2018年6月号 わたしの勉学時代
ものづくりが大好きな父 教員をしていた明るい母
岐阜県大垣市は、古くから交通の要衝として栄えてきた土地です。現在は、再建された大垣城天守の勇壮な姿を眺めることができます。
私の父は、この大垣市に本社がある揖斐川電気工業(現・イビデン株式会社)に勤めていました。揖斐川の発電所を利用して、カーバイド(炭化物のこと)や化学肥料などの生産に携わっていたそうです。工学部出身のエンジニで手先が器用、ものづくりが大好き。体育が苦手だった私のために、家の庭に練習用の鉄棒をつくってくれたこともあります。そんな父は、しばしば私をものづくりに誘ってくれました。ラジオを一緒につくったこともあります。楽しかったですね。どうやら父は、息子を自分と同じ工学系へ進ませたかったようです。肝心の私は哲学の道へ進んだので、その目論みは外れてしまったわけですが(笑)。
母は、私が生まれる前まで5年間ほど、小学校の教員をしていました。大変明るい性格で、「小学校の元気な先生」が容易にイメージできる人です。元教員だったからか、子どもが自発的に勉強したいと思える雰囲気づくりが上手でしたね。母と一緒に漢字ドリルに取り組んだことを、今でもよく覚えています。読書も母にすすめられました。当時は「少年少女世界文学全集」を各家庭で買いそろえるのが流行っていましたから、我が家の本棚にもこれが並んでいました。ギリシャ・ローマ神話、聖書などに初めて触れたのも、子ども時代の読書体験でのことです。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』や魯迅の『藤野先生』も読みました。私の教養の素地は、実家の本によって培われたと言ってもいいでしょう。
規則正しい生活リズムで勉強
小学3年生から通った墨俣町の小学校は、1学年50人ほどの小さな学校でした。同級生は全員友達で、毎日が楽しかったですね。放課後はきまって校庭で野球をして遊んだものです。高度経済成長期、墨俣町は大垣のベッドタウンとして開発が進んでいました。私の他に7人の転校生がいたのですが、それも新築一戸建てブームの影響でした。
おかげで、転校生ならではの特別感は薄れてしまいましたが(笑)、友達や先生との距離が近い、のんびりとした雰囲気の中で学校生活を送れたことはよかったと思います。
加えて、私自身も一人っ子だったためか、競争心というものがあまりありませんでした。小学校時代のマラソン大会では、マイペースに最下位を走っていたものです。中学生になって、ようやく「足を速く動かせば、速く走れるんだ」と気付いたくらいですから(笑)
中学生になると、定期テストに加え、高校受験も視野に入ってきます。2年生になって県の模擬試験を受けるようになると、「県全体で何番か」が気になるようになりま
した。勉強に対する競争心が芽生えたことは良かったです。ただし、中学校では必ず運動部に所属しなければならず、勉強ばかりをしているわけにはいきませんでした。2年生まではバスケットボール部で活動し、3年生では野球部のマネージャーをしながら受験勉強をしていました。野球は好きだったので、スコアをつけたり応援に行ったりするのは楽しく、丁度良い息抜きになっていたと思います。
私の勉強方法は、夜は 10
時までには寝て、朝5時頃に起きて机に向かうスタイルが定番でした。当時は学習塾が一般的ではなかったので、授業の復習をしたり、参考書の問題を解いたりすることが多かったですね。朝だから特別頭が働くわけではありません。規則正しい生活リズムを守ることを最も大事にしていたように思います。試験前であっても、ふだんより長時間勉強することはありませんでした。当時はラジオの深夜放送を聴きながら勉強するのが流行りでしたが、私は大学生になるまで聴いたことはありませんでした。
『カラマーゾフの兄弟』
中学時代から、海外に対する興味は強かったように思います。地理が得意で、地図を眺めながらそれぞれの土地のことを想像したり、ゲーム感覚で「この国を占領するとしたら、どういった方法があるかな?どんな資源が手に入るだろう?」などと考えたりする作業が好きでした。
そんな中学時代に衝撃的だったのは、ロシアの小説家・ドストエフスキーの作品『カ
