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わたしの勉学時代

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“花の御寺”の町に生まれて

 奈良県桜井市にある長谷寺は、“花の御寺”として全国に知られています。とりわけ春に牡丹の咲き誇る様は圧巻で、「長谷寺といえば牡丹」と称されるほどです。毎年5月の連休には、この牡丹を見に訪れる大勢の人で賑わいます。私が生まれ育った場所は、この長谷寺の門前町です。
 かつての長谷寺は、地元の子どもたちにとって身近な遊び場でした。寺域に一歩踏み入れた瞬間に変わる空気、御堂の凛としたたたずまいなど、今でも鮮明に記憶しています。“長谷”と名のつく通り、長い谷間にある小さな町では、寺院が財産であり、常に中心にありました。はたから見れば、私が育った世界は極めて狭かったかもしれません。しかし、だからこそ得らられた原体験がいくつもあり、いずれも何にも代え難い宝物になっています。

 

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門前町育ちならではの経験をたくさんしました。寺の息子が友達にいましたし、全国から長谷寺へやって来る修行僧もよく見かけました。

「学ぶことを疎かにしない」

 父は大学で教鞭をとっていました。「学ぶことを疎かにしない」という信念をしっかりと持っている、とても優しい人です。私は理科の実験が好きで、小学校では科学クラブに入っていました。家でも実験をすることがあり、その時には必要な道具などを買ってもらいました。好きな観察を存分にできたのも、父の理解があったおかげです。「宿題をしなさい」「それをしてはいけない」など、束縛や制限は一切受けませんでした。学ぶ機会を惜しまずに与えてくれたことに感謝しています。
 勉強が好きだったもう一つの理由に、小学校の環境があったと思います。田舎の学校でしたので、児童数もそれほど多くはありませんでした。学校には、厳しい先生もいれば、大変かわいがってくださる先生もいました。しかし、今振り返ってみると、どの先生も「生徒一人ひとりをよく見る」「生徒の気持ちになって考える」「生徒たちと一緒に楽しみながら教える」ことを大切にされていたように思います。夏休みに学校へ行くと、必ず先生方がいらっしゃって、私たちの相手をしてくださったものです。
科学クラブの先生とは楽しい時間を過ごしましたし、クラス担任の先生の家に伺って、いろいろな話をしました。先生方との交流を通して、人の優しさを感じられたこと、人それぞれに良さがあることを理解できたのは、私にとって大きな財産になっています。
 先生はもちろん、小学校の同級生たちとも大変仲が良かったので、進学のタイミングで離れ離れになる友達がいたことは残念でした。卒業式の前日、その友達の家で遊んでいたら、バスの最終便を逃してしまって。子どもが一人で帰るのは難しい道のりだったので、その晩は泊めていただいたんです。翌朝、帰り道を車で送ってもらったのですが、さすがにその時は親に叱られましたね。今となっては良い思い出です。

     
     
     

感動に溢れた授業の大切さ

 中学生になると、教科の好き嫌いがはっきりとしてきました。特に理科と数学が大好きでしたね。理科の実験の時間がとりわけ楽しかったです。「今まで知らなかった世界を体験できる」感動が、理科の実験には溢れていました。地学の授業では、顕微鏡を使って鉱物を観察したことも印象に残っています。子どもがその教科を好きになれるかどうかは、授業の中に「どれほどたくさんの感動があるか」ということに尽きると思います。ただし、教員はそれを意識しすぎることなく、「学ぶことの楽しさ」が生徒にも自然と伝わることが大切ではないでしょうか。子どもたちは、しっかりと先生の言うことを聞いているものですからね。
 高校受験の際は、普通科を志望するか、工業高等専門学校(高専)に進むかで迷いました。理系分野を学ぶということは決めていて、大学進学を考える一方で、技術者への憧れも捨てがたかったからです。当時は高度経済成長期の真っただ中。中学3年の時には、大阪で万国博覧会も開催されました。万博で見た未来の技術に大変感動して、「これからは技術が産業を支えていくのだ」と確信したものです。だからこそ、高専に進んで技術を身につけることに憧れました。悩んだ末に県立高等学校と高専の2校を受験し、最後は県立高校への進学を決めました。私が万博を経験したように、10代における刺激的な出会いは人生に影響を与えます。今は2020年の東京オリンピックが目前に迫っていますが、10代の若いアスリートたちが急成長していますね。とても素晴らしいことだと思います。皆さんにも、人生に影響するような刺激的な出会いがあるといいですね。
 高校に進学後は、「大学では具体的に何を学ぶか」について考えるようになりました。また、京都で学ぼうと思った理由の一つに、馴染みのある土地であったことがあります。その京都にあって、工学を教えている同志社大学を選びました。

