2018年8月号 わたしの勉学時代
大野 弘幸(おおの・ひろゆき)
1953年生まれ。千葉県出身。工学博士。76年早稲田大学理工学部応用化学科卒業。78年早稲田大学大学院修士課程を修了し、
81年同博士後期課程を修了(工学博士)。早稲田大学理工学研究所特別研究員、西ドイツマインツ大学訪問研究者を経て、
83年よりケース・ウェスタン・リザーブ大学(アメリカ)に博士研究員として勤務。85年に帰国し、早稲田大学理工学部助手を務める。
88年8月より東京農工大学工学部助教授、97年1月より同教授。その後、同大学にて、大学院共生科学技術研究院院長、図書館長、
評議員、工学部長を歴任。2017年4月より国立大学法人東京農工大学長となり、現在に至る。イオン液体に関する論文、著書など多数。
2013年には高分子学会功績賞を受賞。
国立大学法人東京農工大学は、農学部と工学部、それに関連する大学院で構成されています。女子学生 の割合が農学部で約50%、工学部で20%以上と多いのも特長です。また、いち早くキャンパス内に保育所を設置し、 女性の教職員の活躍を支援しています。こうした環境もあり、多くの女子学生が先輩の姿に憧れて入学してくるそうです。 今回は、そんな同大学の学長である大野弘幸先生にお話を伺いました。
「幼稚園に行きたいか?」
私が生まれ育ったのは千葉県千葉市です。 家の近くに千葉公園という大きな公園があって、毎日のようにそこで遊んでいました。 当時は「ここは自分の庭だ」というふうに思っていましたね。 家族は両親と祖母、そして私の4人。一人っ子だったので甘やかされて育ったと思います。父は電電公社 (現在のNTTの職員でした。子煩悩で、よく遊んでくれましたよ。魚釣りをしたり、キャッチボールをしたり、 大きな木の上に秘密基地を作ったりと、いろいろなことをしたものです。父は幼い時に父親、つまり私にとっての祖父を亡くしたので、 父子の思い出がなかったようです。それだけに、我子と過ごす時間は特別だったかもしれません。 実は、私は幼稚園には行っていません。3歳から4歳の頃に、父から「お前は幼稚園に行きたいか? それとも公園で遊んでいたいか?」と聞かれました。何の考えも ない幼い子どもですから、もちろん「遊んでいたい」と 即答しますよね(笑)。そうしたら父は「うん、じゃあ行かなくていい。遊んでいなさい」と言って、それっきりです(笑)。 小学校に入るまで、本当に毎日遊んで過ごしたんですよ。「子どもに好きなことをさせる」両親の考えが徹底していたのでしょう。
英語への興味は洋楽から
千葉市立新宿小学校は、家から歩いて15分ほどの場所にありました。この頃は、勉強よりも遊ぶことに夢中で、 授業の記憶もほとんど残っていません。覚えているのは、体を動かすのが大好きだったことです。背も高くて、 小学6年生の時には160㎝あったと思います。運動会のリレーでは大抵アンカーを任されました。 そのまま地元の新宿中学校に進学し、そこでは陸上部に所属しました。選んだ種目は走り高跳です。毎日練習した努力が実り、 中学3年生の時、千葉市の陸上競技大会で優勝することができました。いい思い出です。ちょうどこの頃、メキシコシティーオ リンピックが開催されました。そこで、アメリカのフォスベリーという選手が、世界で初めて背面跳びをして、 見事に金メダルを獲ったんです。その記事を『月刊陸上競技』で読んで、大変な衝撃を受けたことを覚えています。真似をして 跳んだこともありましたが、練習場の着地点が普通の砂場でしたので、頭や首を打って痛い思いをしましたね。 中学1年の時には、英語に興味を持ちました。学校の授業も新鮮でしたが、洋楽から受けた影響が大きかったと思います。 当時、ザ・ビートルズの来日公演が大変な話題でした。私も彼らの曲をよく聴いたものです。すぐに「歌詞の内容を知りたい」 という気持ちが芽生え、和訳を進めていくうちに英語を学ぶ意欲につながっていきました。 いろいろな曲の和訳に挑戦しましたよ。 ビートルズの歌詞は難解で、ザ・モンキー ズは比較的シンプルでわかりやすかったですね。学内の英語クラブにも入り、 「いつか外国に行ってみたい」と思いながら勉強していました。 中学の授業では、英語の他には技術家庭科も印象に残っています。包丁を使った調 理実習、のこぎりでの工作など、 難しかったけれど大変面白かったです。理科の実験など、実習系の授業は好きでしたね。
県立高校の受験に失敗
中学3年の頃には「大学に行きたい。理工系学部が面白そうだ」と考えていました。 そのために志望したのは県立高校です。 自分でも合格を確信していましたし、周囲も「この成績だったら絶対に合格する」と言ってくれていましたから、 落ちるとは夢にも思いませんでした。しかし、入試当日、非常に緊張してしまい、実力を発揮できず不合格となってしまいました。 この時の敗北感は言葉では表せません。 結局、第二志望の市川学園に進学。受験を失敗した悔しさから、「大学には絶対にストレートで合格するぞ!リベンジだ!」 という強い意志のもと勉強に励みました。振り返ってみると、受験の失敗があったからこそ、勉強に前向きになれたのだと思い ます。早い段階で気持ちの切り替えができたのもよかったです。高校に通い始めた頃には、「自分で招いた失敗なのだから、 自分が何とかしなければ」という考えになっていました。