ラマーゾフの兄弟』との出合いです。きっかけは覚えていないのですが、自分で本屋へ買いに行ったんです。そして、何をまちがえたのか、上巻は買わずに中巻と下巻を買って帰りました(笑)。中巻から読み始めると、ゾシマという修道院の長老の話が出てきます。とても徳の高い僧侶であるゾシマが死んでしまい、彼に頼っていた人々は
「彼ほどの聖人君子ならば何か奇跡が起こるのでは」と期待します。しかし、遺体はだんだんと腐食を始め、周囲に「神への念」という大きな混乱をもたらす印象深いシーンです。この小説をきっかけに、「神
様」という存在について考えることが面白くなったように思います。「世界の根本を理解したい」という思いが強くなり、「大学に行って哲学を学ぼう」と決めました。
私が進学した岐阜県立岐阜高等学校には、県内の優秀な生徒が集まっていました。進学校なので授業の進め方も受験色が強く、2年間で学習範囲をすべて終え、あとの1年間は試験対策。部活動もあまりできませんでした。しかし、別の見方をすれば、大学で哲学を学ぶための基礎を固めることに集中できたとも言えます。また、高校では、京都大学の哲学科出身の先生による「倫理・
社会」という授業がありました。これがとても面白くて、大学への学びにますます期待を膨らませたものです。父からは「哲学で食べていけるのか?」と心配されましたが、迷いはありませんでした。
哲学研究会で得たもの
東京大学に進学後、哲学研究会に所属しました。修士課程の1年生を筆頭に、主に学部生が集まる会です。当時はこうした学生による勉強会が盛んでした。ここで得たものは大きかったですね。先輩から資料の読み方を教わったり、いろいろと討論したりした経験が、今の私の糧になっています。授業だけでは補えない知識や考え方を身につけることができました。特に印象に残っているのは、ドイツの哲学者・ヘーゲルの 『小論理学』を会の皆で読んだ時のことです。 「言葉の定義がわかっていない人は、難しい言葉にあたるとすぐに辞書を引こうとする。しかし、それでは本全体の意味をとらえることができない」というような一節がありました。これを読んだ修士課程の先輩が、「まったくその通りで、哲学書には難解な言葉が次々と出てくるが、まずはそれがどういう流れで使われているかを理解することが大切。一行ずつ辞書を引いても意味がないよ」とおっしゃいました。今でも印象に残っている言葉です。これは、哲学以外にも言えることではないでしょうか。
基礎の上でこそ輝く独創性
哲学は「難しい」という印象を持たれがちですが、実際は「世界のイメージ」を研究する楽しい学問です。例えば、昔は「心」は胸にあると思われていましたが、17世紀の初め頃から脳が「心」の場所だとわかってきます。人々のイメージが大きく変わり、人生の過ごし方にも影響しました。世界のイメージが動いた瞬間です。こうした瞬間が歴史上では何度かあり、それを学ぶのが哲学なのです。様々なイメージ、様々な考え方を知ることができるのも、この学問の魅力だと思います。
様々なことに興味を持ち、自分で考えていくこと。それが、次代を担
う皆さんにとって、大切なことではないでしょうか。情報が溢れ受け身になりがちな現代だからこそ、独創性が求められていると感じます。その独創性を磨くために、たくさんの経験をしてほしいですね。そして、独創性は基礎があってこそ輝きます。ですから、学校の勉強も大切にしてください。特に、算数・数学のように積み重ねが力になる教科は、丁寧に学んでいきましょう。大学生を見ていても、算数・数学で得た力が、彼らの可能性を広げていると感じます。日々の授業や自主学習を大事にしてくださいね。
静岡大学のABP
「アジアブリッジプログラム(ABP)」 は、インド、インドネシア、タイ、ベトナムの4か国を対象に、優秀な人材と静岡の企業を結びつけることを目的としています。4年間の在学期間中、学生たちは日本語を学び、専門の知識・技術を身につけるだけでなく、静岡県内の企業との交流も積極的に行います。キャリア支援も徹底しているので、卒業後は静岡県とアジア地域を結ぶ活躍が期待されます。入試は対象国で実施し、入学検定料、入学料、初年度授業料は不要。2年目以降は成績に応じて大学が50%または100%負担するシステムなので、本気で学びたい優秀な学生が、費用を気にすることなく応募できる点もいいですね。こうしたモチベーションの高い友人と大学生活を共にすることで、日本の学生も世界へ視野を広げていくことができます。グローバルな静大のキャンパスで学ぶ4年間、とても魅力的ですね!