1873年に設立された小学校教員伝習所を起源とし、北関東を代表する総合大学として有為な人材を育成し続けてきた国立大学法人群馬大学は、2023年に創基150周年を迎えました。ビジョンである「地域に根ざし、知的な創造を通じて、世界の最先端へとチャレンジし、21世紀を切り拓く大学へ」の実現へ向けて大学改革を進めています。現学長の石崎泰樹先生は、医師ではなく研究者を目指して医学の道へと進まれたそうです。
【石崎 泰樹(いしざき・やすき)】
1955年生まれ。宮城県仙台市出身。医学博士(東京大学)。
81年3月東京大学医学部卒業。85年同大学大学院医学系研究科博士課程修了後、岡崎国立共同研究機構生理学研究所特別協力研究員、日本学術振興会特別研究員。87年東京医科歯科大学歯学部助手。91~94年ユニバシティカレッジロンドン生物学部客員研究員。97年神戸大学医学部助教授。2001年より群馬大学医学部助教授、04年より教授。同大学執行役員、医学部長、医学系研究科長を経て、21年4月学長に就任。専門は分子細胞生物学。
生まれは宮城県仙台市ですが、幼少期は山形県米沢市で過ごしました。東北大学の抗酸菌病研究所に勤めていた父が、米沢市の療養所の医師として結核患者の診療にあたることになったからです。私は一人っ子で、いわゆる“鍵っ子”、家で一人、高校の教員だった母の帰りを待つ日々でした。周りに何もなく、テレビも2局しか映らなかったので、勉強しなさいと言われなくても、勉強か読書くらいしかやることがない、という感じでしたね。
豪雪地帯なので、友達とスキーで遊ぶことも多かったのですが、小学6年の時、転んで左足を複雑骨折してしまい、約3か月入院し、3学期はほとんど学校に行けませんでした。ずっとお風呂に入れなかったので、ギプスを外した日に母が小野川温泉に連れて行ってくれて、お湯に入った時、天国に昇るような気分になりました(笑)。以来、温泉が大好きになって、中学2年で仙台市に戻ってから、新しくできた友人を米沢市の秘湯に案内したこともあります。
勉強に関しては、それほど苦労した記憶はありません。仙台市の中学校の方が進んでいて、追いつくまでは少し大変でしたが、母が国語教師だったので国語は得意でしたし、理科や数学も好きでした。英語も入院中に参考書を買ってもらって事前に勉強していました。社会の地理分野だけは少し苦手だったのですが、方向音痴であることが関係しているのかも。
進路選択は、父の影響が大きかったと思います。当時の仙台市の高校受験は学区制ではなく、市内に住んでいればどこの学校でも受験でき、父の母校でもある宮城県仙台第一高校をすすめられて進学しました。父が通っていた旧制中学の時代から勤めている漢文の先生がいらして驚いたものです。高校では、倫理社会の先生の授業が特に印象に残っています。その頃にはもう医学部を志望していて、精神科医でもあり哲学者でもあるカール・ヤスパースの本を読んだことで、医学の中でも精神科に興味を持つようになりました。
また、父がすすめてくれた本を読んで得たことも非常に多かったです。父を見て、同じ医学部に進みたいと自然と思うようになりましたが、臨床医の仕事は大変そうであまり興味が持てず、小学生の時、細菌学者の活躍を描いた『微生物の狩人』を読んで研究者に魅力を感じました。東京大学を目指そうと決めたのは、東大医学部出身で、医師でもあり日本を代表する評論家でもある加藤周一の自伝『羊の歌』を読んで、その生き方に憧れたからです。現役では届かず、1年間予備校に通って翌年合格を果たしました。現役の時は塾に通わず学校の授業を中心に勉強していて、受験のテクニックや解き方のコツというものを全く意識していなかったので、予備校でそれらを身につけていくのはおもしろかったです。
私が大学に入学した頃は、まだ学生運動のなごりがあって「打倒! ○○」と書かれた看板が立っていたり、「一緒に戦いませんか」と勧誘されたりしました。ですが、私自身は関心がなく、落語の寄席やクラシックのコンサートに行ったり、博物館や美術館を訪れたり、地元ではあまり機会がなかった文化体験を楽しみました。
