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わたしの勉学時代

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変わっていった故郷の景色

大阪市住吉区の南東に、私が生まれ育った我孫子という土地があります。
今ではすっかり住宅街になってしまいましたが、私が子どもの時分は辺り一面に田畑が広がっていました。稲刈り後の畑で凧揚げに興じたり、近所を走り回ったりしたものです。
しかし、体が弱かったものですから、両親からは常々「無理をするな」と言われていたことを思い出します。ちょうどこの頃、日本は高度経済成長期の真っただ中にありました。
小学校の授業では「いずれ日本の人口は1億人を突破する」と教えられましたし、
中学生の時には大阪で日本万国博覧会も開催されました。
日本全体が活気に溢れていた時代だったのです。
我孫子にも次々とマンションやアパートが建ち、あっという間に景色が様変がわりしました。それはもう驚くほどのスピードでした。

 

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両親と一歳上の姉、私の4人で暮らしていました。大阪人気質に溢れた家族で、家の中は常に笑いが絶えなかったことを覚えています。

“好き”をとことん楽しむ

子どもの頃から、いろいろな事に興味を持ちました。
小学校低学年で出合ったのはクラシック音楽です。音楽の授業で初めて聴き、すっかり夢中になってしまいました。
小学4年生の時に、親にせがんでレコードのポーターブルプレーヤーを買ってもらったほどです。学校から帰るとレコードに飛びついて、サン=サーンスの「白鳥」やドヴォルザークの「ユーモレスク」などを聴きました。それから、家の近くを国鉄(今のJR)阪和線が通っていたので、電車もよく見に行っていたのですよ。もともと時刻表を眺めるのが好きで、そのうち貨物列車にも興味を持ちました。当時はまだ営業していた阪和貨物線まで行き、列車の出入りを飽きずに眺めていたものです。
電子工作も好きで、小学2年生の時には、豆電球と電池をつないで信号機を作りました。
きっかけは学級文庫で見つけた小学館の理科の図鑑です。これをすっかり気に入った私は、親に頼んで同じ物を買ってもらいました。その図鑑に信号機の工作が紹介されていたのです。さっそく「やってみたい!」と思い、父から半田ごての使い方を教わりながら仕上げたのを覚えています。このように、好きなことをとことん楽しむ子どもでしたが、勉強についてはあまり熱心ではありませんでした。自宅の学習机に向かった記憶はほとんどありません。母が大変なテレビ好きで、居間のテレビは夕方から夜の11時頃までつけっぱなしだったのですが、そこで宿題を手早く片付けていました。

     
     
     

大阪万博と英語塾

私が進学した中学校は1学年18クラス、730名ほどのマンモス校でした。
我孫子が住宅街として急激に発展したことが影響していたのでしょう。
それに、ちょうど私が中学1~2年生の頃に万博が開催され、大阪全体が大変活気づきました。私も会場に何度も足を運び、いろいろなパビリオンを見学しました。
中でも印象的だったのは「みどり館」です。360度すべてスクリーンという劇場で、大迫力の映像に合わせて座席が動いたりするものですから、まるで実際に乗り物で旅行をしている気分になれました。会場に堂々と建ち、私たちを驚かせた「太陽の塔」の姿も忘れられません。あの塔があったからこそ、万博がより鮮明に印象に残っているのだと思います。
 そんな印象深い出来事が多かった中学時代ですが、この頃は近所の英語塾へ通っていました。講師は当時大学院に通っていた若い男性で、エンジニアを目指していると言っていたことを覚えています。万博では通訳として外国人の案内役に選ばれたそうで、「かっこいいなあ」と憧れたものです。塾の授業はちょうど学校の予習にもなり、いつも楽しく通っていました。中学時代に始めたことは他にもあります。
フルートとバイオリンです。好きな音楽を、聴くだけでなく演奏してみたいと思ったのです。フルートは親に頼み込こんで、当時で5万円ほどの物を手に入れました。
バイオリンは「小遣いを貯ためて買える物を」と、通い詰めていた楽器店で探して見つけました。熱心に練習をしていましたので、かなりの近所迷惑だったと思います。

 

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一時期は演奏家や作曲家に憧れていました。小学校高学年の時にプロの楽団の演奏を聞く機会があり、それが一つのきっかけになったと思います。

     
     
     

