年末には大掃除をして年越し蕎麦を食べ、年が明けたらお節料理やお雑煮を食べて初詣に出かける──日本全国で見られる光景ですね。「もういくつ寝るとお正月」と歌われるように、昔から新年は待ち遠しく特別なもので、1月は伝統行事が最も多い月となっています。
これらの一連の行事や料理にはそれぞれ意味や願いが込められており、今回はその中でもよく知られているものについてまとめました。初詣や初日の出といった元日から出かける風習は意外と最近のものなのです。新型コロナウイルスの影響で例年通りとはいかない今だからこそ、伝統的な家族でのんびり過ごすお正月の良さを見直してみましょう!
現在の日本では、誕生日にひとつ年をとる満年齢が一般的ですが、かつては元日(1月1日)に皆一緒にひとつ年をとる数え年が一般的でした。そして正月は、「年神」や「歳徳神」などと呼ばれる神様をお迎えする行事でした。五穀豊穣や子孫繁栄をつかさどり、新しい年の健康や幸福を与えてくれる神様で、人々はこの神様を迎えて年齢をひとつ授けてもらうと考えられていました。神様をもてなし、たくさんの幸福を授けてもらうために、様々な風習が生まれたのです。「あけましておめでとうございます」という挨拶には、無事に年を越し、年神様をお迎えできた喜びと感謝の気持ちが込められています。
また、昔は日が暮れると1日が終わって新しい日になるとされており、大晦日の日没が新年の始まりでした。この日にやってくる年神様に挨拶するため、一晩中起きている風習があり、もしうっかり寝てしまうとシワや白髪が増えるという言い伝えがあったそうです。現在でも大晦日に夜更かしをするのは、この風習のなごりなのです。
旧暦の12月13日は、「正月事始め」。婚礼以外全てのことが吉だとされ、正月飾りの門松に使う松を山に採りに行くなど、正月を迎える準備を始める日とされていました。現在でも社寺などでは1年間の汚れを清める「すす払い」をこの日に行います。また、これらの準備は28日までに終わらせるのがいいとされています。28日までに終わらなければ30日に行います。29日は「苦の日」「苦立て」などと言って縁起が悪く、31日は「一夜飾り」と言って神様を迎える準備を直前に行うのは失礼にあたるため、避けるべきだとされているのです。
「正月」とは、本来旧暦1月の別名ですが、現在では行政機関や一般企業の大半が休日とする1月1日から3日までの「三が日」を指すことが多いです。また、正月飾りを飾っておく期間を「松の内」と言いますが、7日までとする地域と15日までとする地域があります。旧暦で新年最初の満月の日となる15日は「小正月」とも呼ばれ、この日までに多くの行事が行われるため、この日を正月の終わりと位置づける見方もあります。
大掃除は、年神様を迎えるために1年の汚れを払い清める「すす払い」という行事がもとで、平安時代には既に行われ、汚れを隅々まで落として綺麗にすると年神様がより多くのご利益を持ってくるとされていました。これが現在まで伝えられ、社寺などでは「すす払い」行事として残り、一般家庭でも家の中を綺麗にして清々しく新年を迎えるための風習として定着したのです。
「除」は「旧年を除く」という意味で、「除夜」は1年最後の日である大晦日の夜のことです。人々の心を悩ませる煩悩を祓うため、寺院で鐘をつきます。中国から伝わったとされる行事で、鐘をつく回数108回は煩悩の数であり、107回までは旧年中について煩悩が去ったことを表し、最後の1回はその年の煩悩に惑わされないようにという意味を込めて年が明けてからつくとされています。
年神様は、初日の出と共にやってくると考えられていたため、元旦(元日の朝)に見晴らしのいい場所へ出かけて、その年最初に昇る太陽を拝み、1年間の幸福を祈ることが盛んになりました。特に山頂で迎える日の出を「ご来光」と呼び、ありがたいものとされています。この習慣は昔からのものではなく明治以降に広まったもので、それ以前は年神様を迎えるために家で過ごし、近くの神社や家の神棚を拝んでいました。
初詣とは、新年になって初めて神社や寺院へお参りし、その年の健康や幸せを祈願することです。江戸時代中期に、年ごとによって変わる年神様のくる方角「恵方」の社寺にお参りする「恵方詣」が流行したことが起源とされています。当初は元日に参るものでしたが、明治以降、恵方に関係なく全国の社寺に参るようになり、大勢の人出が予想されるため、徐々に三が日や松の内までのお参りも初詣とするようになりました。
現在のお年玉は現金をポチ袋に入れて、大人から子どもに渡すものですが、かつては全く違うものでした。年神様にお供えして魂が宿ったお餅を「年魂」と言って分け与えたものが起源とされ、このお餅を食べることでひとつ年をとると考えられていました。江戸時代頃にはお餅ではなく着物などの品を贈るようになりましたが、今のように現金を贈ることが一般的になったのは戦後になってからだと言われています。
門松は、年神様を迎える場所を示す目印として、門や玄関に立てられます。中国から伝わり、平安時代から続くものですが、最初はただ木を立てるだけのもので、現在の形式になったのは室町時代頃だとされています。もともと常緑樹は古くから神様が宿る木とされており、最初は杉など他の木も使われていました。特に松を使うようになったのは、神を“待つ”と“松”の語呂合わせによるものだと言われています。
鏡餅は、年神様へのお供えで、昔の鏡は丸形だったため、丸い形をしています。三種の神器のひとつである鏡には神が宿るものとされており、お餅も稲の霊が宿る神聖な食べ物でした。2つ重ねることには1年をめでたく重ねるという意味が込められています。現在のような形式で飾られるようになったのは室町時代以降のこととされ、地域によって飾り方が少しずつ違います。
年越し蕎麦には、「蕎麦のように細く長く生きられるように」という願いが込められています。また、うどんなど他の麺類に比べて切れやすいことから「1年の苦労や災いを断ち切る」という説もあります。江戸時代に始まったものとされており、忙しい月末に手早く簡単に食事をすませられるように蕎麦を食べる町人の習慣が年末だけに残って広まったのだと言われています。
「節」とは「節日」、季節の変わり目にあたる祝日のことで、この日に神様にお供えされていた料理が起源です。年に何回かある節日の中でも、最も重要な正月料理に限定して言われるようになりました。重箱に詰めるようになったのは明治時代以降のことで、めでたさを重ねるという意味が込められています。その由来から、縁起の良いものや願いが込められたものが使われ、全ての食材に意味があります。
SEARCH
CATEGORY
よく読まれている記事
KEYWORD