関塾が発行する親子で楽しむ教育情報誌、関塾タイムス

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2020年1月号 わたしの勉学時代

のめり込む性格は父親譲り

 生まれ育ったのは大阪府南部の羽曳野市です。世界遺産に認定された*1古市古墳群があるところと言えばピンとくる人もいるでしょう。私が幼い頃はまだまだ田舎町で、近所の人たちみんなが顔見知りでした。わが家は祖父の代から、駅前で自転車店を営んでおり、自転車の他に、オートバイや自動車整備も手掛けていました。父は、冗談一つ言わない職人気質の技術屋で、日がな一日仕事に打ち込んでいました。店では保険も取り扱っていましたが、そういった接客業務は専ら社交的な母の担当でした。そんな両親と2歳下の弟との4人家族でした。
 私は父に似たのか、幼い頃から興味を持ったことに心底のめり込むタイプでした。割り箸と紙で飛行機を何十機も作ったり、図鑑を片っぱしから熟読したり。昆虫、植物、動物、交通、歴史などジャンルを問わず見入り、内容をすっかり暗記していました。小学校入学前から近所の絵画塾に通っており、絵を描くことも大好きでした。中学2年生まで続け、学生対象の全国絵画展にも3回入選しています。ベニヤ板の大きなカンバスを子どもに与え、「とにかく大きな構図をつくりなさい」といったこちらの指導方針は、後の研究者、教育者としての思考に、大いに役立っているように思います。

*1大阪府の藤井寺市と羽曳野市にまたがって分布する古墳群。堺市にある百舌鳥古墳群と合わせて2019年に大阪で初めて世界遺産に認定された。

小学生の頃は昆虫採集も大好きでした。でも、夏休みの自由課題として取り組むのは嫌なんです(笑)。あくまで趣味として楽しんでいました。

自らやると決めたらがんばれる

 小学校の勉強で好きだったのは社会です。なかでも歴史が得意でした。それほどできたわけではありませんでしたが算数も好きでしたね。そして、当時としては珍しかったのですが英語を習っていました。「早くから馴染んでいたほうがいい」という母の勧めで、近所で教えていた高校の先生のもとに通っていました。高校まで続け、後の受験で大きな強みとなりました。
 運動では、瞬発力に自信がありましたね。自分を鍛えるためにうさぎ跳びや懸垂などをよくやっていましたから(笑)。昨今、うさぎ跳びは膝に負担がかかるので推奨されませんが、当時の私は近所のお寺へ続く50mほどの砂利道を黙々と往復していました。スポーツ漫画に触発されたわけでもなく、自ら思い立って取り組んでいました。勉強も運動も「自分でやる!」と決めれば苦もなくがんばれる人間なのでしょう。その一方で、誰かに“やらされる”ことは大の苦手。中学で野球部に入りましたがすぐに辞めてしまい、その後に入ったサッカー部も早々に退部。指示されてみんなと一緒に走ったり練習したりするのは最初のうちこそできるのですが、だんだん嫌になってくるんですね。何事も自ら考え、自分の思うようにやりたい性分でした。

「本気じゃない」と見抜かれた

 中学では、2、3年時の担任の先生に大きな影響を受けました。2年時に、数学の成績がなかなか伸びず相談したところ、「善雄はまだ本気じゃないだろ? 勉強時間が足りていないだけだ」と直球の言葉が返ってきました。見抜かれていたんですね(笑)。私も「その通りだな……」と思い、中1の数学から全部やり直しました。スケジュール表を作り、いつまでにこの問題集を仕上げる、1日に何ページやる、などと決めて毎日復習しました。すると、3年からメキメキと成績が伸び始め、数学が得意と言い切れるまでになりました。
 また、2年続けて私を担任するとわかった時には、「これは縁だな。高校はトップ校を目指せ!」と声をかけていただきました。その後も何かと気に留めてくださり、一度家まで訪ねてこられたこともありました。「他の用事のついでに」とのことでしたが、今思えば励ましに来てくださったのでしょう。私の机の周りを見て、「まだ本気度が足らん!」と気合を入れられました。
 受験勉強でも、英語以外は塾に通いませんでした。何事も自分のペースでやりたいという性分からです。英語は、勉強したことがちゃんと成績に反映され楽しかったですね。特に英文を読むのが好きで、興味のある英語の本は積極的に手に取っていました。そうしてがんばるうちに公立のトップ校を狙える力がつき、晴れて第一志望の大阪府立生野高校に合格できました。

父も母も子どもの興味を大切に、私のやることを黙って見守ってくれました。何事も最後までやり切りなさいと。今の自分があるのはそんな両親のおかげです。

人間科学部?おもしろそうだ!

