2021年2月号 わたしの勉学時代 学習院院長 耀 英一先生に聞く

学校法人学習院は、1847年の京都学習院開講以来、歴史と伝統を継承しながら、幼児の保育から大学教育まで一貫教育を行っている私立学校です。学習院大学、女子大学、高等科、女子高等科、中等科、女子中等科、初等科、幼稚園の8つを有し、日本を代表するにふさわしい教育・研究の拠点たることを目指しています。40年にわたる銀行員生活を経て、2020年10月より院長を務める耀 英一先生にお話を伺いました。

【耀 英一(あかる・えいいち)】
1942年生まれ。東京都文京区出身。
64年3月学習院大学政経学部経済学科卒業。同年4月株式会社埼玉銀行入行。92年6月株式会社協和埼玉銀行取締役県庁支店長(95年6月まで)。95年6月株式会社あさひ銀行常務取締役(98年6月まで)。2000年5月学習院桜友会評議員、03年同理事に。05年学校法人学習院評議員となり、06年学習院桜友会副会長。その後、学校法人学習院監事、常務理事、専務理事を歴任し、20年10月より現職。

戦時中は静岡に疎開

 生まれは東京・文京区の小石川です。家族は両親と私の3人、私は一人っ子です。昭和17年生まれで、3歳くらいの頃、第2次世界大戦の戦況が悪化してきたので母と静岡に疎開しました。静岡で1年ほど過ごし東京に戻ったのですが、当時はまだ蒸気機関車が走っていましてね。煙をもうもうとあげながら走る蒸気機関車に乗って東京に帰ってきたことを断片的に覚えています。
 父は早稲田大学商学部を出て運送会社に勤めていました。私の勉強についてはほとんど何も言わなかったのですが、母は厳しかったですね。小学校に入ってからは特にビシビシやられました。それでも勉強しませんでしたが(笑)。ある時、母からピアノを習いに行くように言われ、嫌々ながら通い始めました。一般家庭の子どもがピアノを習いに行くのは珍しかった時代です。高校2年まで続けましたが、なかなか楽しいとは思えませんでした。でも、中学で吹奏楽部をつくったり大学でジャズのオーケストラに参加したりしたのは、ピアノを習っていた土台があったからだと思います。
 後で聞いた話ですが、母は私を医者にしたかったそうです。外科医は手先の器用さが求められるので、ピアノを習っていれば役に立つだろうと。でも私は生物が苦手で、授業でカエルの解剖をした時は気持ち悪くて全然できませんでした。この話を母にした時に医者は無理だと諦めたそうです(笑)。

中学では吹奏楽部部長に

 小学校では、3年から5年まで3年間担任をしてくださった先生が忘れられません。大学を卒業したばかりで、先生というより兄貴分のような存在。私たちと一緒になっていろんなことを楽しんでくださいました。やんちゃだった私は、いたずらや悪ふざけをして、しょっちゅう怒られたり立たされたりしていたので、先生にはずい分ご迷惑をおかけしました。でもこの頃のことはとてもいい思い出として残っています。それから70年近く経ち先生は90歳を超えられましたが、今も交流が続いているんですよ。
 中学では1年の時に吹奏楽部をつくりました。部員3人から始めて15人まで増やし、3年間部長を務めました。担当したのはトロンボーンです。指導してくださった先生が熱心だったこともあり、3年間、部活動ひと筋に打ち込みました。
 高校は都立豊多摩高校へ。吹奏楽部がなく他に夢中になれるものも見つけられず虚脱状態に……。勉強にも身が入らず成績は下がる一方でした。こんな状態でしたから、大学は父が出た早稲田、あるいは慶應に行きたかったのですが私の成績では諦めざるを得ず、学習院か立教、青山学院の3校に絞ることに。学習院に決めた理由は、落ち着いた雰囲気があり上品に感じたことと、母に勧められたことが大きかったですね。

▲中学の吹奏楽部を指導してくださったのは明治大学付属中野中学校の先生です。合同練習をしに行ったら、吹奏楽部員が50人くらいいて、ジャズ演奏もしていてとてもレベルが高かった。「私立の学校はすごいな」と驚きました。

40年に及んだ銀行員生活

 大学で政経学部(現在は経済学部)に進んだのは、これといった根拠はありません。中学・高校時代は理数系が苦手で、特に解剖がある生物は大嫌いでした(笑)。文学にも興味がなく理学部と文学部は除外、父が商学部出身なので入るなら政経学部かなと。就職先は、幼い頃から電車に乗るのが大好きだったことから鉄道会社がいいなと漠然と考えていました。ところが、父のつてで鉄道会社を紹介してくださる方に話を聞きに行くと、「鉄道業界は勢いが落ちているから就職するなら銀行がいい」と。その助言に従って急遽、路線変更、銀行を目指すことにしました。都市銀行に入りたかったのですが、大学の成績も決して良い方ではなく、都市銀行を受けるために必要な「優」の数が足りなくて、地方銀行の埼玉銀行に入行しました。埼玉銀行にしたのは、私の苗字“耀”は埼玉県の杉戸という所が発祥で、埼玉と縁があったからです。
 入行してからは業務に邁進しました。仕事は好きで人のお世話をすることにも喜びを感じていました。窓口には毎日行列ができるほど銀行に活気があった時代です。埼玉銀行の中央地盤は埼玉ですが、東京都郊外の多摩地区も管轄していて、埼玉の“玉”と多摩地区の“多摩”――2つの“たま”を地盤に急成長し、入行して6年目に都市銀行に転換しました。
 しかし1991年にバブルが崩壊、多くの金融機関が窮地に陥りました。埼玉銀行はそれほど大きな打撃を受けなかったのですが、協和銀行と合併して協和埼玉銀行に。入行して30年近く懸命に働いてきた私にとって、これは驚天動地のできごとでした。業務内容が全く違う協和銀行と埼玉銀行の折り合いをどうつけるかなど問題は山積みでしたが、どうにか難題をクリアし、合併前と同じ取り引きをそのまま継続することができました。協和埼玉銀行はその後、あさひ銀行に改称し、常務取締役まで務めて40年の銀行員生活を終えました。終盤はドラマチックなことが続きましたが、今となってはそれもいい思い出です。

