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2019年4月号 わたしの勉学時代

発電所の技術者だった父

 私は広島県尾道市の生まれです。生家の目の前には、本州と向島を隔てる瀬戸内海の尾道水道が横たわっていました。生まれてすぐに引っ越したものの、親戚の家があったので、夏休みなどの休暇を利用してしばしば滞在したものです。大変思い出深い地です。
 父は中国電力の技術者でした。兄弟の多い家の次男に生まれ、学歴は現在の中学校にあたる高等小学校卒業止まり。幸い戦地へは赴かなかったものの、徴兵も経験しました。勉学を道半ばで断念しなければならなかった父。彼の人生が私に与えた影響は、決して少なくなかったと思います。
 父は真面目な性格で、戦後は働きながら電気技術者の資格を取得しました。発電所では、発電機の原動力となるタービンが動き出すまでの作業を担っていたそうです。つまり、新しい発電所を稼働させるのが父の仕事でした。そのため転勤が多かったです。尾道造船の隣にあった発電所(現・山波変電所/登録有形文化財)から向洋地区に移ったのも、新しくできる工業地帯に発電所をつくるためでした。向洋は自動車メーカー・マツダの本社がある地区ですね。その後も一家で各地を転々としました。向洋の次は山口県小野田市(現・山陽小野田市)で、それから宇部市、岡山県倉敷市の水島といった具合です。その後、広島県福山市へ引っ越し、父は定年を迎えました。
 幼い頃は、父の仕事場に連れて行ってもらうこともありました。小野田市では、しばしば発電所の周りをうろうろしていたようです。自分でははっきりと記憶していないのですが、一度だけ死にかけたことがあったと聞いています。発電所では、燃やした石炭から出た灰の熱を、大きなプールで冷ましていました。灰混じりの海水なのでプールの底は見えません。そこに浮いていた軽石を、私は池にある飛び石のようなものだと思って乗ってしまい溺れたのです。人気のない場所だったので、たまたま誰かが通りかかったから運良く助かりました。よく助かったなと思います。

4歳頃からは、夏休みは一人で電車やタクシーを乗り継ぎ、山口県から祖母の家がある尾道まで旅をしたものです。小学校時代は長期休みの宿題をすぐに片付けて、尾道へ向かいました。

倉敷時代は建築学の原点

 私は、小学校時代のほとんどを倉敷市立第五福田小学校で過ごしました。4年生の頃は白地図に凝っていて、学校から帰ると必ず遊びに出かける前に取り組んだものです。まず、窓ガラスなどを使い、元の地図を画用紙にトレースします。そこに「今日は河川をかき込もう」や「今日は山野をまとめよう」などと、テーマを決めて製作するんです。そのうち、県別の産業や工業などの統計データを、『朝日年鑑』から探し出して地図に落とし込むようになりました。ちょっと変わった趣味ですよね(笑)。しばらくして、母におだてられ、かき上げた地図を束ねて学校に持って行ったことがあります。担任の先生に見せたら大変褒めていただき、追加の画用紙までもらってしまいました(笑)。
 地図製作の他にも、絵を描いたり、海藻の研究をしたりと、趣味にはオタク気質を発揮していました。海藻をテーマにした夏休みの自由研究では、賞をもらったこともあります。お小遣いをコツコツ貯めて、海藻図鑑を手に入れたことも覚えています。海藻に熱中した時も、母がずいぶん褒めてくれました。母は本当に褒め上手、おだて上手だったと思います。両親共に厳しい面もありましたが、根がオプティミスト(楽天家)のせいか、基本は褒めて育てるタイプでしたね。
 後に私の専門分野となる建築学の原点も、この倉敷時代にあります。小学4年生の社会科見学で倉敷市庁舎(現・倉敷市立美術館)を訪れたのですが、子ども心に「これは他の建物とは違う」と直感した時のことは、今でもよく覚えていますね。これは後から知ったことですが、その市庁舎は丹下健三の設計だったんです。この倉敷時代には、すでに「社会科や絵が好きなので、それらを活かせる建築を学びたい」と思っていました。建築パースも描いていましたよ。倉敷には、市庁舎にかぎらず美しい建物がたくさんあります。それらが私を建築の道へと導いてくれたと思います。

*1朝日新聞社が1925年~2000年に発行した年鑑・統計本。
*2日本を代表する世界的建築家。代々木第一体育館や広島平和記念資料館などを設計した。

海藻集めを始めたきっかけは海事研修、岡山県の小・中学校が行っている海を教室にした校外学習です。海藻は押し花のようにして保管していました。ウミウチワはとりわけきれいなのですよ。

