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なめとこ山の麓に、小十郎という熊撃ちの名人がいた。小十郎は熊たちが憎いわけではなく、
本当は殺したくなどなかったが、大勢の家族を養うためには仕方がなかった。熊の言っていることさえわかるほど熊に親しんでいた小十郎だったが、
ある日、とうとう熊を撃ち損じて襲われてしまった。死にゆく小十郎は、「お前を殺すつもりはなかった」という熊の言葉を聞く。三日後の晩、大勢の熊たちが小十郎を囲んで弔いをするのだった。
 
熊の言葉がわかる小十郎が、「母親とやっと一歳になるかならないような子熊」の会話を偶然耳にします。この直前、小十郎は妻と息子を赤痢(大腸の感染症)で亡くしていることが語られています。胸がいっぱいになったのは、「もし妻と息子が生きていたら、あのように他愛のない会話をしたのだろうな」と思ったからでしょう。
二匹は、ちょうど人が額に手を当てて遠くを眺めるようにしながら会話をしています。
そのしぐさも小十郎の心に染みたのかもしれませんね。
小十郎と熊が心を通わせるシーンは他にも描かれています。ぜひ読んでみましょう。
小十郎は熊の命を奪う仕事をしていますが、宮沢賢治はそれを否定的に描いていません。
小十郎は生きるために熊を撃っていたのであって、それは熊が獲物を狩るのと同じく山での営みの一つであったのです。
 
 
 
画家を目指す、若い女性のスーとジョンジー。ある日、ジョンジーは肺炎を患らい、窓の外に見えるレンガの壁を見ながら「あのツタの葉がすべて落ちたら、私は死ぬ」と思い込む。階下の部屋に暮らすベアマン老人はジョンジーの思い込みをばかにする。後日、雨に濡れ肺炎で亡くなったベアマン。そして、死ぬという妄想を捨てて元気になったジョンジーが見つめるレンガの壁には、ベアマンがずっと追い求めていた最高傑作――ツタの葉一枚の絵が残っていた。
 
訛りのあるベアマンさんは、ジョンジーのことを“ヨーンジー”と呼んでいます。
60歳を過ぎても画家としてぱっとせず、しかし「いつか最高傑作を描く」と豪語する老人。
酒飲みで気性も激しい困った人ですが、スーとジョンジーを護ってあげようと思っています。
このシーンは、そんなベアマンさんの性格がよく表れています。
また、ベアマンさんがジョンジーのために行動を起こす予兆の一つにもなっています。
ベアマンさんは、寒い雨の中、ジョンジーのためにツタの葉を描きます。
そして肺炎で亡くなってしまいます。ジョンジーはベアマンさんが描いた、最後に一つだけ残ったツタの葉を見て生きる気力を取り戻します。この物語の解釈を、ベアマンさんの自己犠牲の物語とする説もあれば、一人の芸術家の生き様を描いているとする説もあります。皆さんはどう読みますか?
 
 
 
 
従姉弟同士だった15歳の政夫と17歳の民子は、しだいに想い合うようになった。
しかし、その関係を周りから反対され、政夫が遠くの学校へ行くことも決まっていたので離れ離ばなれになった。そんなある日、政夫のもとに急の報せが来る。急いで故郷へ戻ってみると、民子はすでに亡 くなっていた。
拒むことができずに他の家へ嫁いで、流産をしたということだ。
政夫は、民子の墓の周りに、彼女が好きだった野菊が咲いているのを見つけた。
 
民子の死に動揺し、深い悲しみに囚われている政夫が、墓の周りに野菊が咲いているのを見て少し落ち着きを取り戻すシーン。
野菊は民子を象徴する花です。作者は、民子のことを、政夫を通して「民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。可憐で優しくてそうして品格もあった」と表現し、野菊のようであると言っています。
そして野菊について語り合う二人は互いを好きだという気持ちを深めていくのです。
そんなシーンを経ているからこそ、民子の墓の周りの野菊たちの存在は、いっそう引き立ちます。望まぬ結婚で早死にしてしまった民子と、望まぬ結婚をして生きながらえていく政夫。
しかし、二人の想いは決して変わらぬことを、野菊を通して描いているのでしょう。
この物語を読んだ夏目漱石は絶賛したそうですよ。
 
 
 
 
10歳のシンクレールは小さな嘘がきっかけで苦しみを抱えていた。
その苦しみから救ってくれたのは、転校生のデミアンだった。デミアンの存在はシンクレールの人生に大きな影響を与える。明と暗が存在する世界、様々な苦悩と葛藤、進路についての悩みなどを経て大人になっていくシンクレール。しかし、デミアンと再会した喜びも束の間、戦争が二人の運命を残酷にものみ込んでいくのだった。
 
大学の進路に悩む、18歳の主人公・シンクレールです。
将来なりたい職業を思いつかず、同級生たちとの差を感じています。
皆さんも、彼が抱えているような将来に対する不安や焦りのようなものを、感じたことがあるのではないでしょうか。このようなシーンがふんだんに盛り込まれているのが、この作品の特徴の一つです。シンクレールの苦悩や葛藤、そしてそれらを乗り越える様子は、少年から青年へと成長していく過程を繊細に描き出しています。見栄を張ってついた嘘、親に言えない苦しみ、将来への戸惑いなど、等身大の感情に皆さんも共感を覚えることでしょう。また、デミアンとの出会いを通して、迷い、寄り道をしながらも本当の自分を求めていく姿には、多くの読者が感情移入することでしょう。ドラマチックなラストシーンも見どころです。
 
 
京都にある高瀬川を下くだる舟に、島流しを言い渡わたされた喜助という罪人が乗せられた。
つらい島流しになるというのに、喜助の表情は晴れやかだ。役人の庄兵衛は、不思議に思って喜助に声をかけた。喜助の罪は弟殺しである。しかしその真相は、貧しい暮らしの中で病を抱え、自ら命を断とうとした弟を苦しみから解放するためだった。
庄兵衛は何が正しいかわからず、島流しにしたお奉行の考えに従おうと思うが、やはり腑に落ちないのだった。
 
弟殺しの罪を負いながら、晴れやかな表情の喜助を不思議に思った庄兵衛が、たまらず声をかけたシーンです。
「どうも島流しを苦にしていないようだ。一体何を思っているのだ?」という問いに、にっこりと笑って答える喜助。しかし、そのセリフからは、これまで彼がどのような過酷な環境を生き抜ぬいてきたのかを窺い知ることができます。
この「わたくしのいたして參つたやうな苦み」が、ラストへ向けて明かされていくのです。
最後まで読んでこのシーンを振り返ってみると、笑顔の内に込められた喜助の切ない想いを汲み取ることができるのではないでしょうか。この物語は森鴎外の代表作の一つで、安楽死をテーマにしています。今回は、あえて当時の仮名遣いを掲載しました。少々読みづらいかもしれませんが、セリフを噛み締めるように読んでみましょう。
 
 
 
 
 
 

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