関塾が発行する親子で楽しむ教育情報誌、関塾タイムス

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2019年8月号 特集②

むかしむかしの物語

雀の親孝行(千葉県)
――親を大切に思う雀の子ども

昔々、安房国(千葉県)の丸山町という所に石堂寺があり、そこには仁王様がいらっしゃいました。
ある日、仁王様が野原を見渡していると、一羽の雁が慌てた様子で飛んできました。
雁は、
「仁王様、大変です。小鳥たちの親が皆病気になってしまいました!」
と言うではありませんか。そこで、仁王様は、すぐに小鳥たちに知らせました。
藪で遊んでいた雀の子どもはびっくりして、慌てて親のもとへ飛んでいきました。ところが、見た目ばかり気にする燕の子どもは、化粧に時間がかかってしまい、親の死に目に間に合いませんでした。
ひどいのは蝙蝠です。遊びほうけていて仁王様の話を聞いておらず、親が死んだことすら知らずにいたのですから。仁王様はたいそう怒って、この時から蝙蝠を鳥の仲間から外してしまいました。蝙蝠は獣たちからも嫌われ、昼は暗い洞窟に隠れ、夜にこっそり外へ出るようになりました。
仁王様は、親孝行な雀に「人間と同じ米を食べてもよいぞ」と言いました。しかし、燕には、稲が実る季節になると、遠い国へ行くように命じましたとさ。

雀の親孝行

浪小僧(静岡県)
――妖怪を助けてあげた男の子

曳馬野(浜松市)という所には、海に住んでいる、子どもの姿をした「浪小僧」という妖怪がいるそうです。
日照りが続いていたある時、男の子が、お母さんと一緒に田んぼを耕していました。一仕事終えて小川で足を洗っていると、草むらのほうから声が聞こえます。見てみると、親指ほどの背丈の、小さな子どもがいるではありませんか。子どもは、
「私は、そこの目の前の海に住んでいる浪小僧です」
と名乗りました。そして、
「先日、大雨が降った時に、浮かれて陸まで上がって来てしまいました。ところが、日照りになって道がすっかり乾いてしまい、帰るに帰れません。海まで連れて行ってくれませんか」
と言うではありませんか。
気の毒に思った男の子は、浪小僧を海に戻してあげました。
それからも日照りは続きました。とうとう、男の子の田んぼも水が枯れてしまいました。
男の子が途方に暮れ、海辺に座り込んでいると、先日の浪小僧がやって来ました。
「私の父は雨乞いの名人です。父に雨を降らせてもらいましょう。海の東南の方向で浪が鳴ったら雨が降る合図、西南の方向で鳴ったら雨が止む合図です。覚えておいてくださいね」
浪小僧の言う通り、ほどなくして大雨が降り、村人たちはたいそう喜びました。
それからは、この地域では、浪の鳴る方向で天気を占うようになったそうです。

やろか水(愛知県)
――聞こえたのは木曽川の声?

井堀村(犬山市)で起こった話です。
貞享4(1687)年のこと、毎日のように雨が降り続き、今にも木曽川の堤防が決壊しそうでした。危険な状況だったので、村人たちが堤防の見張りをすることになりました。
見張りをしていると、真夜中、川の上流のほうから、
「やろか、やろか」
という声が聞こえてきます。村人たちは顔を見合わせました。声はいつまでもやみません。
恐ろしくなった村人の一人が、たまらなくなって「いこさばいこせえ!( 寄こすなら寄こせ!)」と言い返しました。すると突然、大水がどっと押し寄せ、村が水に沈んでしまったということです。
この時の大雨を「やろか水」と呼んでいます。
昔から、このように木曽川はたびたび氾濫し、人々を困らせてきたそうです。