高校3年の模擬試験が転機に

大阪府立住吉高等学校は、進学校でありながら制服もなく、自由な雰囲気に溢れていました。高校時代は吹奏楽部に所属し、フルート奏者、指揮者として活動に没頭。
それまでは一人で演奏していたものですから、大勢で音を合わせることに大変感動しました。高校2年の文化祭では、講堂で舞台映えするように、プログラムや部員の衣装、譜面台に立てる色紙などを話し合いながら工夫したことも思い出深いです。
このように部活中心の生活を送ってきた結果、高校3年の1学期に受けた学内模擬試験の順位が学年で数えて下から数人という惨憺たるものでした。
担任の先生からも「国公立大学は無理」と断言されてしまったほどです。
ようやく危機感を抱いだいたものの、夏休みには最後のコンクールで指揮をするつもりでしたので、その条件の中で成績を挽回しようと決心。
成績が学年上位の友人にアドバイスをもらって通信教育を始め、夏休みは部活動のかたわら図書館に通い1日8時間以上の学習を目標にしました。
その結果、2学期の模試では300人ほどを抜き、何とか学年上位の成績をいただきました。しかし、数学や物理など基礎の積み重ねが必要な教科は実力不足で、現役時代は*一期校の京都大学工学部に不合格、二期校で合格した京都教育大学へ入学することになりました。
*当時の国立大学入試は、3月上旬に行う一期校と下旬に行う二期校に分かれていた。

 

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福田先生が初めて買ったレコードと、高校3年生のコンクールでの先生の指揮者姿。

     
     

二度目の大学受験に挑戦

京都教育大学へ進学したことで、親は私がこのまま教員になるだろうと思っていたようです。
ところが、大学進学後、私を再受験に導いた二つの出会いがありました。一人は、京都教育大の管弦楽団に通って来ていた京大生のI君です。彼には、私立大学に入学後、京大を再受験して合格したという経歴がありました。
「こういう人もいるのだな」と印象に残りました。
もう一人は、たまたま電車で再会した高校時代の同級生S君です。彼はとても優秀で、現役で京大に合格していました。
そのS君から「京大が入試の得点を教えてくれる」と聞き確認に行ったところ、あと一息で合格できそうだったのです。
I君からも再受験を勧められ、「もう一度挑戦してみよう」と思い立ち、親には内緒で再受験の計画を進めました。
大学1年の夏には、さっそく行動を怪しまれて問い詰つめられ、白状しましたけれど(笑)。
小遣いを予備校の講習代につぎ込んだりしていましたから、見抜かれて当然ですよね(笑)。
再受験の意志を伝えたら、あきれながら「勝手にしなさい」と言ってくれました。そして運良く、二度目の受験で合格を果たしました。京大の講義はどれも大変面白く、積極的に参加していました。
当時、真面目に勉強するのはかっこ悪いという風潮がありましたが、「せっかく入学できたのだから、無駄にはしない」という思いで
授業に臨んでいたことを覚えています。また、京大の管弦楽団ではバイオリンを演奏し、充実した学生生活を送ることができました。


好奇心を育てて偶然を必然に

私が化学を専門に選んだのは、高校の先生から「この先、化学の力で、新しい物質を生み出すこともできるし、将来はプラスチック製の自動車だって開発できるかもしれない。可能性に満ちている」と教えていただいたからです。
この時の先生と私のように、子どもたちにとって、教員との出会いが将来の糧になってくれればと思いながら、学長として様々なことに取り組んでいます。子どもの可能性を見出し、いいところを伸ばせる、心に余裕のある教員を養成する使命を強く感じています。
同時に、保護者の方にも、子どもの可能性を否定しないで、好奇心を伸ばす環境づくりにご協力いただけたらと願っています。
関塾生の皆さんも、やりたいことを思い切り楽しんでください。私は子ども時代、たくさんの好奇心と出合い、そのうちの一つを専門としました。
皆さんの好奇心との出合い、友人や恩師などとの出会いも、今は偶然に思えるかもしれません。
しかし、その偶然を大切に育てていけば、大人になって振り返ってみた時、きっと「あれは必然だった」と感じられることでしょう。

質の高い教員養成

受験生全員が「教員志望書」を提出するという兵庫教育大学。
「教員になる」と強く希望する学生たちが、目標に向かっていきいきと学んでいます。附属学校等を通して1年次から4年次の4年間にわたる豊富な実地教育(教育実習)を実施できるのも、教育系大学ならではです。教育学、心理学、各教科内容などを専門とする教員も配置しているので、
幅広い教育・研究を進めることができます。また、海外交流協定大学等とも連携し、現地の学校を視察したり、文化研修を行ったりする海外派は 遣けんプログラムを希望して経験することもできます。
様々な取り組みを通して、学生たちは「子どもの可能性を見出し、いいところを伸ばせる教員」に必要な知識や体験を得ていきます。


 

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兵庫教育大学では、学生が柔軟に活動できる
よう、学習環境の整備も進めてきました。附
属図書館の開館時間は、国立教育系大学の中
でも最長です。

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