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わたしの勉学時代

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第二の父親のような先生

私は、小学3年の1学期までを広島県広島市で過ごしました。一人っ子で、おっとり、マイペースな性格。きょうだいと競ったり、ケンカをしたりといった経験をせずに育ちました。そんな私のことを何かと気にかけてくださったのが、担任の和田先生です。私たち生徒にとって第二の父親のような存在で、一人ひとりに心を配り、丁寧に関ってくださいました。
 給食で、大好物のおでんが出た日のことです。「おかわりしたい人~!」という先生の呼びかけで、クラスメイトたちが一斉に列をつくりました。おかわりは急いで並ばないとなくなってしまいますよね。ところが、私は構わずにのんびりと食事を続けていました。そしてみんなのおかわりが終わった頃にのこのことやって来て、「先生。私、おでんのこんにゃく、おかわりしたいです」と言って、お皿を差し出したんです(笑)。驚いた和田先生は、すぐに私の母に連絡して「将来のためにも、競うことを身につけたほうがいい」とアドバイスしてくださいました。後日、おやつのチョコレー トを分け合う際に、母が「どちらか好きな種類を選びなさい。早く選ばないと先に取ってしまうよ」と急かしたことがありま す。競争相手になってくれようとしたのですね。しかし、私にはまったく効果がなく、「お母さんの好きなほうをどうぞ」と返事をしました。チョコレートにはそれほど興味がなかったんです(笑)。このように、保護者と密に連絡を取り合ってくださったことも大変ありがたかったです。

 

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美術の授業では、机の上が狭かったので床で絵を描き始め、和田先生を驚かせたこともありました。

新しい経験と二人の恩師

父の転勤で広島から東京へ引っ越し、世田谷区立池尻小学校に転校しました。課外活動に選んだ器楽合奏のクラブは、全国レベルの音楽コンクールで連続優勝するほど実力がありました。そこでご指導いただいたのが音楽の山本先生です。子どもたちにもその熱意が伝わるほど、いつでも一生懸命な方でした。私にアコーディオンを勧めてくださったのも山本先生です。朝と放課後に練習があるクラブで大変だったと思いますが、根気よく寄り添ってくださいました。私自身、大きな舞台で演奏をする経験を積めたことは、何より大きな財産になりました。
 中学は、そのまま地元の世田谷区立池尻中学校に進学しました。そこで、初めて「言語」というものに興味を抱きました。国語の高木先生が指導する言語部に入ったことがきっかけです。言語学がご専門の高木先生のもと、主語や述語など文章を構成する文法を一つずつ検証していきました。作品の鑑賞とはまったくかけ離れた作業で、公立中学校では珍しい取り組みだったと思います。「言葉はこうやってできているんだ!」という発見と感動の連続で、まるで大学の講義のような楽しい時間でした。また、高木先生は、英語の先生と協力して「言葉の授業」を展開してくださいました。 国語と英語の双方について、言語学の観点から学ぶ機会を得たことを、とても感謝しています。

     
     
     

英語を通して広がった世界

高校は、東京都立青山高等学校に進学しました。進学校ということもあってか、地元の公立中学校とは違う雰囲気を感じたものです。真面目な生徒が集まっていたからでしょうね。そんな青山高校での生活は、決して勉強漬けだったわけではありません。学校行事にも全力投球でした。担任の八幡先生のクラスで、一丸となって取り組んだ文化祭の演劇は本当に楽しかったです。白粉を顔に塗って雪女を演じた時の写真も残っています。8ミリフィルムで『走れメロス』の映画を撮って発表したこともありました。こうした思い出を今でも同窓会で語り合えることを、大変嬉しく思っています。  高校の授業では、教科書以外の文章に多く触れる機会がありました。プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』やヘルマン・ヘッセの『デミアン』を読んだのも、高校の課題がきっかけです。英語の授業はとりわけ印象深いですね。担当の古澤先生が作ってくださるプリントの例文が豊富で、それらに目を通すだけでも様々な作品の断片を知ることができ、世界が広がりました。

*1バー トランド・ラッセルの「*2 Affection(愛情)」や、サマセット・モームの作品の原文を読んだことも鮮明に覚えています。英語を通して新しい価値観やアイディアを得る体験に、毎回わくわくしたものです。ここから「英語をもっと深く学びたい!」という意欲が生まれ、津田塾大学を志望する動機へとつながりました。 *1イギリスの哲学者、数学者、論理学者。社会批評や政治活動などにも積極的に取り組む。1950年にノーベル文学賞を受賞。1955年には、アインシュタインと共に核兵器廃絶などを訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表した。
*2ラッセル著『The Conquest of Happiness.(邦題は『幸福論』)』の第12章。