 

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中学校では、できたばかりの吹奏楽部にり、トランペットを演奏しました。曲が完成した時の達成感は、何とも言えないものがありましたね。

     
     

自主性とエネルギーに溢れた“ 同志社人”を世に送り出す

 明治時代に創立された同志社大学は、学部や研究室の歴史も深く、素晴らしい精神が受け継がれています。中でも「自由」であることは、私が学生時代にも広く浸透していた、とても良い伝統だと思います。「自由」であるというのは、学生一人ひとりが自らの力で探究していくということです。私が学生だった頃の体験で例えるならば、工学部では毎日のように実験を行っていました。その数多くの実験について、成功・失敗に関わらず結果の原因を自分で探り、考えを練り上げてまとめ、それらを教授や他学生の前で発表する機会がふんだんにありました。教員は学生を型にはめようとするような授業をせず、学生たちも自らの力で問題点を見つけ出し考える。それが当たり前でした。これは、工学部だけではなく、同志社全体で続けてきたことです。おかげで、学生時代を通して、様々なテーマに対して柔軟な思考・対応をすることが身につきました。とても良い環境で研究ができたと思います。今の学生たちにもこの気質は受け継がれていて、難しいテーマにも果敢に挑戦しています。頼もしいことです。
 2025年、同志社大学は創立150周年を迎えます。これにあたり「同志社大学ビジョン2025」をまとめました。その中の一つに「学びのかたちの新展開」を挙げています。自由な気風の中で育まれる学生たちの自主性とエネルギーを後押しし、社会の中でリーダーシップを発揮できる“同志社人”を輩出していくことを目的としたものです。長い歴史の中で“同志社人”が受け入れられ、社会で大いに活躍してきたのは、個々が持つ自主性とエネルギーに責任を持って行動してきたからだと思います。
その志をこれからも伝えていけるよう、学内からプログラムを公募してサポートしていきます。

     

人が人をつくり、育てる

 この先、大学で学び、社会へ出て活躍していく次世代の皆さん。皆さんにはぜひ、「経験」を大事にしてもらいたいと思います。スポーツに熱心に励んだり、美術的・文化的な活動に取り組んだり、どのようなジャンルでも構いません。家族と一緒に何かを成し遂げる経験もおすすめです。それらは必ず人生に良い影響をもたらします。新しい何かに挑戦する時には、知識が必要です。知識があれば、それを駆使する中で判断力が養われます。勉強には直接関係ないことであっても、社会では大いに役立つ力が育まれることでしょう。時には失敗するかもしれない、怒られることもあるかもしれない。しかし、そこから学べることもたくさんあります。失敗を恐れずに先へと進んでください。
 それから、友達をたくさんつくりましょう。人とのめぐり合いほど尊いことはありません。誰かと仲良くなるためには、相手のことをよく知る必要があります。人の気持ちを考えることで、皆さん自身の世界も広がっていくことでしょう。「人は人をつくる」そして「人が人を育てる」。これは私の持論です。人生における出会いは限られています。その限られた出会いから友情が育つとすれば、それはとても幸運なことだと思うのです。中には気の合わない人との出会いもあります。それでも根気よく会話を重ねていくうちに、互いを理解し合えるようになるかもしれません。皆さんにもきっと、良い人との出会いがたくさんあるはずですよ。

「VISION2025」

  1875(明治8)年、新島襄によって同志社英学校(後の同志社大学)が創立されました。日本を牽引する人物を育てるという新島の遺志は、長い時を経て今も受け継がれています。同学では2025年の創立150周年を迎え
るにあたり「同志社大学ビジョン2025」を発表。松岡先生がインタビューでお話しくださった「学びのかたちの新展開」をはじめ、「キャンパスライフの質的向上」「創造と共同による研究力の向上」など6つのビジョンを掲げています。「学びのかたちの新展開」では、課題解決型教育やインターンシップ科目による学生の主体的な学びの促進、リーダー養成プログラムの推進、大学院改革への取り組みなどを展開。歴史と伝統に裏打ちさ
れた確かなカリキュラムは、学生の力を存分に伸ばしてくれることでしょう。これからますます注目される大学の一つですね。

 

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ロゴマークには、「ALL DOSHISHA」の船出を
象徴する舵があしらわれています。

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