かけがえのない出会い

 中学3年に進級するタイミングで、倉敷市立水島中学校から福山市立東中学校へ転校しました。東中学は岡山県からの越境入学者も多いトップ校。転校して初めて受けた模擬テストの結果が90位台だったのを覚えています。水島中学では常に学年10位以内の成績だったので、とても驚きましたね。その後は、テスト対策の要領もわかってきたこともあり、最終的には10位台まで上げることができました。
 高校受験を考えた時に、まずは広島大学附属福山高等学校への志望を考えました。東中学からは毎年十数名が進学しているので、自分の成績なら大丈夫だと思ったのです。英語教諭でクラス担任の先生からは「お前は落ちる」と断言されてしまいましたが、私は受験を決意しました。しかし、入試当日になって先生が正しかったことを実感。英語のヒアリングで頭が真っ白になり、穴埋め問題もほとんどわからなかったことを、今でもよく覚えています。中学時代で英語はトラウマになりましたね(笑)。それで、広島県立福山誠之館高等学校へ通うことになったのですが、そこでの出会いはかけがえのないものとなりました。福山誠之館高校は、江戸時代の藩校が起源の伝統校であり、優秀な生徒が集まる進学校でした。自由な校風で、学内の雰囲気も良く、当時の友人たちとは今も交流が続いています。恵まれた環境だったと思います。

「苦手な分野だから学ぼう」

 「大学で建築学を修めたい」という志を抱いて臨んだ高校生活。ところが、2年生の夏に勉強を怠ったため、成績がガタ落ちしてしまいました。夏の40日間の遅れを取り戻すことは容易ではありません。その後も計画的に勉強を進められなかったこともあり、結局は浪人生活を経験することになりました。二度目の受験失敗でした。
 現役生では大学受験に失敗したものの、京都工芸繊維大学へ進学できたことは結果、私にとって幸運だったと思います。下宿先の同居人たちにも恵まれました。後に教授になるほどの人物が複数いて、様々な分野の面白い議論をたくさん聞かせていただいたものです。大学時代は、全国にある丹下健三の仕事を見て回りました。読書にも没頭しました。あらゆるジャンルの作家を読み漁りましたね。
 工繊大は実習が豊富で、その実習のレベルも高いんです。大学2年生から設計を始めるのですが、与えられたテーマに沿った成果を提出し、そこに批評がくるという流れでした。最初は納得いく設計ができなかったのですが、様々な建築物や資料を参考にしていくうちに、高い評価をもらえるようになったんですね。そこで「次は設計とは別の、最も苦手な分野を学ぼう」と思い立ち、建築構造のゼミを選びました。ちょっとひねくれた考え方ですね。生意気なんです(笑)。それでも、「苦手な分野だからこそ、大学を卒業したら自ら学ぼうとしないだろう」と考えました。それが今の専門分野というわけです。私が主に携わるのは数値解析法です。例えば「骨組に鉄骨を使用した構造が、地震によってどのように揺すられ崩れていくのか?」をシミュレーションする際のプログラムを作っています。柱と柱の間に斜めに入れて補強する筋かいを、最もしっかりシミュレーションできるのは私のプログラムだと思います。このように、苦手な分野を仕事にしているわけですから、人生わからないものですね。

苦手だからこそ取り組む

 21世紀の日本の産業は、元気があるとは言えません。工学系の産業を、今一度つくり直さなければならない時であると感じています。京都工芸繊維大学は、専門知識・技術を活かし、他分野とつながりながら、新しいものを生み出す方向へ舵を切っていかねばなりません。本学の学生には、専門を極めた上で、多様な分野・人物と連携できる人になってもらいたいと願っています。
 関塾生の皆さんには、ぜひ「その年齢なりの勉学」を重ねていってほしいですね。中学校や高校での勉強をしっかり身につけることが大事です。そして、その年齢らしい遊びや趣味にも情熱を注いでもらえたらと思います。それから、勉強でもスポーツでも遊びでも「苦手だから」を理由に避けないこと。私は運動が苦手でしたが、だからこそ意識して中学と高校はテニス部に入っていました。そして、苦手だった建築構造が仕事になりました。この先、皆さんの経験の何が実を結ぶかわかりません。だからこそ、あらゆる可能性に挑戦してほしいと思います。

京都工繊大の電波暗室

 「他分野とつながりながら、新しいものを生み出す」と森迫先生がおっしゃったように、京都工芸繊維大学では、2018年7月、企業と連携して新産業の創出を目指すための「電波暗室」が整備されました。次世代の電力システムや情報通信を担う新技術・新製品を検証するための施設で、一般企業の利用も可能です。
 電波暗室の最大の特長は、電気機器と測定機器を、外部からも内部においても電磁波の影響を受けない環境下に置いて測定できるという点にあります。周囲の電磁波を遮断することによって、例えばEV(電気自動車)やAI(人工知能)を備えた新製品自身が発する電磁波の影響を、正確に評価できるのです。このような最先端の施設を企業に開放することで、大学と企業の新たな連携も可能性として見えてきます。

電波暗室の内部。最先端の施設を備えた大学で、専門知識・技術を学んでみませんか?