 私は大きな目標を達成すると、その後、必ず“エアポケット”に入ってしまいます。高校入学後がまさにそれで、高1は、次の目標を見つけられず、ぼーっと過ごしました。定期テストや実力テストは悪くはないけれど、飛び抜けて良くもない。クラスの順位はいつも〝上の下〟あたりでした。
 高2になっても焦りはなかったのですが、進路について友達と話すうちに秋頃から将来のことを具体的に考えるようになりました。真っ先に思いついたのは、子どもの頃から好きだった飛行機の世界。でも、あまりにも乱高下の激しい物理の成績を省みて、その道はすぐに諦めざるを得ませんでした。ちょうどそんな頃、定期購読していた学習雑誌を通して、大阪大学に日本で初めて「人間科学部」という学部が誕生したこと、学問分野が、心理・社会・教育の3本柱で構成されていることを知りました。「おもしろそうだな。勉強するなら心理学だな」……そう思った瞬間、私の志望進路は決まりました。以後、大学受験に向けた“本気のスイッチ”が入り、自分で決めた問題集を全ページ通して5~6回解き続けました。できなかった問題があれば解けるようになるまで何度も繰り返しました。でも、古典はどうしても成績を思うように伸ばせず、通学沿線にあった塾に入り、優秀な京都大学文学部の大学院生に教えてもらうことになりました。最初は友達と2人で見てもらっていましたが、途中から私一人になり、みっちりマンツーマン指導していただきました。おかげで、古典に対する苦手意識が払拭でき、心にゆとりを持って入試に臨むことができました。

小学生の頃。
絵画(油絵・水彩・クレヨン)、飛行機模型作り、読書、寺巡り、筋トレ……没頭できる趣味をいくつも持つ少年でした。

没頭できることを見つけよう

 大学での学びが俄然おもしろくなったのは、「環境心理学」に出合った頃からです。1年時から気になる専門書を読み始め、3年から「社会心理学」を選択し、*2 三隅二不二教授のゼミで研究に勤しみました。当時、三隅教授は、災害からの避難行動時の戦略、リーダーシップについて研究されていました。卒業論文は、日本人論で有名な浜口恵俊先生に指導いただき、親子の間でライフスタイルにどのような影響関係があるのか、中高生約300名へのアンケート調査結果を自分でプログラムを組んで分析しました。
 4年時の就職活動では、商品開発や企画職、マスコミ関係の仕事を希望し、マーケティングの勉強会に参加するなどしていました。すると、先生から「仲谷くんは研究に興味ある?」と尋ねられました。企画と似たようなものだろうと、「あります」と即答したところ、三菱電機の研究部門に推薦いただきました。心理学の素養があり、プログラミングができ、避難行動シミュレーターを作れる人材という、三菱電機が求める条件が合致していたようで、面接の結果、採用されることになりました。
 就職後、心理学出身者として、避難行動をモデル化したシミュレーターの製作に携わる一方、研究者の会話についていけるよう専門的知識を必死に身につけました。30代になって、米国・スタンフォード大学に研究留学し、人工知能の研究に携わりました。そんな研究と企業でのマネージャー職とに従事するなかで、研究への思いと共に、「人を育てたい」という思いも募りました。ちょうどその頃、立命館大学が情報理工学部を新設。24年間の企業人生を終え、大学で教育と研究を手掛ける次のステージへの挑戦を決めました。
 今、思えば、幼い頃より興味を持ったことには人一倍のめり込んできました。そんな熱意が常にあったから受験も乗り越えられ、前進できたのだと感じます。
 関塾生の皆さんにも、まずは好きなことを見つけてほしいと思います。趣味でも何でも、「これは誰にも負けない!」というものと出合えるのは、すばらしいことです。高校、大学の受験勉強はせいぜい10代の数年のこと。生涯をかけて追求したい何かに出合えれば、受験勉強の苦労も後に振り返れば些細なものとなるはずです。何かを成し遂げる人というのは、そんな熱意を生涯にわたって維持できる人なんだと思います。

*1996年に提唱したリーダーシップ理論「PM理論」で世界的に著名な心理学者。

「世界」と「多様性」が身近なキャンパス

 「挑戦をもっと自由に」─2030年に向け立命館学園が掲かかげるビジョンです。人々の自由な挑戦こそが希望に満ちた社会をもたらすとの考えから、「わくわく感」を大切にした、挑戦しやすい環境づくりを進めています。
 例えば、貧困や平和など世界共通の課題を自分ごととして受け止めるためのSDGs活動のサポートや、キャンパス内でロボットの実証実験を行うなどといった「知の見える化」の推進などです。総合大学ならではの多様なコミュニティ空間はもちろん、立命館アジア太平洋大学に代表される、日常的に「世界」を意識できる環境づくりも、同学園の魅力です

※Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略。2015年の国連サミットで採択された2030年までの国際目標。

立命館大学には、世界81カ国・地域から、2673人の国際学生が学んでいます。
(2019年5月)