授業では、筋肉の収縮にカルシウムが重要な働きを果たしていることを世界で初めて明らかにした、江橋節郎教授の講義に感銘を受けました。もともと患者を診療する臨床ではなく、人体の仕組みを解明する基礎医学を勉強したかったのですが、その思いがより強くなり、学部卒業後は大学院に進学しました。
専門分野については、最初は精神科、どちらかというと実験ではなく観察が中心となる分野を考えていました。ですが江橋先生の講義を受けて、実験はおもしろい、精神や神経の領域で実験ができるような分野をしたいと思ったのです。そこで、元精神科医の黒川正則教授の指導のもと、神経を対象とした生化学的研究を始めました。様々な精神現象は脳や神経の働きによって起こります。その働きそのものの仕組みを動物や植物で実験して解明していく分野で、私は「軸索輸送」という、神経が精神現象に影響を与える物質を伝達する仕組みを研究していました。
博士課程修了後は、岡崎国立共同研究機構生理学研究所で、江橋先生の指導を受けることができました。その後、東京医科歯科大学での助手時代に、ロンドン大学のマーティン・ラフ教授の論文を読んで、この先生のもとで研究したいと1991年から3年間留学しました。ラフ先生は、おもしろいと思ったテーマを次から次に研究していく方で、私が留学した時にはもう、その論文とは違う、細胞の自死についての研究をされていたのですが、当時ラフ先生が初めて提唱した内容が今では大学の教科書に載っています。ひとつの研究対象をとことん突き詰める江橋先生と、次々と変えていくラフ先生は正反対のスタイルの研究者でしたが、どちらも優れた業績を残されています。両方の指導を受けることができ、多くのことを学べました。
日本に戻り、神戸大学を経て、2001年に群馬大学に着任しました。私はどちらかというとラフ先生タイプで、最初は治療法の発見はあまり意識せず仕組みの解明を重視していましたが、最終的には脳梗塞の治療法につながる研究をするようになりました。そして現在は、群馬大学の学長としての使命を果たすべく邁進しています。
群馬県は、農業や畜産業、食品産業に関わる企業が多いため、具体的な取り組みとして考えているのは、“食健康科学”です。“食”の科学的な研究によって、環境の健康(エンバイロメンタルヘルス)、社会の健康(ソーシャルヘルス)、人間の健康(ヒューマンヘルス)の3つの健康に関する課題の解決を目指します。
関塾生の皆さんにお伝えしたいのは、知識を得るだけではなく、考える力を鍛えてほしいということです。『論語』に「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」という言葉があります。この「学ぶ」は「これまで築き上げられた客観的知識体系を正しく知ること」、「思う」は「何が重要かを認識すること」だと思います。知識を得ても自分の考えがなければ、「暗い」世の中を明るくし、役に立つことはできない、自分の考えがあっても知識がなければ、「危ない」間違った方向に行き、無駄になってしまう、ということです。
今の時代は特に、AIやインターネットの発達で、知識をただ単に覚える必要はあまりなくなっています。きちんと覚えていなくても、検索すればすぐに情報が見つかりますよね。だからこそ重要なのは、得られた情報が正しいかどうかを判断し、どう活かしていくかを考えることです。本を読んだ時も、書かれている内容を鵜呑みにするのではなく、本当に正しいのか、一度考えてください。同じテーマで他の人が書いた本を読んでみたり、他の説がないか探してみたりすると良いでしょう。皆さんだけではなく、保護者の方にも意識していただければと思います。これからの社会で活躍するためには、本当に自分で考える力を養っていくことが大切です。
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