長野県内4地域に5つのキャンパスを擁する国立大学法人信州大学は、旧制松本高等学校など7校を前身とし、8学部5研究科を持つ総合大学です。信州の豊かな自然環境を活かした教育・研究を行い、自ら創造できる人材を育成するとともに、地域・社会の発展に貢献することを目指しています。全国から学生が集まり、県外出身者が約7割を占める「多様性」が信州大学の特徴だという、現学長の濱田州博先生にお話を伺いました。
【濱田 州博(はまだ・くにひろ)】
1959年生まれ。兵庫県神戸市出身。工学博士(東京工業大学)。
82年3月東京工業大学工学部卒業。84年3月同大学大学院理工学研究科修士課程修了、87年3月同博士課程修了。同年4月より通商産業省工業技術院繊維高分子材料研究所研究員。88年6月より信州大学繊維学部助手。95年3月より96年2月まで米国ノースカロライナ州立大学繊維学部客員研究員。96年4月より信州大学繊維学部助教授、2002年10月より教授。10年より繊維学部長、12年より副学長を経て、15年10月より現職。専門は繊維染色化学、繊維機能加工学、高分子化学。
生まれ育ったのは兵庫県神戸市です。神戸駅から徒歩10分程度の市街地に住んでいましたが、近くに山や川、公園などがあったので、外で遊ぶことの方が多かったですね。両親、7つ上の姉、6つ上の兄の5人家族で、父は海外航路の貨物船で事務方の仕事をしていました。船員という職業上、あまり家にいなかったのですが、港に船が着くと母と一緒に迎えに行ったことを覚えています。家庭での教育やしつけは全く厳しくなく、年の離れた姉と兄がとても優秀だったので、2人を見習うようにと言われたくらいでした。
小学校でのことはあまり覚えてないのですが、中学校では陸上部に入るも1年で挫折(笑)。その後、技術の先生が顧問をしていた工作部に入りました。エンジンとワイヤーの付いた飛行機を作って自分の周りを飛ばす、Uコンという模型飛行機には随分熱中しましたね。勉強については、普通にやっていた、という感じでしょうか。算数・数学が得意で国語が苦手でしたが、当時の兵庫県の公立高校入試は、内申書と学区で決まる形式で、受験という感じはあまりなくのんびりとしていました。学校の成績が上の方だと公立高校に行けて、兵庫県立兵庫高校に入りましたが、特別良い成績が必要というわけではなく、40人くらいは同じ高校に進学していたと思います。
高校では天文部に入りました。夏合宿で夜中ずっと起きてペルセウス座流星群を観測したり、文化祭で展示物を作ったり、熱心に活動していましたね。数学だけではなく、理科も好きで得意だったので、理系に進むことは早いうちから決めていました。天文は地学分野ですが、天文系の学科は日本には少ないので、天体観測は趣味として、成績の良かった化学分野に進もうと決めました。
そこで大阪大学理学部を受けたのですが、不合格。今よりも浪人が多い時代で、1浪して進学できればいいという風潮だったので、私立大学は考えていませんでした。現役の時は自分で勉強していましたが、予備校に通い、翌年は東京工業大学工学部を受験しました。東工大を選んだ理由は、兄が博士課程に在籍していたことと、得意科目が有利になる配点だったことです。当時は共通一次試験が始まる前で、科目の配点が大学ごとに異なっていました。東工大は確か1050点満点で、苦手な国語の配点が100点と少なく、社会がなかったと思います。そのため対策がとりやすく、合格できて、東京に出てからは兄が結婚するまで6年一緒に住んでいました。
2年生からの学科決めで高分子工学を選び、4年生で飯島俊郎先生の研究室に所属しました。きっかけは、兄の同級生で私にとっては高校の先輩にあたる方が所属していたからです。その先輩のお兄さんも同じ研究室のご出身だったそうで、関西から進学した学生はあまり多くなかったのですが、たまたま固まっていて、その縁で選びました。そして高分子と低分子の相互作用という興味のある研究テーマを選んだら、アメリカからの客員教授のマクレガー先生が持ち込んだものだったので、研究室に入った途端2人きりで研究することに。当然、英語で教わるのですが、イギリス・スコットランド出身のマクレガー先生は、訛りで言葉が通じなかった経験がおありで、外国語が理解しにくいことをよくご存じでした。そのため、単語を一つひとつ区切って丁寧にお話しくださり、不慣れな英語でも抵抗なく研究を進められました。
工学部は7~8割が修士課程に進んでいたので私も修士への進学は最初から決めており、研究を進めるうちにおもしろくなってきて、博士課程にも進学することにしました。研究室で初めて扱うテーマで、実験装置がなく他学部から借りるなど大変なこともありましたが、知らない結果が次々に出てきて、結果を受けて次はどうしようか自分で考えて試していく、そういう過程を大変おもしろく感じました。マクレガー先生をはじめ、各国から先生や学生が来ていた研究室で、最初から海外の研究に触れることができた影響も大きかったと思います。
博士課程修了後は、アメリカで研究を続けようと思ったのですが、飯島先生に通商産業省工業技術院繊維高分子材料研究所の研究員の職をご紹介いただき、勤めることになりました。1年と少し勤めた後、面識のあった信州大学の先生から助手をしないかとお声がけをいただいて、信州へ来ました。助手の頃、1年間アメリカのノースカロライナ州立大学へ留学して、それ以降はずっと信州大学にいます。
振り返ってみて思うのは、様々な人との縁によって今の私があり、人とのつながりが何より大事なのだということです。信州大学の1番の特徴は様々な地域から学生が来ていることで、受験生の地元志向が高い近年でも、県内出身者は約25%と少なく、関東が約25%、東海が約20%、近畿が約10%、北海道や沖縄県の出身者も毎年一定数います。全国から集まった学生は1年同じキャンパスで過ごし、自分とは異なる文化で育ってきた仲間たちとの交流を通して、多様な価値観に気づくことができます。この良さをより活かすため、2017年度から「全学横断特別教育プログラム」を開設し、意欲のある学生が専門分野を超えた知識や視点を獲得できる機会を提供しています。
関塾生の皆さんにお伝えしたいのは、基礎学力の重要性です。中でも、国語での読解力、算数・数学での論理的思考力は、いつの時代も重要です。例えば、現在盛んなプログラミングでは、言葉を並べ替えてプログラムを作ります。言葉の意味がわからなかったり、どのような順番が正しいかわからなかったりすると、並び替えることはできません。これらを理解するために必要なのが読解力と論理的思考力なのです。この力は小中学校の授業での基本的な内容をきちんと学ぶことで身につきます。もうひとつ、ある程度、量をこなすことも必要なのではないかと思います。社会に出るとスピードを求められることが多いです。そんな場合に備え、小中高大のどこかで量をこなすことに慣れておけば、スピードを出すための自分なりの方法やコツを見つけることができるでしょう。
もっと広い意味では想像力を養うことが大事です。自分がこう言ったらどうなるか、これをしたら何が起こるか、予想できる力が大事なのです。社会には様々な人や物事が存在し、どうなるかよく考えず行動してしまうと大変な結果を引き起こしてしまう可能性があるからです。ですが、小中高大のうちはもし失敗してしまっても、やり直すチャンスがいくらでもあります。だからこそ、今のうちにいろんなことに挑戦して、多くの人と交わり、自分のふるまいがどのような結果につながるのかを知ってください。そうすることで様々なことに気づき、だんだんと結果が予想できるようになります。小さな気づきを積み重ねて、想像力を磨いていきましょう。
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