葛の葉(大阪府)
――別れても変わらぬ愛情

千年以上も昔の話です。
阿倍野(大阪府)に、安倍保名という男がいました。保名は、毎日のように和泉にある信太明神に詣でていました。
ある時、保名は、いつも通る信太の森で、猟師に追われて傷ついた一匹の白狐を助けました。
その後すぐに、保名は水を飲むために川へ行くと、年若い美しい娘が水を汲んでいます。「葛の葉」と名乗った娘と保名は、やがて恋に落ち結婚しました。そうして生まれたのが安倍童子、後の陰陽師・安倍晴明です。
童子はすくすくと成長し、七歳になりました。
ある秋の日、保名は家を留守にしていて、葛の葉と童子は二人きりでした。そして、童子は見てしまったのです。母が狐の姿に変身する瞬間を。そう、葛の葉の正体は、保名が助けた白狐だったのです。
正体を知られた葛の葉は、もはや人間と共には暮らせません。泣く泣く、愛する夫と息子に別れを告げます。
そして、
「恋しくば たずね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」
という句を残し、葛の葉は去っていきました。句には、「母が恋しければ、和泉にある信太の森を訪ねて来なさい。悲しみ嘆く葛の葉がおりますよ」という意味が込められていました。
保名は、「たとえ狐であっても、葛の葉を愛する気持ちは変わらない」と心に誓い、童子を連れて信太の森へ行きました。森の奥で葛の葉を見つけた父と子は、泣きながら「戻って来てほしい」と説得します。
しかし、葛の葉は「とても悲しいけれど、二度と戻ることはないでしょう」と告げ、童子に光る玉を手渡し、二人の前から姿を消したそうです。

葛の葉

優しい旧鼠(奈良県)
――子猫を育てた鼠の妖怪

大和国(奈良県)の志貴には、その昔、しばしば年老いた鼠の妖怪「旧鼠」が現れたといいます。
旧鼠は、中型犬ほどの大きさがあり、赤、黒、白の三色の毛で覆われていたといいます。とても乱暴な性質で、飼い猫を捕って食べてしまうというので、人々に大変恐れられていました。ところが、文明(1469~1486年)頃に生きていた旧鼠は、そんな恐ろしいイメージとは異なり、とても優しい妖怪だったそうですよ。
ある時、那曾和太郎という侍の屋敷に、一匹の旧鼠が現れました。大きな旧鼠は、馬小屋の天井に住み着いたものの、昼間はじっとおとなしくしていて、特段悪さをするわけでもないので放っておくことにしました。しかも、このおとなしい旧鼠は、夜になると母屋に降りて来て、和太郎の飼い猫とじゃれあって遊びます。旧鼠は猫を食べるどころか、二匹は喧嘩もせずに仲良くしていました。
さて、ある時のことです。和太郎の猫が五匹の子猫を産みましたが、ほどなくして死んでしまいました。和太郎は、母猫を失った子猫たちを気の毒に思いましたが、どうしてやることもできません。
するとどうでしょう。馬小屋の旧鼠が、夜中にこっそりやって来て、子猫たちに乳を与え始めたではありませんか。
和太郎は、
「妖怪にも、愛情というものがあるのだなあ。うちの猫とは、固い友情で結ばれていたのだなあ」
と大変感動しました。
旧鼠のおかげで、子猫たちはすくすくと大きくなり、やがて独り立ちしていきました。
子猫たちの成長を見届けた旧鼠は、その後、いつの間にか和太郎の屋敷から姿を消したということです。

優しい旧鼠

河童の墓(長崎県)
――河童の祟りを鎮めるため

壱岐国(長崎県)の郷ノ浦にある法器山という所には、河童の墓があると伝えられています。
その昔、この山に住む仁位という人は、観音様にお参りに出かけることにしました。
ところが、お参りに行く途中、ちょうど真夜中に、袖取川で河童と出会ってしまったのです。河童は、仁位の馬に乗せろと言います。河童はいたずら好きの妖怪で、馬の尻子玉(想像上の玉で、人の肛門の中にあると考えられていた。河童の好物)を抜くといいます。
仁位は「帰りになら乗せてやろう」と言いました。そして、戻って来たところで、河童をひもでグルグル巻きにして馬に乗せ帰りました。さらに、家来に命じて、河童を焼き殺してしまったのです。河童の死体は白水となって流れていきました。
河童の死後、仁位の家では祟りが続いたので、六地蔵を建てて供養しました。それが河童の墓だということです。