これには、陸上部で経験したことが活かせたと思います。 スポーツの世界では、たった一度の結果にいつまでもこだわっていられません。次の大会で結果を出すために、すぐに新しい努力を 始めないといけませんから。 そんな訳で、勉強漬けの高校3年間でした。人生で一番勉強したと思います。モチベーションを維持できたのは、 「高校受験のリベンジ」という明確な目標があったからです。学校や自宅はもちろん、通学の電車の中でも参考書を開いていました。 それでも、たまには息抜きもしました。東錦という金魚を飼っていて、これが良いストレス解消になりました。交配を繰り返して3つ の色のうち青だけを残していくという実験もしました。小学6年の時から約10年かけ、ほぼ青い個体にすることができたんですよ。 また、高校2年の時には、女子学生のグループと電車の中で知り合い、勉強の合間に遊びに出かけました。実は、そのグループの 中の一人が、今の妻です。博士学位を取得するまで待ってくれとお願いし、出会ってから10年後に結婚しました。
大学受験でリベンジを果たす
高校1年の時には、「早稲田大学理工学部応用化学科を受験する」と決めていました。中学時代から化学が好きだったことが
理由の一つです。新しい物質を生み出す学問に興味がありました。「世界初のものを生み出す研究をしたい!」と考えたんです。
この思いは、高校3年間を通して変わりませんでした。
進路を早々に定めていたおかげか、大学受験は緊張することなく合格。無事にリベ ンジすることができました。
入ってみると、大学には物知りで個性的な同級生がたくさんいて驚かされましたね。「これを調べるなら、国会図書館で
資料を閲覧するんだよ」というように、何でも知っているんです。良い刺激をたくさん受けました。また、応用化学の
授業では、大学1年次から有機合成の洋書を教科書に使っていて、それにも驚かされました。しかも、その授業では
毎週テストがあるんです。ついていくのは 大変でしたが、おかげで基礎をしっかりと身につけることができました。
化学の世界に本格的に足を踏み入れたのは、大学2年生の時です。土田 英俊先生の高分子科学の授業が面白くて、
研究室にも顔を出すようになりました。ところが、ゼミの議論は、2年生の自分には難解でまっ
たくわかりませんでした。その雰囲気に圧倒されながらも、学部の授業だけではどうしようもない世界があることに、
大変な魅力を感じていたことも確かです。4年生になって土田研究室に配属されると、昼も夜もなく卒論研究に明け暮れた
ものです。卒論研究では、体の中にある*ニコチンアミドをつなげて高分子にする取り組みをしました。
それを先輩と一緒に最後まで仕上げた論文が、大学院時代になって雑誌に掲載されたんです。これが大変な刺激になって
「研究って面白いな!」と思うようになりました。最初の論文が認められたことで、ますます研究に没頭するように
なりましたね。
*水溶性ビタミンで、ビタミンB群の一つ。
全力を出し切る経験が大事
研究には失敗がつきもので、私もこれまで数多く経験してきました。しかし、失敗も一つのデータ、財産です。 失敗をしなければ見えてこないことがあります。皆さんも、ぜひ失敗を恐れずに前へ進んでください。 子どものうちに様々な遊びを経験しておくことも大切です。その遊びの中で、創意工夫をし、社会性を学び、また偉大なる 自然の一端を肌で感じてもらえればと思っています。 私は高校受験で挫折を経験しています。 しかし、そこから得たこともたくさんありました。高校3年間は全力で 勉強に取り組み、大学入試では実力を出し切ったと思います。全力を出し切った経験のある人間は、 少々の困難にも負けない強さが身についています。できそうなこと、失敗しないことしかやらないでいると、どんどん萎縮 していき、新しいことにチャレンジできなくなってしまいます。それは、皆さんの可能性を狭めることになるでしょう。 これから先、思い通りにいかないことを、たくさん経験するでしょう。そんな時、全力を出し切った経験があれば、 必ず困難を乗り越えられるはずです。勉強でも、遊びでも、趣味でも、恋愛でも何でもいいので、何か一つ 「やり切った」経験を持っていてください。保護者の皆さんには、子どもたちが困難を乗り越える力を身につけられるよう、 「恵まれた環境は決して人を育てない」ということを意識していただければ幸いです。
国内第2位の論文数
東京農工大学は、国内屈指しの研究力を特長としています。英国のクアカレリシモンズ(QS)が発表した 「アジア大学ランキング2018」ではアジアのトップ1%に入りました。中でも「教員あたりの学術論文数」は 国内第2位で、その研究力の高さを証明しています。 そんな同大学では、学生の論文を積極的に世界へ発信しています。経験豊富な教員が、学生の研究を英語 の論文にするサポートを積極的に行っているのです。さらに、その論文が国際的に優すぐれている場合は、 学長の大野先生がオープンアクセス料を支援しています。学部4年生や修士課程の学生の研究が、 世界に公開されることで、グローバルな研究交流が進行中です。研究者を目指す若者のための環境が整っています。
府中キャンパス(農学部)の登録有形文化財に指定されている本館と、近未来的なデザインが目を引く小金井キャンパス(工学部)の東門。