▲誠心誠意という言葉が好きです。誠実にことにあたり誠意をもって人に接する――。これからもこの心構えでいたいと思います。

自然の成り行きで院長に

 学習院の院長になったのは自然の成り行きとでもいいましょうか(笑)、「学習院桜友会」での活動がきっかけです。桜友会は学習院の同窓会組織で、卒業生が親睦や交流を深めたり母校へのサポートを行ったりすることを活動の柱として発足しました。現在、会員数は14万人に達します。その支部の埼玉桜友会に、埼玉銀行に勤めていた縁で入り、桜友会本部とのつながりができました。最終的に桜友会の副会長を務めたことで学校法人学習院とのパイプができ、監事の職につき、その後、常務理事、専務理事を経て院長に就任しました。
 これから実践したいのは、歴史と伝統を重んじつつ、新しい社会に対応できる人材を育てることです。少子高齢化や地球温暖化による環境問題、AI(人工知能)やロボットの技術革新がもたらす産業構造の変化など、私たちを取り巻く状況はめまぐるしく変貌しています。こうした状況でも柔軟に対応できる新しい社会の担い手となる人材を、初等・中等教育の段階から育成することが学習院の果たすべき責務と考えています。幼稚園から大学まで一貫教育を行う学習院の特色を活かし、どこから入ってどこで出ても、予測不可能な社会で通用する資質・能力が身につくよう最高水準の教育を行うことを目指しています。

▲10歳くらいの頃。お母様とご自宅近くの公園で。

人を思いやる心を大切に

 学習院の教育目標は、「ひろい視野」「たくましい創造力」「ゆたかな感受性」です。「ひろい視野」とは、国際感覚をそなえ国際的な視野を持ちましょうということです。学習院大学は2016年、グローバルに活躍する人材を育成する新しい学部「国際社会科学部」を開設し、2020年春に最初の卒業生を送り出しました。おかげさまで就職率が高く、就職先の企業からもとてもいい評価をいただいています。
 「たくましい創造力」は、自分の目でモノをしっかりと見て感じ、どう行動するかを考える力を養ってくださいということ、そして「ゆたかな感受性」は、簡単に言うと何にでも興味を持ちましょう、ということです。ジャンルを問わずいろいろな世界にどんどん飛び込んでいって多くを学び感じ取り、感性を磨いてください。そうすることで自らを成長させ、Society 5.0に順応できる人になってほしいと願っています。
 勉強面で関塾生の皆さんにお伝えしたいのは、復習を怠らないこと、そして模擬試験をたくさん受けましょうということです。復習は、私が“もっとやっておけば良かった”と後悔しているからこそ、強くお勧めしたいですね。模擬試験は、数をこなせばそれだけ確実に力になります。この2つは、実は小さい頃から母に繰り返し言われ続けたことです。母の教えは間違っていなかったなぁと今しみじみと感じています。
 内面的なことでは、「自重互敬」を大事にしてください。自分を大切にし、お互いを敬い思いやるという教えです。人と人がより切実につながりたいという思いが強い今は、他人を尊重し、おおらかな気持ちで人と接することが求められています。正直で礼儀正しくあり、人にやさしくする――。昔から大切にされてきた日本人らしさを忘れないようにしてください。

日本政府が提唱する未来社会の姿。仮想空間と現実空間を高度に融合させた仕組みにより、経済的発展と社会的課題の解決の両立を目指す。

関塾

タイムス編集部

SEARCH

CATEGORY

KEYWORD

  1. 2022年8月号
  2. 2021年4月号
  3. タイムス編集部だより
  4. 2020年6月号
  5. 2021年9月号
  6. 2023年10月号
  7. 2022年5月号
  8. 2020年9月号
  9. 2022年9月号
  10. 2021年5月号
  11. 2020年12月号
  12. 2020年5月号
  13. 2024年8月
  14. 2022年4月号
  15. 2021年10月号
  16. 2021年2月号
  17. 2020年11月号
  18. 2023年9月号
  19. 2021年6月号
  20. 2020年8月号
  21. 2023年6月
  22. 2023年3月
  23. 2021年11月号
  24. 2021年1月号
  25. 2020年10月号
  26. 2021年8月号
  27. 2020年4月号
  28. 2022年1月号
  29. 2022年6月号
  30. 2022年12月
  31. 2021年3月号
  32. 2021年7月号
  33. 2020年7月号
  34. 2023年5月
  35. 2022年2月号
  36. 2021年12月号
  37. 2022年7月号
  38. 2022年3月号
  39. 2023年11月号
  40. 2022年11月号
  41. 2023年4月
  42. 2022年10月号
  43. 2023年2月
  44. 2023年1月
  45. 2023年7月
  46. 2024年3月
  47. 2024年5月
  48. 2024年2月号
  49. 2023年8月号
  50. 2024年1月号
  51. 2024年6月
  52. 2024年7月
  53. 2024年4月
  54. 2023年12月号
  55. 2024年9月
  56. 2024年10月
  57. 2024年11月
  58. 2024年12月