2025年2月号 わたしの勉学時代 三重大学長 伊藤 正明先生に聞く

国立大学法人三重大学が目指すのは、地域と共創し“三重の力”を世界に向けて発信すること。キャンパスを構える津市を拠点に全学で企業や自治体との共同プロジェクトに取り組み、大学の研究力の向上とともに、地域の課題解決、地域創生、人材の育成に貢献しています。伊藤正明先生は、同大学医学部の卒業生。臨床の場や基礎研究、教授時代に培ったマネジメント力を活かし、三重県のグローバル化のために尽力されています。

【伊藤 正明(いとう・まさあき)】
1955年生まれ。三重県出身。医学博士(三重大学)。79年3月三重大学医学部卒業後、同大学医学部附属病院第一内科入局(研修医)。80年上野総合市民病院循環器内科医員。83年より三重大学医学部附属病院第一内科にて研究に従事、後に米国アリゾナ大学留学。90年三重大学医学部附属病院助手、91年同大学医学部助手、97年同大学医学部附属病院講師。97年米国ハーバード医科大学・ブリガム&ウィメンズ病院留学(10か月)。2006年三重大学大学院医学系研究科臨床医学系講座循環器・腎臓内科学分野教授。以降、同大学医学部附属病院長を経て、21年4月三重大学長就任。現在に至る。専門は内科学、循環器内科学。

母親が教育熱心だった

 医師をしていた上野市(現在の伊賀市)での3年間とアメリカ留学時の数年を除くと、故郷の三重県津市で63年もの年月を過ごしています。津市の面積は三重県内一の広さですが、住民は少なく、2000年代は県庁所在地の中で人口が最少だった時期もあります。そんな地方の田舎町で生まれ育ちました。両親と私、弟の4人家族で、父は三重大学の事務職員、母は私が生まれる前は三重大学でパートの仕事に就いていましたから、我が家はまさに“三重大ファミリー”です(笑)。
 幼少期のことはあまり覚えていませんが、勉強に関しては母が熱心だった印象があります。地元の公立小学校に通っていた私に三重大学教育学部附属小学校の編入試験を受けさせたのは、母の意思だったと記憶しています。結局受かりませんでしたが、中学は私立の進学校、高田中学校に入学しました。受験時は、塾に通わず、ドリルや参考書を使って家でひたすら勉強。高田中学校には当時、県立の津高校、四日市高校、伊勢高校を目指す生徒がたくさん通っていて、母もそれらの進学校に私を入れたかったのだと思います。

理系科目は自ら進んで

 5教科の勉強は、理科や数学は好きだったものの、国語は小学生の時から大の苦手でした。通知表の5段階評価は、いつも国語だけが3。どんなに頑張ってもテストで点数がとれず、苦手を越えて嫌いになり、嫌いになると漢字すら覚えようとしなくなる……。そんな悪循環に陥っていました。今も文章を書くのは得意ではありません。一方、理科は物理、化学、生物が好きで、数学はじっくり考えて答えを導き出すことにおもしろさを感じていました。
 そうした主要教科以外で楽しく向き合えたのは、仏教の授業でした。高田中学校は浄土真宗の寺院が経営母体で、お釈迦様の生涯について学んだり、夏休みには比叡山延暦寺で合宿をしたり……と、他の中学校にはない学びの時間がありました。多感な中学生の時期に仏教の精神に触れられたのは、とても良かったと思います。
 高校受験の勉強は、中学受験の時と同様、塾には通わず自学自習に努めました。部活には入っていなかったので、入学時から中間・期末テストの勉強に費やせる時間がたっぷりとあり、その都度習得したことが、結果的に入試に通用する力につながったように思います。

