入れて挑んでくるので負けてばかりでした……。20対0で大敗した時は、さすがに部員全員ひどく落ち込んで、見かねた顧問の先生がカレーライスをごちそうしてくれました。

理系志望から一転、文系に

 私は小学生の頃から一貫して理系科目が好きで、得意でした。文系科目も嫌いではなかったのですが、テストは毎回一夜漬けの勉強で臨んでいて、それほど情熱を持って勉強してはいませんでした。唯一、高校で政治などを教わった公民の先生の授業だけは妙に魅力的で印象に残っています。
 父も理系企業に勤めるサラリーマンでしたし、私もそうなるのだろうと漠然と思っていて、進路も理系を選択しました。志望校はもちろん東大で、SF小説が好きで宇宙に興味がありましたし、航空工学やロケット工学を学びたいと思い、理科一類を受験することに決めました。高校2年の秋くらいから皆受験モードに入っていくので、私も問題集などを解いていたら、物理の理解度が足りないと気づいて最初からやり直し、無事に合格できました。
 ところが、実際に大学で授業を受けてみると、数学が全くおもしろくなかったのです。大学の理系は数学ができないと話にならず、他の授業も思っていたのと違って、進むべき道を迷い始めました。そんな中で転機になったのは、一般教養科目で受けた国際関係論の授業でした。世界の国と国との関係を分析する入門的な方法論を教えてくれた衞藤瀋吉先生の授業など、すごく新鮮で、こんなおもしろい学問があるのかとワクワクしました。4人の先生によるリレー形式の講義だったのですが、どの先生の授業も興味深く、こういう先生方にもっと教わりたいと、3年次から教養学部に進む決断ができました。

事実を明らかにし、伝えていく

 中でも私が専門に選んだのはアメリカの研究です。大学に入ってからの成績がそれほど良くなかったので倍率が高かった国際関係論を避けた、という消極的な理由もあるのですが、当時はソ連とアメリカが冷戦中で、国際社会で最も大きな問題でした。ロシアかアメリカかで迷い、最終的な決め手は留学するならアメリカの方が楽しそうだという単純な理由でした(笑)。
 そして3年生の時、「アメリカ社会誌」という、黒人、インディアン(先住民)、中国系、日系などのグループに分けてアメリカの少数集団の歴史を調べる授業があり、たまたま私が日系人を担当したことから、日系移民の研究に取り組むように。日系2世の方が著した教科書を使って調べていくうちに、どんどん興味がかき立てられ、先輩から奨学金があると聞いて、4年の夏から1年間、日系人を専門に研究している先生がいらしたカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学しました。
 留学先では、一生の恩師となる日本人の阪田安雄先生と日系人のイチオカ・ユウジ先生から、歴史を研究するとはどういうことかを深く学べました。歴史の研究は、過去の資料を掘り起こすことから始まります。UCLAには他にない資料が豊富にあり、一つひとつに目を通していると、自分よりずっと前に生きていた人たちや、時代のことが詳しくわかり、差別と戦っていた苦労なども垣間見ることができました。けれどそうした事実は、私たち研究者が明らかにして、次の世代に伝えていかなければ、やがて忘れ去られてしまうのです。そんな使命感を抱いて、この研究を続けたいと強く思うようになり、学部卒業後は筑波大学の大学院に進みました。

▲学部留学時、UCLAのゲート前での記念撮影。

キャンパスの外に飛び出そう

 大学院で再びUCLAに留学し、帰国後は東洋女子短期大学の教壇に立つことに。教育には研究とは違ったおもしろさがあり、培ったスキルで学生をサポートできることに喜びを感じました。その後、縁があって1998年より立命館大学に着任し、すばらしい教職員の方や学生たちに出会えたおかげで、恵まれた21年間を過ごせました。
 2020年に前学長の出口治明先生にお声がけいただいて立命館アジア太平洋大学に着任し、2024年1月に学長を拝命しました。本学の使命は、国際感覚と国際的視野を持って日本と諸外国の友好に寄与できる人材を育成することです。留学やインターンシップでキャンパスの外に飛び出せば、さらに自らを成長させられますから、自治体や各企業にも協力していただき、在学中に様々な実践経験から学びを得られる場を設けています。
 若い世代にメッセージを送るなら、「何に興味があるのか」を自ら見つけながら前に進んでほしいと思います。学校の勉強も、塾の勉強も、“やらされている”と感じて机に向かっていては、決しておもしろさに気づけません。私自身がそうだったように、世の中には思った通りにいかないこともたくさんあります。ですが、どんな状況でも次につながるチャンスはありますし、楽しめることも必ずあります。自分の感性で、自分がおもしろいと感じることを見つけるのが大事で、それに気づけば自ずと学びに対する意欲も高まっていきます。

▲最初に留学した時は、授業のノートが全然とれず苦労しました。そこで帰国後は日本語の授業でも英語でノートをとるようにしたところ、とても効果的で、次の留学ではバッチリでした。

 

 

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