 

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中学校では言語部と科学部に所属していました。科学部では、地域の水質調査に取り組んだことを今でも覚えています。

     
     
     

津田塾大学の素敵な女性たち

津田塾大学に入学した年の夏休み、縁があってある大手企業でアルバイトをしました。長期のインターンシップのような感じで、10代の体験としては大変充実した日々だったと思います。そして、そこで目にした光景が、私の進路を大きく決定づけました。その企業では、女性社員の多くが男性のサポート役でした。「いずれは退職して家庭に入るのが当たり前」という考えを受け入れている女性も多く、管理職はほぼ男性という状況だったのです。当時は珍しいことではありませんでしたが、自分の将来像とは結びつけることができませんでした。一方、夏休みが明けて津田塾大学に戻ってみると、そこでは女性の教職員の皆さんがいきいきと働いておられます。私が学生だった当時から、津田塾大学には女性の教授や管理職が多く、結婚・出産後も存分にリーダーシップを発揮されていました。そんな彼女たちを見て「私が進むべき道はこれだ」と確信し、研究者になろうと決心したのです。
 アメリカ研究を選んだのは、とても厳しいコースだと耳にしたからです。このコースに進むためには、その前の大学2年次から英文講読の授業を受ける必要がありました。そこで読んだのが「アメリカ独立宣言」の原典でした。アメリカ研究の第一歩となった大変印象深い文章です。アメリカ文学史を担当されていた高野フミ先生との出会いも大きかったですね。高野先生は、国際NGO(国際大学女性連盟)の会長としても、女性の地位向こうじょう上を目指して非常に影響力のある活動をされていました。先生の授業は、いつも最前列で聴講したものです。津田塾大学の学長も務められた飯野正子先生からも、たくさんの知識とものの見方を教えていただきました。また、筑波大学大学院に進む際には、比較文学の佐々木みよ子先生から「プロフェッショナルになりなさい」という言葉をいただき、励まされたことをよく覚えています。素敵な先輩方に背中を押していただいたから、今の私が在る。そのことに大変感謝しています。

 

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髙橋先生がアメリカ研究を始めた頃に読んでいた『アメリカ文学史』の本。書き込みがたくさんあります。

     
     

先生との出会いを大切に

佐々木先生に励まされ筑波大学大学院に進学しましたが、そこには女性の研究者がほとんどいませんでした。私が所属した研究室も当時は男性ばかりで、津田塾大学との環境の違いに驚きました。そんな私の支えになったのが、アメリカ史の明石紀雄先生です。津田塾大学から同時期に移って来られた明石先生には、たくさんのご助言をいただきました。研究者としてのスタート地点で大変お世話になり、一生の恩師だと思っています。  このように、私は恩師との出会いに恵まれました。皆さんにも学校や塾でたくさんの先生との出会いがあることでしょう。あまりにも身近な存在で、「見慣れた事柄の奥深さを教えてくれる」という素晴らしい出来事に、なかなか気づけていないかもしれません。それでも、先生方から教わる物事は、いずれきっと「学ぶ意欲」や「道を切り拓く勇気」につながっていくはずです。そのことを念頭に置き、今ある出会いを大切にしてほしいと思います。
 これから先、人工知能が発達を遂とげ、ヒトの働き方が様変わりするかもしれません。 そんな中で大切なのは「古びない力」です。それは読む・書く・考えるという言葉の力だと思います。いろいろな本を読み、多様な考え方に触れ、豊かな教養を得る営みを、私たちは生涯にわたって続けていきます。 それを成し遂げる意欲や勇気を、先生との出会いから獲得していただければと思います。

Tsuda Vision 2030「変革を担う女性であること」

わずか6歳で渡米し、後に日本の女子教育の先駆者として活躍した津田梅子。その精神を受け継ぐ津田塾大学は、2017年に「変革を担う、女性であること」をモットーとする“Tsuda Vision 2030”を策定しました。 Ⅰ.大学のビジョン(『変革を担う、女性』の持続的研鑽を生涯にわたり支える) Ⅱ.教育のビジョン(全ての学生に「質の高い、濃い時間」を約束する) Ⅲ.研究のビジョン(社会に開かれた研究を推進する) Ⅳ.同窓生と共に(同窓生と大学の連携を強化する) Ⅴ.経営のビジョン(前向きで、健全な経営を行 う)の5つのビジョンを打ち出す同大学。伝統と先進的な取り組みを大事にする環境で、これから先もグローバルに活躍する女性が次々と育っていくことでしょう。


 

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1931年に竣工した小平キャンパスの本館(ハーツホン・ホール)。津田塾大学のシンボルであり、現役の校舎として今も利用されています。

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