▲運動神経があまりよくなかったので、体育系の部活やサークルには入ったことがありません。その分、勉強する時間は多くとれたと思います。

工学部志望から医学部へ

 三重県立津高校時代も部活には入らず、勉強は学校の教科書を基本に、参考書を読んだり問題集を解いたりして力をつけました。今のように参考書が豊富にある時代ではなかったので、定番のチャート式を頼りに勉強し、大学入試が近づくと赤本で過去問題を解いて対策しました。
 進路は、子どもの頃から飛行機や自動車といった“動く”ものが大好きだったので、工学部に進んで航空工学を学びたいと思いました。京都大学を目指して自分なりに努力しましたが、高校3年で受けたすべての模試で偏差値が足りず、やむを得ず断念することに。「さて、どうしよう……」。私は悩んだり迷ったりした時は、自分のことを一番よく理解してくれている両親に相談するのが賢明だと思っていましたから、早速意見を求めました。すると父から、「医師免許を持っていれば、生涯の強みになる」と助言が。私も納得し、高3の秋に医学部受験に方向転換しました。
 三重大学を受けると決めたのは、私の入学年度から医学部が国立に移管されると知ったからです。初年度の受験なので受かりやすいかもと楽観視していましたが、競争率はかなり高かったようです。それでも無事に現役合格できました。

研究への情熱が実を結ぶ

 医学部の学びはどの授業も専門性が高く、やるべき課程が明確で、入学時からコツコツと勉強を続けました。特に印象に残っているのは、3年次で受けた系統解剖です。献体された遺体で解剖を行うので、最初の実習時は相当なインパクトがありました。遺体を提供してくださった方に感謝しつつ、人体の構造や仕組みを細部にわたって学ばせてもらったことを今でもよく覚えています。
 医学部卒業後はそのまま大学の医局に入局し、研修医生活がスタートしました。途中、上野総合市民病院に派遣されたのですが、人生を振り返ると、ここで生きるための根源的なこと、人としてのあり方や処世術を先輩医師から教えてもらえたことは非常にありがたかったですね。例えば、自分がやりたいことを叶えるには自己主張ばかりでは駄目、実現のための方法を模索し、どう行動するかが重要で、相手のプラスになることも考えなければいけない――こうしたことをみっちりと教育されました。その後、三重大学医学部附属病院に戻り、循環器内科で基礎研究に携わることに。指導を受けた教授の「自然科学の謎を解き明かすのに、どこの大学を出ているかなんて関係ない」という言葉にとても勇気づけられました。
 私が取り組んだのは、血管の収縮に関わるたんぱく質を解明する研究です。イギリスでも同様の研究が進められていて、世界的に著名な教授が大きなグループを率いていました。一方、三重大学のチームは私と大学院生の2人。それでも情熱をもって研究に打ち込み、私たちのチームが一足早くアミノ酸配列の一次構造を決定づけました。科学誌に論文を発表すると世界から注目が集まり、新たな共同研究プロジェクトが一気に進み始めました。

▲留学したアメリカのアリゾナ大学では、農学分野のラボに在籍。七面鳥の砂嚢(砂肝)をミンチ状にしてサンプルを採り、血管の伸び縮みに関わる物質の研究に取り組みました。

三重のグローバル化を目指す

 皆さんは学校で、様々な探究活動を行っていると思います。実は私が長年手がけてきた研究も、今、学長の立場で携わっている仕事も、いわば探究活動の延長のようなもので、そこで実践するPDCAが私は大好きです。もちろん、必ずしも最良の結果が得られるわけではありません。それでも、目の前にある課題に異なるアプローチで向き合うことがおもしろく、いつもわくわくしています。
 本学を取り巻く状況でいえば、三重県の未来を考えることは必須です。現在1学年に約1400人の学生がおり、6~7割が他府県から来ています。地方でも大勢の若者が集まるのは大学だからこそで、魅力ある大学づくりを進め地域の活性化につなげようと、様々な取り組みを行っています。首都圏は急速にグローバル化が進んでおり、地方もそこに追いつかなければなりません。その実現のためには、大学、地元企業、自治体の共創・協力が当然必要です。地域の問題・課題は、地元の人同士で解決するのではなく、大学に集まる多様な若者をはじめ、企業、そして他国の人も一緒になって考える時代に入っています。その手本となる社会システムを三重大から発信できればと考えています。
 関塾生の皆さんに伝えたいのは、何事も決してあきらめてはいけない、ということです。やりたいことに邁進できるのは若者の特権です。好きなことを見つけ、それを途中で投げ出さずに最後まで頑張ってやりきるという体験は、間違いなく長い人生の支えになります。何かを成し遂げているのは、最後まであきらめなかった人たちです。その人たちにならって、とことん頑張り続けることを忘れないでください。


「Plan/計画→Do/実行→Check/評価→Action/対策・改善」を繰り返すサイクル。実践・検証のプロセスを循環させるマネジメントの手法。

 

 

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